第52話
祇園の料亭-夜
一番末席に座っていた山野と中條は、立ちあがって部屋を出て行った総司を、不思議そうに見送った。
山野「どこに行かれたのだろう?」
中條「…ええ…」
その時、総司の横にいた舞妓が二人の間に来て、腰を下ろした。
舞妓「まぁ…ええ男はんが、ほったらかしにされて気の毒どすな。…すんまへんなぁ。今日いきなりやったから、皆、他の座敷に取られてしもて…。うちらだけで、勘弁どすえ。」
山野と中條はあわてて首を振った。二人は総司と同様、どちらかというと、こういう宴は苦手な方なのである。
舞妓は、銚子を手に取り、二人に杯をすすめた。
二人は、それを受ける。
山野「…あの…沖田先生はどちらへ?」
舞妓「へえ…ここの女将さんに呼ばれて、別の部屋へ行きはりましたわ。」
中條「女将さんに?」
舞妓「へえ…それで…沖田はんから、お二人に言伝どす。」
二人は同時に「え?」と尋ねた。舞妓は声を低めて言った。
舞妓「…ここに居づらかったら、先に帰っていいとのことどす。今夜は土方はんに許しを得ているから、好きな所へ行ったらいいと…。」
二人は少しほっとしたような表情をした。
山野「…本当に、いいんでしょうか?」
舞妓「へえ…でも、目だったらあきまへんえ。こっそり出ておくれやす。」
二人は舞妓に礼を言い、やがてこっそりと出て行った。
何も知らない他の隊士達はすっかり上機嫌で舞妓達と遊んでいる。
……
山野と中條は料亭を出ると、同時に伸びをした。
そして、お互い顔を見合わせて笑った。
中條「山野さん、想い人さんの所へ行かれるんでしょう?」
山野は頬を染めた。中條に心の中を見透かされたような気がした。
山野「え、ええ…。そのつもりです。中條さんは?」
中條「僕は、月でも見ながら屯所へ帰ります。」
山野「どこにも行かずに?…こんな夜はめったにないのに…」
中條「そうですね。でも、行きたいところなどないし…」
山野は、どう言えばいいのか分からずに立ちつくした。
中條「…じゃぁ、ここで。行ってらっしゃい。」
山野「ええ…なるべく早く戻ります。…おやすみなさい。」
中條「おやすみなさい。」
二人は、お互いに背を向け歩き出した。
……
中條は月も見上げずに、屯所へと向かっていた。
自分の下駄の音が響く。さほど遅くもない時間なのに、誰も歩いていなかった。
…寂しかった。こんな時はいつも、江戸から京へ出てくる時に独りでいたことを思い出してしまう。
中條は、早く屯所へ戻ろうと足早に歩き出した。
その時、後方から人が走ってくる足音がした。中條は、思わず刀に手をかけ、そっと振り返った。
中條「!…山野さん?」
山野が中條に向かって走ってきていた。
山野は、中條の傍までくると、息を整えながら言った。
山野「…夜遅すぎて、怒られましたよ。」
中條「…え?…」
山野「さぁ、屯所へ戻りましょう。」
中條「…でも…」
山野は中條の前に立って歩き出した。
中條はあわてて山野を追うように歩く。
山野は、本当は想い人に会いに行かなかった。行こうとしたのだが、何か自分だけが好きな人に会うのは、悪いような気がしたのだった。
二人はしばらく無言で歩いていたが、やがて中條が呟くように言った。
中條「…山野さん…すいません…」
山野はぎくりとしたが、振り返らぬまま「何のことです?」と笑った。
月は、そんな二人を黙って照らしている。




