110話 色欲の狐
久しぶりに爆睡してました(;´∀`)
見渡す限りの白。
目を開くと、いつの間にかそんな何もない空間に立っていた。
「ここは?・・・っ!」
いや、なにもないというのは訂正だ。
俺の背後、ほんの数メートルの距離に一つの神殿のような建築物が鎮座していた。
全体的に白いが、その材質はなんなのか全く分からない。
石のようでもあるし、未知のものかもしれない。一つ言える事は、自然と吸い込まれてしまうような美しさを誇っているという事。まるで深海に沈む真珠のようだ。
ふらふらと、甘い蜜に誘われる虫の如く神殿に近づき、手を伸ばす。
「えっ・・・?」
しかし、触れようと伸ばした手は空をきる。
距離を見誤った訳ではない。確かに、目に見えた柱に手で触れたはずだった。ところが、触れたはずの神殿は霧のように揺らぎ、その実態に触れる事が出来なかったのだ。
驚き後ずさったのも束の間、己の左肩を何者かに凄まじい力で掴まれる。
「あぐっ?!」
あまりの激痛に眉間に皺を寄せながら左肩を見ると、真っ黒い靄のなにかが左肩にへばりついていた。
恐る恐る、呼吸を乱しながら徐々に首を回していく。
そして後悔した。
それを見てしまったことに。
いつの間にか、そこは白い空間ではなく。漆黒の靄に包まれた、目視するだけで身震いする空間に変わっていた。
靄から伸びる手が俺の肩を掴んでいたのだ。
恐怖に駆られた俺は必死に逃げようと意識はするものの、脚が震えて動かない。カタカタと顎が震えだし、心臓が掴まれるような圧迫感を覚える。
そして、数秒の停滞、その時間は恐怖に満ちた表情を浮かべた俺を嘲笑っていたのか、別の理由があったのかは定かではない。ただ、その停滞の後、靄から数百、もしかしたら数千かそれ以上の腕のような形をしたものが恐ろしい速度で迫ってきた。
・・・
「うわぁあああああ!!!! ・・・・・・はぁ、はぁ・・・夢、か」
はぁ、と心の底から安心した吐息を吐いて胸を撫で下ろす。
体中から噴き出した汗が気持ち悪い。
恐ろしい夢だった。
あれは一体なんだったのか。この世界に存在する怪物だというのが最も正答に近い回答なのかもしれないが、あんなものが本当に存在するのだろうか。
いや、深く考えるのはよそう。
たかが夢だ。現実とは無縁、あんな、身の毛のよだつような、死の化身とでもいうような存在がいるとは思えない。
「ふぅ、シャワーを浴びるか」
ストレスとはいかないまでも、俺の胸の内の悩みが悪夢を見せたのだろうと思う。
それというのも、一週間前の蒼との、俺の妹だという少女との二人で外出した日の最後。丘の上での彼女の表情が脳から離れない。
泣きそうな顔で無理矢理に作った笑みが、あの儚い姿が鮮明に目に焼き付いている。
無性に自分に腹が立つのは、以前の記憶がまだ残っているという事だろうか。
なにか大きな間違いを犯してしまったと思えて仕方がない。大切なものを自分の手から零れ落としてしまうような、すぐ傍にそれがあるのに、鍵の掛かった扉が邪魔をするような、そんなもどかしさがある。
「気にしても仕方ないか・・・」
ベッドから足を下ろし、タンスを開いて着替えを準備すると風呂場へと直行する。
シャワーで汗を流す中、今日はどうしようか考える。
外を見る限り、雨が降りそうな様子はない。気分転換に近場をぶらついてみるのもいいかもしれない。
「あれっ? お兄ちゃんお風呂に入ってるの?」
風呂場のドアを挟んで妹の声が聞こえて来る。
「少し汗をかいていたからシャワーで流していたんだ。蒼はどうしたんだ?」
「今日はちょっと用事があるから外に出てこようと思って伝えに来たの」
「それは奇遇だな。俺も気分転換に近場をぶらつこうと思っていたんだ、一緒に行くか?」
「う~ん、今回は止めておくよ。それよりも外は危険だからなるべく直ぐに帰って来てね」
「ああ、分かってる」
それだけ告げると、蒼はドアから離れていく。
正直、今は顔を合わせると心が嫌にざわつくので一人で行動出来て安心した。
汗を流し終り、着替え終わるとリビングで軽く朝食を取った後、家を後にする。
「さて、何処に行こうか」
取り敢えず足を動かして住宅街を歩き回る。
ちなみに、外出時には絶対つけるようにと蒼に念を押されているので、サングラスも着用済みだ。変質者かと疑われないかが少々心配だ。
たったっと、小気味良い足音を立てながら街中を気分の赴くままに移動する。
外壁の上で寝ている猫、楽しそうな声で遊び回る少年少女達。今の俺からすればその全てが異常に映る。
ここ数日、怪物という災害について調べた。
いつ訪れるのか、その強さも、対処法も何も分からず突然に姿を現す災害。中には国すらも脅かす脅威のものも存在するらしい。
そんなものが存在する世界でどうしてまともな精神状態でいられるのか・・・分からない。もし、目の前に怪物が出現したのならば、俺は自害するかもしれない。俺にとってはそれ程の脅威に映る。
ふと、俺は足を止め、顔を右に回す。
そこには古風な神社が建っていた。
「・・・神頼みでもしてみるか」
別にそれでなにかが本当に変わるとは思わないが、少しでも心を落ち着かせることが出来る理由が欲しかった。
階段を上り、赤い鳥居を潜って参道を歩く。
社殿に着くと、脇にある手水舎で手を清める。
財布から五円を取り出すと、賽銭箱にそっとお金を入れて鈴を鳴らす。
(怪物がこの世からいなくなりますように・・・)
たっぷり数秒祈り続けると、合わせていた手を解き、社殿に背を向けた。
チリンっ
鈴の音が鳴った。
前方の頭上付近からだ。社殿には背を向けている訳だから社殿に吊るされた鈴ではない。一体何処から音が聞こえたのかと不思議に思いながら顔を上げる。
「ず、随分と・・・雰囲気が、違うね・・・」
綺麗な、それこそ鈴の音が鳴るような声だ。
俺は自分の目を疑った。
鳥居の上に、一人の少女、いや女性というべきだろうか。兎も角、大学生程に成熟した女の子が鳥居の上に座っていた。
しかし、俺が驚いたのは、その罰当たりな行動に対してではない。
勿論、その行動に異議を申したいのは山々ではあるが、それよりも、彼女の容姿が普通のひとのそれとは大きく異なっていた事に目を見開いた。
尻尾だ。
狐のような尻尾。それが九本、女性のお尻の付近から生えていた。尻尾だけではなく、頭部からも狐のものと思われる耳が生えている。ただ、その顔や体は人間のものと遜色ない。着物から覗いている肌も人間のそれであった。
「あ、貴方は」
女性は鳥居からそのまま地面に降り立つ。
重力を感じさせないように軽やかに、羽織っている着物を靡かせて、カツンっと音を立てて、異様に長い下駄の歯が地面に接触する。
「やっぱり・・・以前見た時と、明らかに違う。・・・別人?」
「なっ?!」
気付いた時には、狐の女性は俺の目と鼻の先にいた。
女性の黄金色に輝く長髪が靡き、九本の尻尾が興味深そうに俺の周囲をふよふよと独特な動きで左右に振られている。女性の瞳をよく見ると、左側が赤く右側が金色のオッドアイであった。
「初め、まして・・・私は、暁。貴方は・・・はやとくん?」
「ど、どうして俺の名前を・・・」
「貴方は、有名人だから・・・それよりも、様子がおかしい・・・なにか、あったの?」
「え、えっと」
頭が混乱してどうすればいいのか分からない。
まず、彼女は人間なのか? それとも別の何かなのだろうか。
しかし、目の前の女性からは敵意のようなものは感じない。
しどろもどろになっている俺に、女性、暁さんは白い腕を伸ばして両側から俺の頭を優しく挟み込む。
「貴方には・・・少しだけ、恩がある。油揚げ・・・いっぱい食べられたから、その分のお礼はする」
暁さんの両目が光り輝く。
何故か見ているだけで呑み込まれそうな感覚に陥り、一歩足を下げる。
「大丈夫、安心して・・・私の能力は、【色欲】。・・・精神に関して、私の右に出る者はいない」
何処かで聞いたことのある言葉だった。
しかし、何処でだったか思い出そうにも思い出せない。
周囲の空間の色が一段落ち、思わず息をするのも忘れてしまいそうな程の緊張が走る。
(これが、暁さんの能力?・・・一体なにをしているんだ)
なにかが起こっているのだろう事は分かるが、その凄さが全く分からない。
ただただ暁さんの作業が終わるのを唾を飲んで待つ。
「なに、これ・・・? 魂がずれてる。・・・それに、何重にも封印が施されてる・・・これじゃ、本来の才能の半分もその本領を発揮できない・・・」
数秒とかからず暁さんはそう言うと、俺の頭から手を離す。
「えっと、どういうことですか?」
「ごめん・・・思った以上に、結界が強固。時間をかければ解けるけど、少し嫌な感じがするから・・・やめとく」
「そ、そうですか」
記憶が戻るのではないかと淡い期待を抱いたが、やはりそう簡単に解決する者ではないらしい。
「その結界は・・・多分、十年は昔に付けられたもの」
「十年は前?」
それはおかしい。
俺の記憶がなくなったのは二週間ほど前のはずだ。ならば封印は、記憶に関係していない別のものなのか?
「なにかあったら、またここに来るといい・・・油揚げを持ってきてくれたら、もうちょっと頑張る」
「分かりました。えっと、その時はお願いします」
取り敢えず敵ではなさそうだから大丈夫だろう。
それよりも、また悩みの種が増えてしまった。
封印に関しては蒼に聞いたら分かるだろうか。





