第10話
祇園 料亭天見屋の奥の廊下-
男と総司はしばらくにらみ合っていたが、男の方が先に口を開いた。
男「…おぬし、いい度胸をしているな。私が刀を振り上げても、怯えた風もみせなかった。…おぬしの名前を教えていただきたい。」
総司「沖田です。」
男「どの藩だ?」
総司「そちらが名乗っていただければ名乗りましょう。」
男はしばらく黙っている。どうも総司を敵方と思っているらしかった。総司も男が名乗らないのをわかって言ったのだった。
男「…沖田だな。覚えておく。」
男はそう言うと、総司と舞妓の横をすり抜けて立ち去っていった。そして女将の横を何も言わず通り過ぎようとした時、女将がばんっと男の尻を叩いた。
総司と舞妓は驚いて目を見開いた。
男「いてぇなぁ。勘弁してくれよ…女将。」
男が振り返って頭を掻いている。女将は「これですんだだけありがたいと思いなはれ!」と言い放った。男はぶつぶつ言いながら、立ち去っていった。総司は「ここの女将は怖いものなしだ」と、土方が言っていたのを思い出した。
女将「すんまへん。そちらの若侍はん、大丈夫どしたか?」
総司「女将さん、お見事ですね。」
総司がにこにことして言った。
女将「ここはうちの店どす。勝手する人には、ばしっと叱らな調子に乗りますよってな。」
女将もにこにことしてそう答え、総司の胸の中にいる舞妓を見た。
舞妓は嗚咽を繰り返している。
女将「…あんた…またやったんか?」
女将がため息混じりにそう言うと、舞妓はこくりとうなずいた。
総司「またって?…何をしたというのです?」
女将「すんまへん、若侍はん…。この子、まだお座敷に出て間もない子なんどす…。だから…」
女将はそこまで言って、舞妓に向かって言った。
女将「また、お酒かけたんやろ?」
舞妓は再びこくりとうなずいた。総司は目を見開いた。
総司「それだけのことですか?」
女将は「へぇ」と苦笑した。
女将「それだけと言ってくれはるのは、お侍はんだけどすやろな…。普通の男はんというのは、何か理由をつけてこの子らにいたずらしようと思ってるもんどす。…この子はこの前も手が震えてしもて、えらいはんの袴に酒をこぼしてしもて…」
総司は泣きじゃくっている舞妓を気の毒そうに見た。
総司「その時はどうしたのです?」
女将「もちろん、なんもさせますかいな。うちが一喝して終わりどす。」
総司はそれを聞いて微笑んだ。女将は、その総司の顔を見て頬を赤く染めた。
総司「じゃぁ、私がでしゃばらなくても大丈夫だったのかな。」
女将「いえ、そんなことあらしまへん。うち、今お酒が足りんかったさかい、買い付けに行ってたんどす。時間稼いでもろて助かりましたわ。」
総司は「それはよかった」と答え、そっと舞妓の体を自分から離した。
総司「これからは気をつけるといい。…女将さんにあまり迷惑をかけないようにね。」
舞妓は頭を下げて、涙声で「おおきに」と言った。
総司「名前を聞かせてもらっていいかい?」
舞妓はふと恥ずかしそうにしたが「あやめ」と小さい声で答えた。
総司「あやめさんだね。…覚えておこう。私は、沖田。沖田総司と言います。」
それを聞いた女将は、驚いたように両手を口に当てた。




