192話 最悪の序章
ロシアに帰国した初日は、対敵に備えての準備を済ませた。
警戒の意味も含め、アンネ・クランツを家に泊まらせる。本人は別に外でも問題ないと非常識なことを言っていたため、強引に部屋に放り込んだ。
「ふぁぁ~ 早いな、シャルティア」
「貴女も十分早起きですよ。あまり疲れが取れていないのではないですか?」
「いや、私はいつも早起きなんだ。気にしないでくれ」
瞼を擦りながら階段を下りてくるアンネ・クランツ。
私はキッチンで朝食を作ってる最中だ。
現在時刻は早朝の5時半。
柳家兄妹はまだ普通であったが、ソフィア・アンティラなどは起こさなければ夕方に起床することなどざらであった。あれと比べればマシな生活をおくっているらしい。
「どうぞ、少し軽めですが」
「おっサンキュ。はむ、ふぉれで? ふぉうはなにふるんだ?」
「食べ物を口に含んだ状態で喋るのはやめなさい。はぁ、今日はなにをするかですか?」
アンネ・クランツがこくりと頷く。
会話よりも朝食を優先したいのか、黙々と朝食に手を伸ばしている。
今日の予定としては私は古巣に足を運ぶ予定だ。
あそこなら表からだけでは見えない情報が分かるはず。この異常事態をあの人が気付いていないとは思えない。
ただ、あそこは部外者を嫌うためアンネ・クランツを同行させることはできない。
よって、私が情報を集めている間は表の異常に対して対処して貰いたい。単騎で行動していても彼女なら心配はいらないでしょう。
「私は情報収集をします。貴女には状況に異変が起こった際に対処して頂きたいのですがどうでしょう」
「分かった。私としては兎に角黒幕を出してくれたらそれでいい。それだけでケリはつく」
「善処はしましょう。毎日午後10時にはここに集合して情報を共有しましょう」
「了解」
方針が確定したところで、素早く朝食をとって行動に移す。
武器を装着し、厚着のコートを被って隠す。昨日の夜に周辺一帯の地図を把握したから、以前との変化にも対応できるはずだ。
「じゃあ行ってくる」
「待ちなさい」
パーカー一枚で外に出ようとするアンネ・クランツを捕まえ、私のコートを一枚羽織らせる。別に必要ないと駄々をこねていたが、不必要なところで目立つ必要はないと言えば、渋々納得した。
ただ、彼女は私よりも随分と小柄なためかなり袖が余ってしまった。彼女が帰ってきたら少し調整することにする。
彼女の背を見送り、私も家を出るとあまり人目のつかないルートを通り進んでいく。
人が寄り付かない裏路地を歩いていけば、窓からこちらを確認するような視線が向けられていることに気付く。
(警戒が強いですね。やはり事態は把握しているということでしょう)
それから数分歩き辿り着いた場所は、廃れた様相のバーだ。
扉を開き中に入れば、外装からは想像できない、とはいえ一般的と呼べる綺麗な店内がある。
立っている店主が私へと軽く視線を向けるが、すぐに手元のカップの掃除に戻る。
「・・・・・・めずらしい客だな」
「情報を聞きに来ました。あの人は何処にいますか?」
「上だ。今ならいっても問題ない」
店主を横切り、店の隅にある階段を上る。
二階は非常に簡素な造りで特に貴重品はない。
ただ、広い空間に椅子と机がそれぞれ一つ。
椅子の上に一人の無精ひげを生やした男性が座っている。手に持っている酒瓶と若干紅潮した頬を見るに、早朝から酔っているらしい。
「また朝から飲んでいるのですか? いい加減にしないと体を壊しますよ師匠?」
「ん? おぉ、我が娘じゃないか! 俺のことは師匠ではなくパパと呼べと言っているだろう」
「頭の病気ならば病院に行くことをお勧めします。それとも重傷を負って叩き込まれたいですか?」
「わ、分かったから握った拳を解いてくれっ?! お前が言うとシャレにならん・・・・・・」
目の前の飲んだくれは私に戦闘の技術を教え込んだ師だ。
頼りない見た目とは裏腹にその実力は確かなもので、能力を抜きにした単純な技術勝負ならば私よりも先を行っている。
そして私を育ててくれた育ての親でもあるため、それなりに感謝もしている。
幼い頃に両親を亡くし、路頭に迷っていたところをこの人に拾われた。それが良かったことなのかどうかは分からないが、今もこうして生きているのだから最悪の選択ではなかっただろう。
面倒見のいい人だが、だらしのない欠点が多いので尊敬することはできない残念極まりない師である。
「ふぅ、それでいつ戻ってきたんだ?」
「昨日の夕方頃です。ここに足を運んだのは現在のロシアについてなにか情報があればと」
「流石は俺の一番弟子。速攻気付いたか」
酒瓶を机の上に置き、座り直した師匠が少し嬉しそうに笑う。
一瞬で酔いを醒ましたのか、頬の紅潮が消えた。
「ちなみにどれぐらい現状を把握している?」
「ロシアのほぼ全土に、何者かによって能力を掛けられた民間人が多数存在していることまでは」
「なるほどな、ちなみに今の発言で訂正する箇所は二か所だ」
師匠はどこからか取り出した地図を机の上に広げる。
それはロシアの地図ではなく、地球全土を映した世界地図だ。ただ、至る場所に赤い点が記されていて、それがなにかを暗示しているのが分かる。
「まさか、既に・・・・・・」
「もうロシアだけの話じゃない。ここが種源であることは間違いないが、既に世界全土にその手が広がりつつある」
ありえない。何故誰もここまでになるまで気付かなかったのか。
私が気付かないまでも、ロシアには優秀な特殊対策部隊がいて、近くのヨーロッパにはジャック・グラントとテオドル・チェルニークもいるはず。
私の困惑に対し、師匠はその回答を喋る。
「何故ここまで勢力が広がったのか。それは敵が隠密性に長けていることと、完全な統率力のせいだ」
「統率力ですか?」
「ああ、今まで奴等は支配した民間人を強者には絶対に近付けなかった。分かる者はその異変に気付くからな。だから、ロシアでは一時期行方不明の捜索願が多く出された時期がある」
では、その異変から誰かが動く事は無かったのか?
その答えは、誰も動けなかったらしい。
「すぐに願いが消えたのさ。簡単な話だ。異常が本当の強者に伝達される前に消えれば、誰もそのことに気付かない」
捜索願を出した家族をどうにかしたのか、それともそれを受け取る組織をどうにかしたのか。
どちらにせよ、その規模はロシア全土で考えれば計り知れない数だったはず。にも関わらず、どうにかできるということは、敵の戦力は私の想定よりもかなり高くなる。
「そして訂正二つ目。民間人がなにかしらの能力を掛けられたと考えているようだが、それは違う。これは能力ではなくやつらの特性だ」
「能力ではない特異な性質であるということは、怪物ということですか?」
「そうだ。これが証拠だな。おそらく新種だろうが」
ポケットから取り出したのは一枚の写真。
その中には一匹の虫のような姿をした怪物が写っていた。
確かに今までに見たことのないタイプだが、見た目は全く強そうには見えない。
少し能力が使える人間であれば対処できそうなものだが。
(いや。そういえば、師匠は今、やつらと言って)
最悪の想像が頭を過った。
強さなどは関係ない。一定以上の知恵と隠密性さえあれば、敵の思い通りになる。
虫型の敵、その特性、それが私の想像通りのものであれば、人類史上最も人が死ぬ可能性さえあるものだ。
「本当に最悪だ。もうちょい前に気が付いていれば良かったんだが・・・・・・」
苦笑する師匠の頬には大粒の汗が浮かんでいた。
「今、こうしてお前も異変に気付いているということは。怪物はその存在を隠す必要はなくなったと判断したんだろう」
「師匠、敵の特性は・・・・・・」
「奴等の特性は・・・・・・寄生、だ。様子のおかしかった奴等は諦めろ。もう、全員手遅れだ」
やばすやばす・・・・・・(´;ω;`)





