199話 2つ目の契約
それは、いつかは起こる事件だった。
問題はタイミングが悪過ぎたことだ。
ことは数分前に戻る。
夕飯を食べた後、眠気に負けて少し仮眠をした。
そして深夜に目が覚めた俺は風呂に入っていないことを思い出し、最近自我を持っているのではと疑っている車椅子に乗って洗面脱衣室に向かった。
「んぁ? なんだこれ?」
そして事は起こってしまう。
寝ぼけていたというのもあっただろう、冷静に考えれば分かることだったが、この時は大分意識が朧げだった。
俺は脱衣所の下に落ちている黒色の布を手に取った。
「雑巾、ではないな」
広げてみる。
視界がぼやけるが、その布が長方形ではないことは分かった。
手触りは滑らか、所々にフリルが付いており、ハンカチにしてはTの形をしているそれは不適格のように思えた。
徐々に覚醒する脳、視界の焦点も段々と合う。
「こ、れは・・・・・・っ!」
そこでようやく己がなにを手にしているのか理解する。
(きっ際ど過ぎるっ! いや、じろじろ見るな俺よ! そしてソフィアさんは男がいることを意識して下さいよ!)
流石に妹がこんな下着を持っているとは思いたくない。
とんでもない地雷があったものだ。すぐに手放さなくてはと思いながら、ついつい周囲に視線を向ける。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
視線が合う。
自分の下着がないことに気付いたのか、それともたんに顔を洗いに来たのか。
パジャマ姿のソフィアさんが脱衣所の扉で唖然とした表情で俺を見ていた。
傍から見れば、今の俺はソフィアさんの下着を広げている変態だ。
ソフィアさんの表情がかぁっと赤く染まる。
「そ、そうだよね! 君も男の子なんだもんね! ボクみたいなお姉さんが居たらそういうことも・・・・・・」
「いやいや、そんな理解は求めてないです! これは単なる事故で――」
「う~ん。もう、夜中に五月蠅いよ?」
神はいくつ俺に試練を与えれば気が済むのか。
目を擦りながら脱衣所に入って来る蒼。飲み物を飲みに来たのか、その手にはコップがあった。
隣のソフィアの様子に怪訝な表情を見せ、そして視線の先にいる俺を見る。際どい下着を広げている俺の姿を。
(・・・・・・ひっ!)
すんっと蒼の顔から色が消えた。
思わず背筋が凍るような寒気を感じて頬を引き攣らせる。
「いや、うん。なんとなく流れは分かったけど、いつまで下着を広げているつもりなのかな変兄は?」
「すいません!」
変態な兄の略称だろうか、なんとしてでも定着させてはならないが、今は謝罪しなければ。
下着を洗濯機の上に置き、冷静に訳を話そうと向き直る。
「えぇっと、実はだな。別にやましいことは・・・・・・?」
必死に言い訳を考え喋ろうとしている途中、なんだか二人の様子がおかしいことに気付き会話を切る。
胡乱な目をした蒼、そして若干赤面しているソフィアさん、なにがおかしいのかと考え、二人の胸部が全く動いていないことに気付く。
「蒼ッ!」
すぐに近づき、心臓部に耳を当てる。
(動いていないッ!)
突然すぎる事態。原因を考え視線を巡らせる中、カーテンが揺らぎの途中で停止しているのが視界に入った。
「時間が、止まってるのか?」
ありえない、と切り捨てることは出来ない。
なにせ俺は一度そうとしか思えない能力を持った人物と戦っている。
「シャルティアさんが止めたのか?」
だとしても浮き上がる疑問。
こんなに時間を停止できるものなのか、そして何故俺はこの中で動くことができるのか。
(一体なにが起こっている?)
息を吐き、現状に対処するための方法を考える。
既に数十秒と経っているこの時間が停止した空間、いずれ元に戻るだろうと安易に考えることはできない。
だとすればどうすればいいのか。
以前、シャルティアさんと戦った後にネットで検索した、“時間停止”について思い出す。
『時間を停止! 電車の中で・・・・・・』
『憧れの上司と止まった時間の中で・・・・・・』
『いつもはツンツンな幼馴染も・・・・・・』
「くっ、いらないことを思い出しちまった」
検索してもまともな結果が得られなかったのを思い出す。
思わず、ソフィアさんの胸部に目がいき、すぐに自分の頬を殴って意識を戻す。
「一体何考えてんだ俺は。それよか、まずはなんで以前は動けなかった俺が今は動けているのかを考えるか」
「それは私が干渉したから」
突如聞こえてきた声に、俺は眼を見開く。
聞こえてきたのが俺の背後だったから。
ゆっくりと背後に振り返る。
「貴方にはこんなところで立ち止まっている暇などない。無様を晒すな、愚者」
白い、全てが白い少女。
全てを見通しているような瞳が俺を貫く。
――超越神が、現界していた。
神々にもルールが存在する。
それが存在する限り、非常事態でもなければ・・・・・・
「・・・・・・今が、それだけの非常事態ということか」
「非常事態? この程度のことが? 否。見るに見かねて出てきただけのこと」
「えぇ、それ大丈夫なんですか?」
「問題ない。私が干渉するのは貴方だけ。間接的に世界に影響するのだとしても文句は言わせない」
流石は外神、かなりフリーダムな思考を持っておられるらしい。
「二つほど聞きたいことが」
「言うがいい」
「一つはこの現象が誰によって引き起こされたのかということ」
「シャルティア・エードルンドによるもの。ただし、本人は力を制御しきれていない。元に戻す前に彼女の灯が先に消える」
「な、なるほど」
大方の予想はしていたとはいえやはりか。
これ程の力だ、切り札をきったのだろう。かなり危険な状況に追い込まれたと判断して間違いないだろう。
「では二つ目、俺がこの目で見ているものはなんなのでしょうか?」
左目を指す。
先程から、ちらちらとおかしなものが見える。
動かない人々、宙で止まった雪、そして、空を見上げるシャルティアさんの姿。
明らかにおかしな光景だ。
危険な薬も使ってないので、錯乱している訳でもない。
「貴方の権能だ」
超越神は淡々とそう答えた。
「権能? なんでそんなものが」
「常人が私の力に適応できるはずもない。貴方は、私と契約した時に純粋な人間ではなくなっている」
驚愕の事実に、口が半開きで止まる。
えっ人間じゃない? じゃあ俺はなんなのだろうか。神? でもないよな。使徒のような立ち位置なのだろうか。
「その権能は、貴方にとって大切な存在に反応している。その者が危機に陥った時に発動するもの」
・・・・・・ただ、危機に陥っている光景しか見れないんですが。
つ、使えねえ。いや、場所さえ分かれば助けに、行けるか?
「ほいじゃ、助けに行きますか」
「必要ない」
「どういうことです?」
シャルティアさんが危機に陥っているのなら俺の手が必要なはず。必要ないはずがないと聞き返す。
「今回対峙しているのは寄生型の怪物。その手は既に全世界の至る場所に届いている。あの地域を救ったところで意味がない」
寄生型、初めて聞くタイプの怪物だ。
左目に映る光景から判断するに、表情が抜けたような人々全てが寄生されているのだろうか。
それだけでも恐ろしい規模だが、それが全世界に及んでいるのだとすれば、全てを見つけ出す事は不可能だと言っても過言ではない。超越神が無意味だと断ずるのも納得できる。
「でも、俺を動かしたということはこの事態を解決させるため、ですよね」
でなければわざわざ俺に干渉してはこないはず。
そう思い尋ねると、彼女は少し笑みを浮かべた、ような気がした。
「契約をしよう。もう一つの契約を。別に断っても構わない、その時は時使いが老衰で人知れず死ぬだけ」
新たな契約を持ちだすということは、現状の俺では解決ができないと判断されたか。
不可能だとは思わない、ただ、全世界に蔓延っている問題なのだとすれば時間が掛かり過ぎる。
「ははっ、答えを分かっていて聞くのは性格が悪いですよ」
「手順は必要」
「それで、契約の内容は?」
「貴方の死後の魂。それを私のものとする」
えっ、なんだかとんでもなく物騒なことをおっしゃっていませんでしょうか?
尻込みしてしまいそうな内容に眉を寄せる。
「デメリットは?」
「輪廻の輪に入れないことのみ。メリットは、この件の解決と、死後私に仕えることができる点」
なるほど、この滅茶苦茶なお方に仕えられると。
デメリットが二つにメリットが一つだな。
(まあ、はじめから選択肢なんざないが)
「受けましょう」
超越神が手を差し出し、俺はその手をとる。
「ここに契約は成った」
感じたのは、よく分からないもの、もしかしたら魂と呼べるなにかが優しく包まれるような心地よさと、自身の体が変わっていくことの諦念。
(また一歩人間から遠ざかるな)
でも、それでシャルティアさんを助けられるのなら安過ぎる。
「位階上昇――超えろ、超越神」
能力を発動して、超越神に存在を近づける。
「後は、任せます」
そして、体を明け渡す。
本来であれば一生掛かっても無理だと思っていた、超越神の憑依。
俺の意識が体から離れると、代わりに超越神が俺の体に入り込む。
――世界が、急速に彩られる。
――虹色の泡が宙を漂い、極細の触手が一瞬にして地面を覆い、星の色を変える。
超越神は俺の体を動かし、正面で手を合わせる。
「掌握」
張り巡らされた触手を介し、地球上に存在する全ての生命体の情報が脳に入って来る。
「開門」
無限とも呼べるそれを、ありえない速度で消化した彼女は、前で合わせた掌を半回転し地面と平行にした後、空を切るように掌をずらした。
(これは、俺には無理だな)
超越神の権能は扉が存在しない。
故に、全ての存在に直接干渉することができる。
彼女がやったことは、寄生された人々全てに干渉し、そして怪物と人間との境界をずらしたのだ。
欠損しているはずの部位はなにもなかったように元のデータを参照に修復され、寄生したはずの怪物はその姿を曝け出す。
そして軽く手を鳴らせば、世界中の怪物がロシア上空、その一か所に集められる。
「後処理は任せる。最後に」
指で空間に触れれば、そこから亀裂が入り、徐々に広がっていく。
掛かった時間はおよそ数秒。
おそらくは俺の肉体への配慮だろう。俺の意識が元に戻ると、少し足がふらついてなにやら柔らかいものに顔から倒れ込む。
(両足も動くみたいだな)
ずっと使えなかったから難儀していたのだ。もう一つメリットがあったらしい。
「おや、これは」
俺が倒れ込んだものはソフィアさんの豊満な胸部であることに気付く。
「ははっ、時間が止まってなかったら危なかっ――」
「あわわわわわ!」
視線を上に見上げる。
赤面しているソフィアさんの視線とぶつかる。耳を済ませればドクドクと心臓が鼓動しているのが分かる。
思った以上に空間の罅は急速に広がり停止した時間は元に戻ったようだ。
視線を横にずらす。
満面の笑顔の蒼が何故かピコピコハンマーを片手に持ち、振り上げている。
「変態は・・・・・・滅殺ッ!」
その夜、ピコピコハンマーの軽快な音が数時間と響き渡った。
なんちゅう時間に私は投稿しているんだ・・・・・・





