25話 インテリジェントな爆発
「そ、そうなんだ。春香は将来科学者になりたくて、それであの美人の先生に……」
「そうなの。……隠しててごめんなさい」
「ううん、教えてくれて嬉しいし」
春香と洋子が会話をしている。洋子はぎこちなくも笑顔だし、春香も心なしかすっきりとした顔をしている。ちなみに、この場に洋子を呼ぶことを提案したのは大悟だが、春香は承諾している。まあ、洋子の前では春香の化けの皮はかなり剥がれていたので、今更という気もするが。
(近藤さんがフォローしてくれたら、春日さんも学校でやりやすくなるだろうし……)
大悟はとしては洋子に期待するところ大である。そんな彼の前に、上級生が立った。
「さて、正直君の説明は半分程度しか分からなかったけど……」
達也が首をひねりながら言った。そう言えば、これはインターンのレポート発表会だった。百万人以上に影響する薬剤の副作用とか、世界の裏側に居る組織とかですっかり吹き飛んでしまった。
(そもそもインターンしてた記憶がないけど……)
あのフェリクスでゲームの開発が見られると興奮していた昔が懐かしい。
「とにかく、PRISONに現在の技術を超えたバックドアが組み込まれていることは理解した。大場先生も太鼓判を押していたしね。虚数ビットなんて、まず思いつかない発想だそうだ。…………流石春日君が見込むだけのことはあるみたいだね」
「いや、あれはそのたまたまORZLとかの知識があったのと……」
「その春日君の仮説が元なんですけど……」そう言おうとしたが、達也は「インターンとしての評価は最高点になるように責任者に推しておく」といって大場の方に戻ってしまった。大悟としてはあのゲームプロジェクトの今後が気になるが、今は良いだろう。
「例によって大悟が解決しちゃったね」
綾が言った。洋子と話していた春香がびくっと震えた。大悟は慌てて首を振る。
「違うぞ。今回の仮説、ORZLの形を考えたのはあくまで春日さんなんだぞ」
「ふーん。その春日さんの評価は?」
「……仮説は思いつかないって言ってたのに結局…………虚数ビットなんてとんでもない仮説を考えて……。私は九ヶ谷君のシミュレーターじゃないのに……」
春香は裏切り者を告発するようなことを言う。全く身に覚えのない罪状だ。自主的に、鬼気迫る表情でだが、計算してたじゃないか。
「ほ、ほら今回はちゃんと仮説を思いつくまでいったんだし、あと一歩だったんだよ」
「すごい上から目線……」
そっと言ったのは洋子だ。綾が頷いた。春香は顔を伏せて肩をふるわせた。
「いや、そもそも春日さんが複素数のこととか教えてくれたから思いついたわけで……」
「遊園地でデートしながら?」
綾が混ぜ返す。
「デ、デートじゃないぞ」
「そうよ、あれはあくまで仮説の検討会であって、それがたまたま遊園地という場所だっただけ」
春香も大悟に合せる。大悟は洋子を見た。今こそフォローすべき時。だが、洋子が口を開こうとした時。
「へえ、夏美には観覧車からの写真を見せてもらったけど、まさか一人で乗ったんじゃないよね」
「…………」「…………」
綾がスマホに、彼の妹から送られたのであろう写真を表示した。画面の端に、ださいTシャツの端が映っていた。
「観覧車で二人っきり……」
洋子まで何か裏切られたような顔になっている。誰が原因だと言いたい。
「そ、それよりさ。さっきの話の意味なんだけど。さっぱり解らなかったんだ。ほら、あの猫が組織を追放された理由云々ってやつ」
大悟は話題を変える、ついでに普通の高校生アピールもできる一石二鳥というわけだ。
「虚数ビットなんて思いつく人に、私が教えることなんてあるかしら……」
「だからさっぱりだって言ってるのに……」
大悟は頭を抱えたくなる。そんな彼をあきれたように見てから、綾が口を開く。
「私も技術的なとこはさっぱりだけど、ようするに向こうの目的は超A.I.の開発ってことで良いのかな。春日さん」
「ええ、そう考えると全てが繋がる」
「ちょ、超A.I.?」
「わかりやすく言えばシンギュラリティの到達をLczを使って早めるってこと」
「シンギュラリティー……、あっ、ブラックホールの特異点?」
大悟は『世界を織りなすもの』を思い出した。全然わかりやすくない。
「この場合の特異点は知的特異点。人類の知性をコンピュータが超えた瞬間のこと」
春香が答えた。大悟と洋子は思わず顔を見合わせた。
「S.I.S.が言ってたG-Maker。世界の情報重心をある程度でも操作できるということは、少なくともそれに近い力があると考えるべきなの」
「同意見。まあ、詳しいところは私たちよりも……」
綾が金髪を揺らしながらこちらに来る少女を見た。
「S.I.S.のDAIGOへの答えを復号するには、私の部屋のワークステーションが必要だから、もうちょっと待ってね。出来たら連絡するから家に来て」
ルーシアは大悟を見て言った。どうやら回答は1ビットではないらしい。
「わ、私も興味があるわ」「私も知りたいな」
春香と綾が揃って声を上げた。大悟としても隠すつもりなどないので頷いた。ルーシアは「OK」と気軽に頷いている。
「それはそうと、話の続き。知的特異点だっけ……」
大悟は方向修正をした。
「そうね、一種の知能爆発を起こそうとしてるんだと思う」
ルーシアは言った。一瞬で話に入り込んでいる。
「知能爆発?」
知的特異点に知能爆発、おおよそ物騒で相容れない感じの単語が繋がる。いや、G-Makerは特異点を使って爆発を起こそうとしたのだから、繋がらなくもないのだが……。
「コンピュータが自分自身を改良する段階ね。例えば今回の虚数ビットとFPGAは単純にディープラーニングなんかに適応するだけでも、その効果は絶大。圧倒的な効率化を実現する」
大悟は恨めしげに春香達を見る。この場で彼の気持ちを分かってくれそうなのは……。
「なんで私の方を見るの、私今の話に全然ついて行けてないから、聞かれても無駄だけど」
洋子が引き気味に言った。
「…………ええっと、じゃあだけど。それが出来たら、何が出来るの?」
「それが予測不可能だから特異点なんだけど……。簡単に言えば何でも。例えば、さっきみたいな病気の予測、治療手段の解明」
「コンピュータネットワークによる世界の効率的なコントロール」
「経済分野なら経済危機に陥らないようにとかね」
春香、ルーシア、そして綾が言った。
「良いことばかりに聞こえるけど……」
「だね。世界を支配できるだけの力だよ」
綾が言った。残りの二人が頷き、大悟と洋子が顔を引き攣らせた。
「自分で自分を改良するプログラムよ。人間よりも遙かに早く進化する。何しろ獲得形質が遺伝するようなものだから」
春香が説明する。要するに天才にして秀才の子供が頭が良い資質をもって生まれてくるのではなく、親が身に着けた知識や思考と更にそれを発達させる資質を持って生まれてくると言うことらしい。反則だ。
「最初に知能爆発に成功したら、その優位が二度と消えない。人類が二度と追い越せないのはもちろんとして、他の人工知能も、例えば圧倒的な力でハッキングされたり、知能の成長の糧である情報を独占されたりで、二度と勝てなくなる。人類がある程度の文明を獲得した時点で、他の全ての動物はどれだけ進化してもスピードで勝てなくなった感じ。つまり……」
「最初にそれを開発したものが、世界を支配できる」
綾が結論を引き取った。
「この言い方は好きじゃないけど、神を開発する試みだって言い方もある」
春香が付け加えた。大悟は唖然とした。さららのような純粋に学問的な目的とはかけ離れている。
「じゃあG-MakerのGはゲームじゃなくて……。God」
大悟は今度こそ息をのんだ。




