128話 剣聖VS武御雷
空気が重い。
武御雷はただただジャックを見据えている。彼が動かないのは、初手はお主に譲ってやるというハンデであった。
しかし、それでもなお、ジャックはまだ一歩も動けていない。
額に浮かぶ汗が頬を通じ、地に落ちる。
ジャックが脳内で行った戦闘、およそ二十三回。
その全てを、一刀のもと斬殺された。
「ふぅ・・・」
遠い。
先が見えぬ程の巨峰。
己が剣を奢った事はない。それでもここまでに通用しない相手がいるとはと、井の中の蛙であった自分に苦笑が漏れる。
「ふふっ」
だからこそ、笑みが漏れる。
今までジャックには、剣の師というものが居たためしはない。故に、剣技を自分で磨き、闇雲に何も見えない暗闇の中を試行錯誤で走り続けてきた。
その暗闇が今、空間ごと粉砕され、強引に道を示される。
目の前の存在は、「そんな場所で留まっている暇はない」と、わざわざジャックの場所に降りて手を差し伸べている。
(あぁ・・・楽しいなぁ!)
脳内での戦闘、五十回。返す刀を回避する。
七十回、カウンターを見舞うも、不可視のカウンターで斬殺される。
九十回、彼の初手が変わる。視認する事すら難しい抜刀、斬られた事を認識するのに数秒を要した。
そして、百。
ジャックは百回目の脳内戦闘を終わらせるやいなや、脚に力を入れ、地面を陥没させると、地面を疾走し数秒と掛からず彼に肉薄する。
勢いを一切落とさず、両手でフレーリアの柄を強く握り、左から一気に振り抜く。
首を狙った一閃。
薄氷の軌跡が空間に尾を引き、振り抜いた余波が空気を切り裂く。
間違いなくジャックの生きてきた中で最高の一撃と言えるそれを、武御雷はなんでもないというように、上体を後ろに倒すだけで回避する。
それも、コンマ一ミリすらない、隙間と呼べるかも怪しいギリギリでだ。
「淡いな」
ジャックの左側に移動した武御雷がそう声にした。
武御雷の姿を視界に抑えながら、その軽やか過ぎる体重移動、歩法にジャックは息を呑む。
一切の無駄がない。
故に、全ての動作に余裕が生まれる。武御雷がその気であれば、今の数秒でジャックは数十と切り裂かれていた。だと言うのに、ジャックはその瞳の熱を更に燃え上がらせる。
――ああ・・・もっと、もっと見せてくれ!
ここまで熱くなるとは僕らしくもない、とジャックは笑みを浮かべるが、今更この心を静めるつもりは毛頭なかった。
目の前に、刃を交えている巨峰の頂を見て、この衝動を抑えられるだろうか。
(この一戦、一刀に全霊を尽くせずして剣士は名乗れない!)
膝を僅かに脱力し、足を擦るように地面を移動する。
(・・・ほう、我を模倣するか)
その足捌きは先程武御雷が見せたものだ。本物には程遠いが、それをたったの一度見ただけで、実戦に使えるレベルへと仕上げた事に、【剣聖】の評価を一段上げる。
「ふぶけ、フレーリア!」
振り抜いた剣を強引に切り返す。
その動作に伴う、冷気が空間そのものを凍らせ、地は凍てつく。
――そして、僅かに背を切り裂かれた感触が、ジャックの興奮を急激に冷ます。
ジャックの背後で背を合わせるようにして立ち、千鳥を鞘へと納めた武御雷が呟く。
「まずは一つ」
それは警告。
これが戦場であれば、その一刀で殺しているという事実を突きつける。
ジャックはその瞬間、ほぼノータイムで体を反転させ、剣を上段に構える。
感情が昂っていたのは事実だ。
しかし、脳内での戦闘において既に実力差は嫌という程に実感している。故に、斬られたという事実に驚きはなく、例え腕を両断されたとしても、次へと繋げる技を最適化させんと、肉体を半ば反射的に動かす。
がら空きに見える背へと刃を振り下ろさんとするも、寸前で武御雷の姿が消え、次の瞬間にはジャックと正対する形で、抜刀の構えを取っていた。
(来るッ!)
それは脳内で既に体験したからこそ分かる絶技。
武御雷の抜刀――千鳥を抜き放ち、再度納刀するだけの何の変哲もない動作。されど、それが武神の手によるものであれば、否、武御雷の手によるものであれば、その単純な動作さえ絶技と呼ばれるものへと昇華される。
一呼吸おいて千鳥が抜き放たれる。
眼前の抜刀をジャックは視認できない。およそ人間には反応できない速度で放たれた一刀がジャックの首に迫り、
――寸でで、体を下方に沈めたジャックによって回避される。
見えていた訳ではない。
ただ、武御雷の一刀を予見した。
数百という選択の中から、致命傷にならず、次の攻撃に支障のない最低の回避を試みたのだ。
思わずというように、武御雷は僅かに口に笑みを作る。
理由は明快、面白いのだ。
ジャックの剣技はまだまだ未熟。
しかし、その成長速度は異常。
この数分にも満たない戦闘で、確実に頂へと近づいている。
その瞳に映る光が武御雷の一挙一動を逃さず、全て己の血肉に変えんと、傲慢にも更なる技を出せと欲している。
(いいだろう。その目にしかと焼き付けるがよい)
数段階、上昇させる。
武御雷の一刀を避け、下方に沈んだジャックは、体を左に回転させながら上段に構えていた剣を下へと下げる。
狙うは右下からの斬撃。しかし、相手は既に千鳥を納刀し、次の抜刀のモーションに入っている。
(二、いや三か)
鞘に掛けている手の力み、腕の筋肉の躍動、見える全てで予測する。
(同速である必要はない。寸前でも全ての攻撃を捌ければ次へと繋がる)
再度、千鳥が抜刀された。
呼応するようにジャックもフレーリアで迎え撃つ。音すらも切り裂く斬撃が互いに衝突し、一呼吸に三度衝突した事による衝撃が、互いの髪を揺らす。
「五だ」
武御雷の言葉と共に、ジャックの左頬と右の太腿が浅く切り裂かれる。
予想を大幅に上回る結果にジャックは苦笑を漏らす。少しはその頂が見えていた気になっていたが、どうやらまだ中腹にも届いていない浅瀬であるようだと。
「二つ」
両者の姿が掻き消える。
視認できぬ速度で互いに移動しているのだが、その速度に関わらず地面の砂が舞うことはない。それは武御雷の歩法にジャックが近づいている事の証左でもあった。
刀と剣がぶつかり火花が散る。
直後、ジャックの後方で発現した二本の氷槍が武御雷へと迫る。
普通であれば回避する攻撃、ジャックはその回避先を攻撃しようと剣を振るうが、予想に反して武御雷は千鳥で霞の構え(刀を平行にして顔の横に持ってくる中段構え)を取ると一息に氷槍を細切れにする。
続く一刀、対抗するようにジャックも上段から剣を振り下ろそうとする瞬間、ジャックの意識を縫うように放たれた神速の一刀が、剣の柄を下から掬い上げる様にして放たれた。
宙を舞い、後方へと吹き飛んでいくフレーリアを背に感じながら、ジャックは驚愕に目を見開く。
(虚を突かれたのかッ?!)
剣で戦うと言っても、常に両手で強く握りしめている訳ではない。
必ず力の緩む虚の瞬間は訪れる。しかし、剣の戦いにおいて相手が虚の状態であると判断してから剣を弾こうとしても遅く、反射的な動作が必要である。
そしてジャックの虚は常人の数百分の一程度の時間しか存在しない。
当然、武御雷は偶然ではなく、狙ってその一刀を放った。
武御雷はしばし混乱するジャックの懐に踏み込む。
「戦場で思考を止めるな」
言葉と同時、千鳥の柄頭が軽く、ジャックの鳩尾に触れる。
「ぐふっ!」
軽く触れたとは思えない衝撃がジャックの体を貫き、くの字に体を曲げながら後方へと吹き飛ぶ。
「・・・ははっ、たまらないなあ」
ジャックは自分と同じように地面に転がっているフレーリアを握ると、力強く立ち上がる。フレーリアの刀身からも冷気が漏れ出し、フレーリア自身が全力を出せと所有者に訴える。
「ああ、無論だとも。君こそ大丈夫なのかい」
一体誰に向かって言っているのかとフレーリアの冷気がジャックを叩く。
膝の力を抜き、一息で武御雷の元へと移動する。
対峙する武御雷は千鳥を四度、空間を撫でるように振るった。
同じく、ジャックも四度フレーリアを振るい、体に届く寸前で捌き切る。
「む?」
その僅かに困惑を秘めた声は武御雷のものであった。
千鳥の刀身を見れば、刀身を覆うように氷が纏わりついているのが分かる。いや、それだけではない、飛び散った氷の破片に触れた、服が、地面が途端に凍りつき、花が咲く。
「これは」
――凍てつけ、フレーリア。
ジャックの声に呼応し、千鳥に張り付いていた氷が一気に侵食していき、武御雷の左腕ごと氷の彫刻へと変えた。
フレーリア、冷気を操る神器。
その真価は氷塊を生み出すなどという吝嗇なものではない。
空間、概念、触れたもの全てを凍てつかせる防御不可の剣。その絶対性は例え相手が神であろうとも変わる事は無い。
左腕を封じた武御雷目掛け、ジャックが追撃を掛ける。
剣を水平にし、首を狙った一閃。その剣先が首に触れる寸前、
――ふと、武御雷が口角を上げて笑みを浮かべている姿が視界に映る。
背筋に走る怖気を感じ、ジャックはその場から後方へと飛び退く。
僅かの差さえなかっただろう。先刻までジャックが立っていた場所を含め、武御雷の周囲一帯に雷が落ちる。そして今も尚、霰の如く途切れることなく雷鳴を轟かせながら、雷が踊り狂っていた。
「見事」
それは賛辞。
未だ拙く、武御雷自身も本気ではないと言えども、神に一撃を見舞った勇敢なる者への手放しの言葉だった。
「時間も限られている故、これが最後ではあるが、お主には見せる価値があると断じた――しかと目に焼き付けよ」
この日の事を、生涯ジャックは忘れないだろう。
それ程までに苛烈で、傲慢で、静穏で、美しいその姿を。
――極致、武御雷
轟き続ける雷鳴が止み、武御雷の元へと収束する。
薄く、皮膚に刻印のようなものが走り、瞳は透き通るような水色へと変貌する。体から紫電を迸らせながら佇む姿は、見る者に典麗と畏怖の念を同時に抱かせる。
(来るッ!)
ジャックは反射的に構え、武御雷の一撃に備える。
・・・まさか、その構えと同時に衝撃が襲い掛かるとは思ってもみなかった。
剣を伝わる衝撃が、腕に伝わり、ジャックの手の骨が数本砕ける。
後方に流れている己の体を整えながら、鳴り響く心臓をなんとか落ち着ける。
(なにが起きたッ・・・?! 構えと同時に剣に攻撃がぶつかり、その衝撃に吹き飛ばされたのは分かるが・・・・・・全く、見えなかった)
そして見えない現状は今も変わらない。
視界に隅で、紫電が走っているのが見えるだけである。
次の瞬間、眼前に手刀を構えた武御雷が正対した。
「ッ!」
反射的に剣を振るうも、既に手刀は振るわれた後。
直接手刀が触れていないにも関わらず、体を薄く斜めに切り裂かれ、衝撃でジャックの体が浮く。
(このままではマズイ・・・っ!)
なにも得られずに終わってしまう。
せめて、僅かにでもその領域に踏みこまんと、ジャックは自身に喝を入れると、正面以外の空間を氷の壁で覆う。その厚さは一メートルを超えるものだ。武御雷の姿がみえないのであれば、一方向に誘導する。それがジャックの策であった。
「――薄いな」
その声は背後から聞こえた。
顔を僅かに後方に向け、視線を投げる。
(ははっ・・・手刀で切れるのか)
そこには一メートルの厚さを超える氷壁を右手の手刀で切り刻み、既に懐に踏み込んでいる武御雷の姿があった。
強引に背後に体を向けるジャックの腹に、そっと右の掌を添える。
「轟け、鳴神」
万雷の咆哮がジャックの体を穿ち、その意識を刈り取る。
そのまま修練場の壁へと衝突すると、力なく地へと沈んだ。
「悪くはなかったぞ、剣聖。もし次があるのならば、二本目を抜かせて見せろ」
そう言い放った武御雷はジャックの指が僅かに動いたことに笑みを浮かべると、目を瞑り、体を本来の持ち主へと返す。
「・・・いや、腕ぐらいなんとかして戻ってくださいよッ?! えっちょっと待って、感覚が無くなって来てるんだけど!」
凍りついた左腕に叫ぶ隼人の姿だけが後に残った。
ジャックもまた天才の一人という事ですね(*´▽`*)
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