第97話
礼庵の診療所-
礼庵が往診から帰ってくると、婆があわてたように玄関へ出て来た。
婆「先生、お客様が…。」
礼庵「ん?…どなたが?」
婆「…沖田はんです…」
礼庵が顔を輝かせた。
礼庵「久しぶりだ…すぐ行きます!」
婆は、少しとまどったような顔でうなずいた。礼庵は自室に入って羽織ったものを脱ぐと、すぐに客間へ行った。
礼庵「総司殿…お待たせして申し訳ありません。」
礼庵が部屋へ入りながらそう言うと、総司が沈うつな顔をあげた。
礼庵「!?…どうしました?」
礼庵は驚いて、総司の前に座った。
総司「…礼庵殿…」
礼庵「どうしました?…何かありましたか?」
総司「…可憐殿と…もう会えぬことになりました。」
礼庵「…!?…」
礼庵はしばらく声が出なかった。
礼庵「…どうして…?」
総司は、可憐の両親が近藤のところへ、総司と可憐を別れさせるように頼みに来たことを、礼庵に告げた。
それを聞いた礼庵は立ちあがった。
総司「!?…礼庵殿?」
礼庵「…一緒に、可憐殿のところへ参りましょう!」
総司はふとうつむいて、首を振った。
礼庵「何故っ!?言われるまま別れるというのですか!?」
総司はうなずいた。
礼庵は驚いて、総司を見つめた。
総司「…このままあの方の親に逆らって付き合い続けても、幸せにはなれない…」
礼庵「!……」
総司「それならば、今、幸せなうちに別れた方がいい思い出だけを残すことができる…そう思うのです。」
礼庵「…総司殿…」
総司「ついさっき可憐殿に文を書いて、中條君に届けてもらったところです。」
礼庵は黙って再び座った。
総司「…あの人に…弱っていく自分を見られるのは嫌だとずっと思っていました。…丁度潮時でしょう。」
礼庵は何も言えずに黙っていた。
総司「礼庵殿…あなたには本当にお世話になりました。」
総司がそう言って手をついて礼庵に頭を下げた。礼庵は驚いてその総司の肩に手を当て、頭を上げさせた。
礼庵「総司殿…許してください…あなた方に何もしてやれなかった…許して…」
礼庵は、それだけを言うのがやっとだった。
不覚にも涙がこぼれた。あわててその涙を見られまいと背を向けた。
総司「礼庵殿…許してもらわねばならないのは私です。…あなたにあれだけ迷惑をかけておきながら、何も返せなかった…。」
礼庵は背を向けたまま首を振った。
静寂に礼庵のこらえた嗚咽の声だけが響いている。




