89話 逆鱗
時間は俺と般若の女性との戦闘に遡る。
「この数を相手にあなたでは勝算はない。出来れば素直に引き下がって欲しいのですが」
俺の分身一人にさえあれ程苦戦しているのなら百人になった今、勝ち目がない事を彼女も理解しているだろう。しかし、
「はっ!」
圧倒的な戦力差を前に彼女は鼻で笑う。
「だからどうした。百に増えたからといってで俺が退く理由にはならない。もしその程度で俺に勝てるとでも思っているのなら・・・今度こそ死ぬぞ?」
威風堂々と槍を構える様は先程よりもなお覇気を増している。槍は彼女の意思に答えるように淡く輝き、空間に物理的な重ささえ感じる。
俺は全く予想通りの展開に思わず溜息を吐きたくなった。
「そう、ですか」
本当に、こういう人とは戦いたくはないと心の底から思う。
目的を前にした時の爆発力と執念は何が起こるか全く予想がつかないのだ。
彼女の足止めが俺の仕事ではあるが、可能な限りはやく金剛さんと合流したかった。とはいえ、これは少々時間が掛かるかもしれない。
「そちらが来ないなら俺から行くぞ!」
夜の闇を切り裂くように槍から紅の光芒が長い尾を引きながら俺の分身に迫る。
「はっ!」
直前で足を踏み込むと、槍を一突き。分身はそれを躱すものの彼女は既に槍を手元に引き寄せ二段三段と連続で突き刺す。
すかさず彼女の両脇から分身がそれぞれ二体ずつ逃げ場を塞ぐようにして駆け寄ると、それぞれが宙に神話文字を刻む。
効果は【睡眠】、【幻惑】、【麻痺】、【束縛】、一つでもヒットすれば彼女でも数秒は動けないだろう。畳み掛ける事が可能になる訳だが、
「邪魔だ!」
彼女は槍を手元で回転させると、穂の部分を地面に叩きつける。
それによって生じた衝撃が波となって周囲に伝播し、彼女の近くにいた五体の分身が姿を消した。
これが分身の弱点、耐久力が低すぎるのだ。敵からまともに一発でも攻撃を食らえばそれだけで姿を維持できず消滅してしまう。範囲攻撃を持つ相手には相性は最悪だ。
「ロンギヌス!」
彼女の勢いは止まらず、一瞬の隙を逃さずに槍を投擲する。
「二度は当たりませんよ」
投擲の予兆を見た瞬間から回避の態勢に移り、槍の正面の分身は投擲を回避し――
「なっ!?」
確実に回避したはずだった。
だというのに、気付いた時には既に遅く、分身の背から槍が突き刺さり腹部から穂先が現れ、体を貫通していた。
分身を貫いた槍は加速しながら別の分身に迫る。貫かれ消失する寸前の分身に意識を移し、槍の仕掛けを把握する。
「成程、反射しているのか」
縦横無尽に空間を切り裂く槍は、回避した分身の背後で空間を反射し、跳ね返った槍が分身を貫いていた。僅か数秒、その間に分身は六体消滅し、役目を終えた槍は女性の手元に戻る。
「執念が及ぼす力を少し侮っていたか」
女性と分身が戦闘を繰り広げている遥か上空。
仁王立ちで宙に浮かび、地上を見下ろしながら俺は呟く。
こうなれば本体である俺が直接彼女の相手をした方が幾分か早い。
「仕方ない、行くか・・・ん?」
溜息を吐きながら上空から降下する間際、大きな地響きが辺りを揺らす。そして研究施設の方向から僅かな閃光と力の波動を感じた。それは金剛さんのものともう一つ別の力、
「戦神」
俺は空から研究施設を目指し一直線に飛び出す。
ここまで伝わる衝撃が、相対している相手がかなりの力を持っている事が分かる。焦る気持ちを抑えながらも加速しながら疾走する。
百メートルまで近づくと、感覚を限界まで研ぎ澄まし場所を探し出す。
「地下か!」
直ぐに施設の地下部分に異常な気配を感知する。
研究施設の研究員は既に避難を始めているようで施設の外に人影が集まっているのが見える。感覚を広げ中に人の存在を探るが誰一人として残ってはいないようだ。
ならばと腕を大きく引き、
「らぁあ!」
気合一閃、上空からの降下と同時に施設目掛け拳を振り下ろし地下までの空洞をこじ開ける。
そのままの勢いで地下に飛び降りると、目の前の通路を疾走し、先の部屋を遠目に確認する。
見つけた。
目に入ったのは、無数のカプセル。中には緑色の液体と共に人の体が入れられており生死は不明。そしてそのカプセルを守るように前で障壁を張っている金剛さんの姿があった。
障壁は既に最後の一枚しか残っていないのか、たった一枚で敵の攻撃を凌いでいる。その障壁も原型を留めておらず崩壊した隙間から攻撃が貫通し金剛さんの体を喰らっている。左腕が吹き飛び血だらけの姿は彼が満身創痍である事を如実に表していた。
しかし、それでも彼は歯を食いしばり残った右腕を力の限り伸ばし叫ぶ。
「守れ、守護神!」
(・・・ああ、本当に、この人は凄い、力ではなくその信念が)
全てを懸けて守ろうとする姿に心の底から敬意を表する。
俺は部屋に到着するや否や金剛さんの脇から飛び出し、敵の懐に潜り込む。
「なにっ?!」
俺の存在に気付いた異形の存在は驚愕の表情を浮かべるとすぐに俺を薙ぎ払おうと腕を振るう。
「山砕き」
遅すぎる攻撃を避けることなく相手の腕よりはやく攻撃を叩き込む。
俺の拳は相手の体を粉砕し、彼方まで吹き飛ばす。
「・・・本当に、金剛さんの背中は大きいですね」
振り返り、金剛さんを見やる。
よく見ると彼の近くにはどこか先程の般若の女性に似た姿をした人が入っているカプセルがあった。
「今度は、守れたんですね」
金剛さんはゆっくりと振り返り、そのカプセルに優しく手を触れる。
そして何事かを呟いた後、俺に視線を移し、
「あとは・・・頼んだぞ、柳」
俺に後を託した。その言葉に含まれる感情が俺を沸き立てる。
本当は金剛さんが一番奴を倒したいと思っているはずなのに。
「はい、任されました」
彼の言葉に答えなければいけない。
俺は背を向けると怪物を吹き飛ばした方向に跳躍した。
◇
「遅かったですねえ」
辿り着いた場所は狙い通りの誰もいない空き地。
そこには異形の姿をした元人間が立ち止まり俺の到着を待っていた。粉砕したはずの体は元に戻っており、おそらく能力で回復したのだろう。
「逃げなかったのか」
「どこに逃げる必要があるというのです? 私に単騎で勝てる存在などもう存在しないというのに!」
こいつは何を言っているんだ?
まさか能力が多い存在の方が強いとでも思っているのか?
「それはそうとして残念です。まさか、絶対者の一人を失うことになってしまうとは」
「・・・それはまさか俺の事か?」
「ええ、そうですとも。貴重なサンプルだというのに! ・・・・ふう、次からはもう少し慎重に行動しましょうか」
奴の目を見れば冗談で言っている訳ではないようだ。
本当に、どこまでもふざけた奴だ。俺どころか絶対者の誰一人としてこの程度の半端者に負ける者などいない。俺達はそういう存在だ。
「あんたの戯言に付き合うつもりはない。ただ、一つ答えろ。あんたは何の為に研究をしている」
「そんなもの己の欲望に従っただけに決まっているではないですか。あなたにもあるでしょう? どうしても抑えられない欲望というものが。私は力が欲しい! 誰よりも強く、全てを支配できる力が! その為の犠牲は仕方の無いものなのですよ。彼等も私のような存在を生み出す一役を買えたことを誇りに思っている事でしょう」
「―――」
そうか、そうなのか。
もしかしたら、こいつにも守るべきものがあり、その為に苦渋の決断で研究をしているのではないかと・・・
ああ、いけない。
激情に流されてしまう。蓋をしていたものが奥底から顔を出し、弱い俺の心を蝕んでいく。
「・・・結局、か」
本当に自分が嫌になる。
何にも揺るがない鋼の心を持つにはどうすればいいのか、今の俺には到底たどり着けそうになさそうだ。
自己嫌悪に陥りながら、首に掛けていたヘッドホンを耳に付ける。
これから轟くであろう絶叫を聞きたくはないから。
「この状態になるのは、あんたで二人目だ」
音楽を再生する。
「戦神――憤怒」
毎日投稿するつもりだったのに・・・





