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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第二部『コイン』

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7話 PRISON

 大悟達の先輩にしてインターン先の上司であるらしい達也がドアを開けると、光源はモニターの光だけの薄暗い部屋が見えた。三つ並んだ机の真ん中に、黒い人影が見える。


 作業者は規則正しく聞こえるほどの速度で、キーボードを叩いている。肩のラインの細さなどから女性だろうか。彼女のモニターには、無数の点と線の結びついたグラフと、それに重なるように表示された赤い模様があった。


 それはまるであの地下室のようだ。違うのはその横にあるのが空間の折り紙ではなく、四角が線で繋がったようなダイアグラムだ。


「紹介するよ。ESOプロジェクトの技術顧問だ。と言っても……」


 カタカタという音が止まり、HMDを付けたままの顔が振り向いた。モニターの光を反射して彼女の髪の毛が金色に輝いた。彼女は目を覆った大仰な装置を外す。


「君たちは知ってるだろうね」

「ルーシアさん」


 春香がつぶやいた。そう、そこに居たプログラマーは大悟達の新しいクラスメイトだ。


「ルーシアさんは確か和菓子工場じゃなかったかしら」


 春香が警戒するように聞いた。


「私のはインターンじゃないよ。ほんとうのお仕事だね」


 ルーシアは何でもないように言った。


「さきほど君たちが指摘した問題を解決するソフトウエアの革新的技術。それが彼女に任せている『PRISON』なんだ」

「でも、ルーシアさんは転校してきたばかりで……」


 春香が声を固くして言った。フェリクスなら海外にも開発室があるだろうが、それでもおかしい。


「ああ『PRISON』自体はフェリクスが作ったものじゃないんだ。オープンソースとして開発されていて、世界中の様々な業界で今まさに採用事例が出ている。金融機関や特許がらみの研究開発、製薬試験なんて強固なセキュリティーを要求されるケースでね。彼女はその開発コミュニティーのコアメンバーの一人だ」


 ルーシアはキーボードを叩いた。大きなスクリーンに大量の文字列が流れる。


「PRISONのプログラムコードはこのとおり、誰でも見ることが出来て、誰でも改良することが出来るの。例えば、ここのプログラムは私が書いた。おかげで効率が2パーセントアップ」


 無邪気に説明するルーシア。オープンソースは不特定多数のハッカーのコミュニティーによって開発されるのだという。プロジェクトの目的や技術的挑戦に共感や興味を持った腕利きプログラマーが国籍も所属組織も関係なく協力し合っているというのだ。


 ハッカー達は、ネット上に公開されたソースコードをデバッグ、改善しながら進歩させていく。


(オープンワールドとかフリーのゲームエンジンみたいなものかな……)


 大悟はかろうじてそうイメージした。だが、先程の達也の説明ではPRISONはセキュリティーを司るのではなかったか。


 目の前のコードは大悟にはただの暗号。だが、見る人が見れば、例えば春香なら、意味がわかるはずだ。そんな丸裸のプログラムにセキュリティーをゆだねるというのは違和感があった。


「ゲームソフトに自分だけ有利になるバグや裏技を仕込むみたいなことになりませんか?」


 大悟は思わずそう尋ねた。達也は「ちっ、ちっ、ちっ」と指を回す。


「現代に於いてセキュリティーというのは秘密、ではなく原理によって担保されてるものなんだ。例えば現代の電子商取引《EC》、ネット通販だね。その気になれば誰でものぞき放題のインターネットをクレジットカードの番号が行き来する。これを支えるのは暗号技術だ。暗号のメカニズムそのものは公開されている。数学上の、これはボクもそこまで詳しくないけど、計算困難性という原理が支えている」


 大悟は春香を見た。頷いている。


「となると、むしろ公開されることで、多くの人間の検証に耐えられるように進歩したり。また、作った特定個人が勝手にバックドアを埋め込もうとしても、他の人間に見つかってしまう。そういう意味で公開は安全なんだ。もちろん、条件があってね」

「コミュニティーが優秀で熱心なメンバーによって支えられていること。PRISONはオープンソースの中でも、今もっとも盛り上がってるプロジェクトの一つ」


 ルーシアが誇らしそうに言った。無償でオープンソースの開発をしながら、企業に勤めて給料を得たり、企業がオープンソースで開発されたプログラム――データベースからOSまで揃っている――を導入する時にフリーランスとして技術を提供するようなプログラマーもいる。ルーシアはそのパターンらしい。


 ソースコードは公開されているから、フェリクスが自分たちだけでPRISONを使おうと思えば可能だが、それでは時間がかかりすぎるらしい。


「彼女は高いよ。うちのエース開発者並みの報酬を持っていく。ちなみに、僕は無給だ」

「ほんとはもっと高い。けど、日本に興味あったからオマケ」


 ルーシアは悪びれない。


「PRISONに戻ろうか。PRISONのアーキテクチャ自身も今のオープンソースに近い物があってね。基本的原理は一般的な言葉を使えば公開台帳ブロックチェーンということになるかな。ネットワーク上で不特定多数の個人間の取引を仲介記録する仕組みだ。例えばさっきのCGの例だけど、ルーシア君お願いできるかい」

「オーケー。ボス」


 ルーシアの指が高速で動いた。画面がダイアグラムのようなものに切り替わる。ネットワーク上のデータベースにCGのサムネイルが並ぶ。その中の『CG1』という名前の隣に。所有者はnanashiAだと記録されている。これにより、CG1に対するアクセス、つまりCGの閲覧とか、は所有者であるナナシAが決めることが出来る。さっきのゲーム内の噂でいえばプライベートとかパブリックとかだろう。


 nanashiAがnanashiBにCGを売ると、ネットワーク上のCG1の所有者の部分がナナシBに書き換えられる。実際にはナナシBの持つ口座の中のドルマと交換にだ。これも台帳に記録される。


 こういった取引記録がある一定時間ごとに塊としてまとめられ、前の取引記録と繋がっていく。


 ネットワーク上には複数の同じ台帳が存在して、相互に監視しているものらしい。新たな取引が行われると、それを多くのコンピュータが検証して、正しいと投票されたら正規の取引として記録される。


 実際にはもっと複雑な管理、取引情報自体にプログラムを組み込むことで、解像度を落として表示みたいなことも組み込めるらしい。


 あの事件の時、綾が見ていた仮想通貨の基盤でもある。大悟は仮想通貨がハッキングで大量に、うん百億円分とか盗まれたのが大ニュースになっていたのを思い出した。


「つまり、システムはオープンソースとして公開されていて、その上で行われるやり取りも公開される。その執行はあくまでプログラムにより自律的かつ自動的に行われるんだよ。誰も管理しなくてもプログラム同士がね。政府が必要ない通貨だって作れるんだ」

「ああ、フェリクスも勝手なことは出来ない。また悪意あるプレイヤーの行動も衆目にさらされることになる」

「自分の行動が常に見られていたらPK(プレイヤーキル)とかもしづらいってことですか」

「うん、実にゲーマーらしい意見だね。そういうことだ。もっといえば、取引記録は積み重なればなるほど、匿名のままでもそのプレイヤーに信用を与える」


 すべてが丸裸であるゆえに、逆説的に守られるセキュリティー。なかなか信じがたい。


「でも、情報が流出するリスクは常にあるでしょう。情報は相互作用なのだから」


 春香が言った。


「それを防ぐのがPRISONのもう一つの特徴。専用のチップの存在。セキュリティーの根幹がハードウェアレベルで組み込まれてるの」


 ルーシアが画面を切り替える。最初にモニターに映っていたネットワークと、それに重なる天気図のような赤い模様。


「私はソフト専門だけど、ハードの設計もソースと同じで完全に公開されてる。その設計を元に作られたコンピュータ上で動くのが私が書いてるPRISONプログラムという関係。そして、そのチップのセキュリティーを担保しているのは、何人も統計的に打ち破ることが不可能な情報理論の原理、つまり熱」


 ルーシアの話が突然飛んだ様に聞こえた。


「チップは情報処理を熱として監視できるようにデザインされている。一般的に言えばサイクルコンピューティングを実現しているってことになるかな」


 説明の半分もわからないのに、目の前の熱の分布図がますますアレに近く見える。


「チップ上で情報ビットの消去が行われたら熱が発生するということかしら」


 当然のように春香がついて行く。 


「そういうこと。もちろん、情報の生成が行われた場合もね」

「その場合はエネルギーの使用として観測される」

「ザッツライト」


 突如として始まった高度に科学的な、つまり訳がわからない話。大悟はもういっそのこと英語でやればと思いかけて、はっとした。察するに、春香の言った情報とエネルギーの話だ。


 その詳細は未だ不明なのだ。大悟と春香が意味の物理的定義について対立中。大悟は早くも今の話から理解できる自信が無くなっていく。


 一般的なイメージとして、熱とエネルギーに関係がありそうだというのはわかる。それは例えばエネルギーを持った燃料を燃やせば熱が出るという話に過ぎない。


「要するに『PRISON』はチップとコードの組み合わせで、インフォメーショナル・クローズドサークル、ICCを作り出すことが出来る、そういうこと」


 ルーシアが春香に言った。大悟の望みでもないのに、かなり横文字が増えた。クローズドサークルは密室だろうか。となるとICCというのは日本語なら情報密室とでも呼ぶのか。


 囚人の動きを熱センサーで常時監視して脱獄を防ぐ監獄。大悟の乏しい知識でかろうじてイメージした。無論、中身がまったくない。


 隣の達也を見ると少し困った顔になっている。


 結局インターン初日はテストプレイと、生徒会長の野望じみたプロジェクトと、ルーシアと春香の情報の話で終わった。一つだけ言えるのは大悟には情報過多だと言うことだ。わけのわからない情報の話で終わった。

2018/05/12:

次の投稿は2018/05/16(水)の予定です。

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