第84話
とある居酒屋-
総司と九郎は、向かい合わせに座っていた。九郎が少し緊張ぎみに酒を前にして固まっている。
総司「どうしました?…どうぞ。」
総司が、銚子を持って九郎を促した。九郎は、あわてて今ある酒を飲み干して、杯を受けた。
総司「何かあなたらしくないようですね。中條君とはもっと飲むのでしょう?」
九郎「いや…沖田殿…あなたのような方がこんなところで飲んでいいのですか?」
総司「?…どうして…?」
九郎「どうして…といわれましても…。…何か沖田殿には似合いませぬ。」
総司「酒を飲むのに、似合うも似合わないもないですよ。」
総司はにこにことして言った。九郎は「はあ」と言って黙りこんだ。
総司「それよりも…あなたは江戸の方のようですが、どうして京へ来られたのです?」
九郎「…え?」
九郎は、突然話を振られて、しどろもどろに答えた。
九郎「…そ、某は…その…。江戸にあきたのでございます。」
総司「…江戸にあきた…?」
九郎「京にくれば…何か違う人生が開けるかと思ってきたのです。…でも、結局やっていることは、江戸にいるときと同じようなこと…。江戸も京も同じでした…」
総司は、近藤、土方について江戸から京へあがってきた時のことを思い出した。…あの時は何か皆、夢を持って京へあがったのだった。…ある意味、それは叶ったようにも思えるが、少しむなしさを感じることも事実である。
総司「江戸へは、戻らないのですか?」
九郎「同じなのですから、戻る必要もありません。京言葉にも慣れて来ましたし。」
九郎がそう苦笑しながら言った。総司も笑いながら「そうですか」と言い、酒を口に含んだ。九郎が空いた杯にあわてて注ぐ。
総司は、それをまた飲んで遠い目をしている。
九郎「…沖田殿…何かありましたか?」
総司「…え…?」
総司は、はっとして九郎を見た。
総司「ああ…いや…。私もあなたのように江戸を出る時…何か志を持っていたことを思い出していたのです。」
九郎「どんな志だったんですか?」
総司「…さぁ…もう忘れました。」
総司がそう苦笑しながら言った。
九郎「今は…何も志はないのですか?」
総司「…今ですか…?」
九郎は「はい」と答えて、総司を見つめた。総司は酒を一口飲んで、また遠い目をした。
総司「志というものではないけれど…少しでも長く生きていたい…。それだけかな…。」
総司の病のことを知らない九郎は、心の中で(なんだ、案外女々しいんだな)と思った。しかし、もちろん口に出しては言えなかった。
総司「九郎殿は?」
総司はそう言って、九郎の空いた杯に酒を注いだ。九郎は、それを飲み干してから答えた。
九郎「私は…長く生きようとは思いませぬ。」
そうとしか言えなかった。別に志があるわけではない。その日その日が満足できればそれでよかった。
総司「命を粗末にしてはだめですよ。」
総司が微笑みながら、そう言った。




