急用と埋め合わせの約束
食後のお茶を楽しんでいると扉が叩かれた。
「申し訳ありません。少しよろしいでしょうか?」
「いいわ」
ヴィヴィアンが許可を出す。
入ってきたのはモーガン家の執事だった。
「ご歓談中に失礼致します」
「どうしたのかしら?」
「アーネスト様に少し……」
「私にか?」
「はい」
執事はアーネストに近寄り、耳打ちする。
そういう時は聞かないのがマナーだ。
「そうか、わかった。準備してくれるか?」
「承知しました」
執事が一礼して部屋を出ていく。
アーネストがクラウディアとヴィヴィアンに向き直った。
「どうやら仕事のほうで少し問題があったようで出勤しなくてはならなくなった」
「あら、せっかくの休日ですのに」
ヴィヴィアンは少し眉根を寄せる。
仕事となれば働きすぎるアーネストのことが心配なのだろう。
「私たちのほうは気になさらないでください」
クラウディアがそう言うとアーネストがほっとした顔になった。
「ありがとう。帰りは」
「迎えに来てもらいますわ」
アーネストは渋い顔になる。
モーガン家は侯爵家だ。社交のために家人の人数分は馬車があるだろうから、馬車がない心配はない。
ただそこまでしてもらう理由もない。
「お気になさらないでください」
「だが、招待したのはこちらだしな」
「いえ、出掛ける約束をしていただけですわ。モーガン家の馬車に一人で乗るのも気が引けますし、ヴィヴィアンに来てもらうのも悪いですから」
「わたくしは構わないけど」
「友人の家に遊びに来て送ってもらうのでは今後遊びに来にくくなるわ」
「わかったわ。でも連絡はうちから出すわよ?」
ヴィヴィアンはクラウディアの気持ちを酌んでくれた。
これが双方の妥協点だろう。
「ありがとう。では手紙を書くから届けてもらえる?」
「ええ」
「ヴィヴィアン」
アーネストが諫めるように名を呼ぶ。
「お兄様、ここはクラウディアの望み通りにするべきかと」
ヴィヴィアンは怯まずアーネストに意見する。
「アーネスト様、お願いします」
二人の顔を交互に見たアーネストが深く溜め息をついた。
「……わかった。だが迎えに来てもらうのは雨が上がってからにしてもらえるかい?」
「アーネスト様、ありがとうございます」
アーネストが苦笑する。
「お礼を言うのは変だよ」
アーネストはそう言うが、ここでアーネストの許可が出なければモーガン家の馬車で送られることになるので本当に有り難かったのだ。
言ってもたぶん理解されないのでここは微笑って誤魔化しておく。
「この埋め合わせは必ず」
「いえ、大丈夫ですので」
本当に気にしないでほしい。
「いいや。これだけは譲れないよ」
先に譲ってもらったのはこちらだ。
譲歩するしかないだろう。
仕事で呼び出されているのに、アーネストはこちらが是と言うまで動きそうにない。
「わかりました。また美味しいお菓子をお待ちしてますね」
先に望むものを言っておいたほうが無難だろう。
そうでなければ何を埋め合わせにされるかわからない。
本当にこの程度のことは何てことはないのだ。
お菓子で十分だ。
意図に気づいたのかアーネストが苦笑する。
「わかった。では美味しいお菓子を探すことにするよ」
「ありがとうございます」
アーネストが立ち上がる。
「送っていけなくて本当に申し訳ない」
最後にもう一度謝られる。
「いいえ、お気になさらないでください」
申し訳ないという顔をしてアーネストは部屋を出ていった。
「結局お兄様はお仕事だわ」
まったくもう、という感じだ。
「呼び出されたのなら仕方ないわよ」
「そうだけど……。ごめんなさい、クラウディア」
「ヴィヴィアンが謝ることじゃないわ」
「お兄様のこともだけど、送っていけなくて」
「それこそ気にしなくていいわ」
むしろ辞退したのはクラウディアのほうだ。
ヴィヴィアンたちはクラウディアの意志を尊重してくれただけだ。
「すぐに連絡させるわね」
すぐさま便箋と筆記具が用意される。
クラウディアはモーガン家にいるので迎えに来てほしい旨を書いた。
「雨が上がってから、の一文が抜けているわよ」
抜かりなくヴィヴィアンに指摘される。
雨はまだまだやみそうにない。
このままでは長居してしまいそうだと思ったのだが。
だが雨の中に迎えに来るのは大変だし、馬車に乗るまでにいろいろな人に迷惑をかけることになると気づいた。
大人しく、雨が上がったら、の一文を付け足す。
最後に署名をした。
これで頃合いをみて迎えに来てくれるだろう。
……雨の中、使いに出る者は大変だろうが。
ラグリー家なら労いにお菓子を振る舞うのだが、モーガン家で勝手はできない。
結局クラウディアの我が儘で迷惑をかけてしまう。
しゅんと落ち込んでいるとヴィヴィアンに気づかれてしまう。
「クラウディア、どうしたの?」
「この雨の中知らせに行ってもらうのは大変でしょう? 結局、迷惑をかけてしまったわ」
ヴィヴィアンも室内にいた侍女たちも何故か優しい表情をしている。
「わかったわ。使いに行った者には後でお菓子でも渡しておくわ」
「うぅ、ヴィヴィアンごめんなさい」
「あら謝る必要はないわ」
「なら"埋め合わせ"は」
「あら駄目よ」
クラウディアの言葉を遮って笑顔でヴィヴィアンが却下する。
「あれはお兄様のけじめだもの。こちらから誘っておいて仕事に行ってしまったお兄様の」
思っていた以上にヴィヴィアンは腹に据えかねているのかもしれない。
「ではすぐに手配して参ります」
侍女が一礼して部屋を出ていく。
「ふふ、お兄様には高級なお菓子を贈るように言っておくわ」
ヴィヴィアンはいい笑顔だ。
逆らってはいけない。
「ええ、楽しみにしているわ」
クラウディアに言えるのはそれだけだった。
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