第88話
新選組屯所 総司の部屋-
ふすまの外から、中條の声がした。
中條「沖田先生、お食事をお持ちしました。」
総司、驚いて飛び起きる。
総司「…えっ!?…食事…?」
朝練の時間は過ぎたらしい。いつの間にか眠ってしまったのだった。
総司「あ、中條君ありがとう…入って…」
中條の返事が聞こえ、ふすまが開いた。
総司「寝入ってしまったらしい…朝練に出るつもりだったのに」
総司が中條に苦笑しながらそう言うと、中條が驚いて首を振った。
中條「お昼から巡察がありますのに、無理をなさっては…」
総司「ありがとう…。いつも心配ばかりかけてすまないね。」
中條は照れくさそうな表情をすると、頭を下げて出て言った。
総司は、湯気のたった食事をしばらく見つめていた。…食欲がない。しかし、食べなければまた、皆に心配をかけてしまう。
総司は、箸を取った。
……
食事をなんとか済ませて、総司は文机にひじをついて、外を眺めていた。
総司「…私は…負担になっているんじゃないかな…一番隊に…」
思わず呟いている。
総司「そもそも私は、隊を引っ張っていくような能はない…ましてや、こんな病をもった長なんて…」
総司はふーっとため息をつき、文机に顔を伏せた。
総司(今が潮時なのかもしれない…。土方さんに言われた通り、隊を離れて養生した方が、皆に迷惑をかけずにすむ…)
総司は真剣に悩んでいた。隊を離れたくない。しかし、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない…。
総司(隊を離れるくらいなら、いっそのこと…斬られて死んでしまいたい…)
本気でそう思った。
外は雨が降っている。
総司はその雨を見ながら、ふと可憐の事を思った。
総司(昨日、会えてよかった…)
総司は、可憐に赤い塗りの櫛を贈った。可憐の嬉しそうな顔…。思い出しては胸が熱くなる。
総司(しかし…あの人はこんな私にどうして…)
なかなか会えないだけではない、新選組という危険な務めに従事し、その上、労咳という病を持っている自分に、いったい何の魅力があるというのだろう?
何度か聞こうとしたことがある。
だが、顔を見ると聞けなくなってしまう。その人の顔を見ると、辛いことや嫌なことが溶けてなくなっていくのを感じる。それで自分は満足してしまう。
総司にとっては、可憐はなくてはならない存在なのである。
しかし、可憐も年頃の女性である。縁談もあるだろうし、いずれ自分から離れていくだろう。
…総司には引きとめる資格などない。その時には、笑顔で見送ろうと決めているが…正直それができる自信はない。
せめてその別れの日まで、会えるだけ会いたい。そして少しでも自分に尽くしてくれる可憐に、恩を返したい。
そう思うが、いつも自分の欲求のままに可憐を振りまわしているだけで何もできない。それが情けなかった。
それに…。
総司にできることと言えば、可憐に会った時、咳込んだりしないように体調を整えていくことくらいしかできない。しかし、最近はそれすらもできないでいる。
総司(縁談が来る前に、愛想をつかされてしまうな…)
総司は独り苦笑した。
総司「可憐殿…」
総司は、ふとそう呟いて文机に伏せた。あと数刻で巡察の時間である。それまで、可憐のことを思っていたい…。
総司はいつの間にか、雨の音を子守唄に、文机に伏せたまま眠りに落ちていた。




