83話 五年前
任務は失敗。
要請のあった研究機関は守れず、仮面の女には逃げられた。幸い死傷者は出なかったが、俺の心は大きく揺らいでいた。
仮面の女の声音。
あの声は、俺の恋人であった女性の妹の声そのものだった。
自室の椅子に座り頭を抱える。
「どうしてあの子が……いや、」
理由など一つしかない。
彼女の姉――上月 香織の死が原因だろう。
上月 香織、元特殊対策部隊のメンバーにして世界ランク十位であった女性だ。
能力は【精霊召喚】、己と契約した精霊の力を借りることができる能力だ。借りると言っても精霊の気分次第な部分が大きいが、彼女は非常に慈悲深く、謙虚で、いつも笑っている心優しい人だったため、精霊にも深く愛されており、その力は俺達特殊対策部隊の中でも抜きんでたものがあった。
彼女の人生が大きく狂ってしまったのは、多重能力者の被験体となる依頼を受けたことから始まる。
そう、あれは五年ほど前のことだった。
「私は後鳥羽 次郎と言います。現在、各国総出で多重能力者に関するプロジェクトが行われておりまして是非とも上月様にもご協力をお願いしたいのですが……」
突然本部に来た白衣の男は胡散臭い笑みを浮かべながらそう言葉にした。
挨拶の後はプロジェクトが如何に素晴らしいものであるかを語り、香織の心を揺さぶるような言葉を並べてプロジェクトの参加を促した。
「この依頼は断った方がいい、明らかに危険だ!」
後鳥羽が帰るや否や俺は全力で参加を拒否するように説得する。
この場で止めなければ手遅れになる気がしてならなかったのだ。
「大丈夫だよ金剛君、だって偉い人達も試行に試行を繰り返して絶対安全だって言いきってたじゃない」
「そんな言葉、信じられるわけないだろう! 何かあってからでは遅いんだ!」
「……ありがとね、心配してくれて。でも……でもね、私が力を貸すことで多くの人々が、未来ある子供たちの命が助かる可能性が少しでもあるのなら……私はそれに懸けたいの」
俺の言葉は届かなかった。
去りゆく香織の背に手を伸ばすだけの自分を呪い、弱く、誰も守れない非力な己を憎んだ。
それから数日後、香織が被験体となって多重能力者のプロジェクトは進行する。各国が総力を挙げて始まったそれは驚くべき速さでプロセスをクリアしていき、およそ五十の日数が経った日、遂にプロジェクトは完成した。
「凄いっ! これならいつかSSランクにも届くかもしれないよ!」
早速実戦として戦場に立った香織は、精霊に留まらず炎や水を操り怪物を殲滅した。その破壊力は凄まじく、絶対者に届きうるのではないかと思うほどだった。
「良かった……本当に良かった」
「もう……大丈夫って言ったでしょ」
俺は香織を抱きしめると心の底からの安堵を口にした。
力などどうでもいい、ただ、香織が無事でいてくれたことが嬉しくて必死に体を抱きしめた。実験は成功だと、香織に危険はなかったのだと、そう自分に言い聞かせるように。
――しかし、そんな輝かしいシナリオを神は投げ捨て、悪魔が歪めた。
プロジェクト完成から一週間後のことだった。
「うぅ……あっがっ!」
「っ?! どうしたんだ香織!」
「香織先輩!」
「どうしたんすか!」
いつも通りの怪物を狩る任務だった。ランクはBで香織の他に俺や服部、牙城も参加しており、戦力で考えれば余裕で終わるはずの任務だ。
しかし、戦闘の最中、香織の体調が急変する。
額から汗を大量に流し、呼吸もどんどん早くなっていく。
「香織っ! 香織っ!」
「金剛さん! ここは私と牙城先輩で対応するっす! だから香織先輩を早く!」
服部の提案に頷き、俺は香織を腕で抱えると障壁に乗って全力で本部付属の医療機関へと直行する。西連寺の能力を使えたら一秒とかからないが、西連寺も別の任務を遂行している最中であったため、力を借りられる状況ではなかった。
「はぁ、はぁ……金剛……君」
「喋るな! もう少しの辛抱だ! 絶対に助け――」
俺の頬に香織の手が優しく触れる。
「ごめん……ね。もう……ダメみたい」
香織の口の端と目から血が流れる。
俺は溢れ出る感情を必死に抑え速度を上げ続けるが、腕の中にある命が徐々に零れ落ちようとしているのが嫌でも伝わり視界が霞んでしまう。
「私のことは……忘れて……だからもう……泣かないで?」
香織は僅かに笑みを浮かべ俺の目元を拭う。
それが限界だったのだろう。彼女の腕は力を失ったように垂れ下がり、瞼は閉じられた。
「くそがぁあああああ!!」
どうしようもない感情を叫ぶことで発露する。
到着する頃には息は完全に上がり、まともな状態ではなかったが、なんとか香織を引き渡した。プロジェクトの要である香織の様態が急変したことで関連のある機関が全力で香織の回復に尽力した……
しかし、俺に伝えられた言葉は『残念ながら……』というものだった。
最早俺の耳には誰の言葉も入ってこない。
・・・何が守護者だ。
・・・何が世界ランカーだ。
・・・好きな女一人守れずしてこの力に何の意味がある。
この日からの俺は荒れに荒れた。荒ぶる感情を怪物にぶつけ、家に帰ると気持ち悪くなって吐く毎日を過ごした。
これが、俺の五年前の忌々しい記憶だ。
そして現在、感情もすっかり落ち着き特殊対策部隊を引っ張っていかねばと気持ちを切り替えた時に仮面の女、おそらく香織の妹である上月 花蓮が現れた。何処であれ程の力を身につけたのかは疑問だが今は置いておく。
彼女は言った、『まだ、何も終わってないぞ』と。
「どういう意味だ?」
仮にあの事件の事を指す言葉であれば研究が未だ続けられているという事だろうか?
しかし、香織の代役を務められるような能力者などそれこそ片手で数えられる程しかいない。その上香織という失敗の後だという事を考えれば、被験体になる人物など存在しないだろう。
「いや、待てよ・・・」
一つだけ、研究を続けられる仮説を思いついた。
可能性としては限りなく零に近く、もしそれが事実であった場合は俺の感情を抑える事は出来ないであろう馬鹿げたものが。
それは“まだ香織が利用されているのではないか”というものだ。
花蓮はどこからかその情報を知って、研究機関を襲っているのではないだろうか。
何処かに囚われている姉を探して。香織が生きている可能性は限りなく零だろう。しかし、だからと言って愛する姉の体を利用されて怒らない家族はいない。
俺は自室を飛び出すとある場所を目指して駆け出す。
「はあ、はあ!」
能力を使えばすぐ来れるはずなのに頭が混乱してそんな簡単な事まで気付くことが出来なかった。
息もたえたえで辿り着いた場所は香織の墓だ。
これで間違っていたら死者への冒涜も甚だしいが俺は思考も僅かにすぐさま墓を掘り起こす。ここにはあるはずなのだ、死んだ香織の人骨が。
少し時間が経つと固いものに当たる感触がした。
それは小さな壺だ。
俺はその壺を手に取ると蓋を開け、中身を確認する。
「・・・・・・」
手を握る力が増していく。
壺の中は、何一つない空だった。





