1話:中編 情報の表と裏
「えっと、例えば、例えばだよ。近藤さんの言った『優秀』と『平凡』でラベル分けするとするよね。今のビットの話を理解できる『優秀』と理解できない『平凡』に区別すると……」
大悟はノートに書く。
平凡 優秀
0 1
近藤 春日
九ヶ谷
「春香が優秀なのは間違いないけど、私が九ヶ谷と一緒にされるのは納得行かない」
洋子が言った。
「そう、そういうこと。もし数学の成績で半分以上を『優秀』、以下を『平凡』にしたら……こうなるでしょ」
平凡 優秀
0 1
九ヶ谷 春日
近藤
奇しくも男女の区別と同じである。洋子が勝ち誇ったような顔になるのは我慢する。春香が「……なのに私は負けた……二回も……」とかつぶやいてるのは聞かないことにする。
彼の数学の能力が平凡という時点で過大評価なのだから。
「三人になれば区別が付かなくなる。あるいは、それを区別するための基準が曖昧になる。この場合どうするの?」
実際にはその区別自体が人間の”判断”を基準にした”恣意的”なものであるという、一連の話が彼に”物理学”とは思えない最大の問題がある。だが、今の段階では無視する。
ボルツマンパーティーはお呼びでない。せめて初日くらいは。いやその名前の強さならラスボスでもいいくらいだ。
「2つ以上を区別する場合、当然必要な情報は増えていくの。3は切りが悪いし4じゃ2との違いがはっきりしないから。8、16……。そうだ、あのゲームが使える」
春香はスマホを取り出した。出てきた画面は例の海戦ゲームだ。盤面を最小の4×4の16マスにすると、駆逐艦を一隻だけドックに置いた。
とたんに、盤面の横に中学生くらいの美少女の立ち絵が表示される。
「……これは前に説明する時九ヶ谷君が指定したゲームなの」
「道理でオタクっぽいと思った」
洋子の驚きの表情に気がついた春香が付け加えた。洋子が大悟を蔑みの目で見た。いささか納得いけないが、事実ではあるので大悟は黙る。黙るが、この調子でやられたら彼の装甲が先に尽きる。
「この局面、海域のどこかに1隻の駆逐艦がある。その情報をどう表現するか。存在しうる状態は何通り?」
「状態?」
情報とは【状態の区別】というのが今の話しのスタートだった。
「ゲームの中だったら……状況、陣形のありうる形、可能性の数といったほうがいいかな」
「なるほど、えっと――」
「16通り」
洋子が言った。なるほど、プレイヤーなら16ヶ所の何処か一つに駆逐艦を配置するしかない。可能性は16通り。16の状態が有りうるわけだ。
しかし、洋子は夏休みの課題で解らないところという建前は捨てたらしい。
「正解。16の数字があれば、16の状況を区別できる。つまり番号をつけることが出来るってことなの。要するに、一番左端から0,1,2,3,4……15という具合にマス目に番号を付けていって、駆逐艦があるのが何番かわかれば情報が確定する」
春香はドックから駆逐艦を配置した。
00 01 02 03
04 05 06 07
08 09【10】11
12 13 14 15
大悟はじっとノートを見る。
「”ゲーム”としては『10』番に駆逐艦があることがわかれば、攻撃して勝ちになるってこと?」
大悟はゲームを強調して聞いた。他の二人がそれぞれ建前をぶっちぎり始めてるこの状況で、自分の律儀さに感心する。
それはともかく、言ってることは小学生レベル。数を数えるだけの話に聞こえる。
「えっと、まあそういうことよ。次にこの数字をビット、つまり二進数で表すとどうなるか。10進数の10を二進数に直すと1010になる」
春香はノートにサラサラと数字を書き出す。
0000、0001、0010、…………1111
「うん、まあ、解ると思うよ」
10進数が如何にわかりやすいかを認識しながら大悟は言った。
「じゃあ、次にこの状態を決めるために何ビットの情報が必要か考えてみましょう」
「えっ、でも16個は16個でしょ」
2進数だろうと十進数だろうと、16個は16個だ。基本的に言い換えに過ぎない。
「そこが重要なところなの」
春香の声が張った。洋子が驚きの顔になる。
「こほん。じゃあ始めましょう」
春香は机の上に置いていたスマホを胸の前に持って行く。大悟達に向いているのは背面だ。まるでトランプのカードだ。カードの目は今春香の指によって操作されている。今の説明通りなら0から15までのどれか1つの数字になるはずだ。
「ルールとしては、私がイエスかノーかで答えられる情報を要求、つまり質問しながらこの盤面、駆逐艦の位置という状況が16の内どれかを確定する」
夏休み前、この場所で大悟がこてんぱんにやられたことを思い出す。ただし……。
「了解。じゃあ……」
この局面で重要なことはこちらは攻撃されないこと。なら策を弄するまでもない、一番単純にする……。
「駆逐艦は0番目のマスにいますか?」
「ノー」
「1番目のマスには?」
「ノー」
……
「3番めのマスには?」
「ノー」
……
……
順々にすべての海域を攻撃すればいつか必ず当たる。
「10番目のマスにいますか?」
「イエス」
春香はスマホを大悟達に向ける。駆逐艦は確かに左から3番目、上から3番目の10のマス目に置かれていた。
「九ヶ谷君はこの情報、つまり状態の確定を得るために11回の質問をした。つまり11ビットの情報を得て16分の状態の中の一つを特定した。わかりやすく書けばこういうこと」
0000
0000
0010
0000
↓
00000000001
「もし、春日さんが0番目のマスにおいてたら、今の質問の一回目で正解を引けるけど。その場合1ビット?」
「そうね、この情報は一枚のコインつまり、1ビットということになる。でも、ちょっと考えてみて。その方法で上手くいく確率は?」
「……16分の1」
「そういうこと。情報量は確かに1ビットになったかも知れないけど、それで正しい情報を得られる可能性は16分の1になってしまったから。情報の価値としては一緒って事。今問題にしているのはあくまでアルゴリズムの…………九ヶ谷くんの戦術の効率ってことだから」
どこか胡乱な目をしている洋子を意識したのか、春香が言い直した。無駄な行為に近いと大悟は思った。まあ言い換えたおかげで言ってることは何となく分かる。
「なるほど。えっと、基本的に16ビット以下の情報で16この内の一つを確定できるよね。平均したら8ビット?」
「正確には8.5ね。でも見て。駆逐艦の位置情報は16の中の一つ、つまりビットだと0000から1111のうちの一つでしょ。つまり4ビットで表現できる。九ヶ谷君の戦術は4ビットの情報を得るために平均8.5ビットの質問をしたことになる。このコインに言い換えれば……」
春香は事前に机においていた一円玉に、財布から3枚を足す。それを裏返しながら並べる。
●◯●◯
一円玉の裏には『1』が書かれていて、表は弧を描く木の枝なのでなんとなくその並びが『1010』に見える。
「4円の情報を平均8.5円で得ることになる」
いきなりお金の話になる。大悟は首をかしげる。同じ様に洋子もだ。二人は顔を見合わせて、慌ててそらした。
「【情報量保存の法則】により、4ビット分の情報は理論上は4ビット分の質問で獲得できなければいけない。この条件を満たす情報の取得の仕方があるってこと。じゃあ、攻守交代ね」
大悟が夏休み散々悩まされたエネルギー保存の法則の生き別れの兄弟みたいな法則を説明なしに口に出して、春香はスマホを大悟に渡した。
春香の体温が残ったスマホを手にとった大悟は、とりあえず駆逐艦をドックに戻して考える。一瞬、15番にしようかと思ったが、以前春香にこのゲームで完敗したことを思い出してあえて前側にした。
00 01 02 03
04【05】06 07
08 09 10 11
12 13 14 15
「質問です。駆逐艦は右半分にありますか?」
春香は指で表面を隠した一円玉を1枚前に出していった。
*
「えっ、その質問あり!?」
「イエスかノーで答えれるでしょ」
「……ノ、ノー」
05は左半分。春香は指先の一円玉を表、つまり1ではない方にした。そして、もう1枚の一円玉を同じ様に指で隠したまま前に出す。
◯*
「上半分にありますか?」
「イエス」
◯●*
そう答えた瞬間、大悟はまずいと思った。これで残った可能性は四分の一つまり、00、01、04、05の4通りしかない。
「駆逐艦は上半分の上半分に居ますか?」
「ノ、ノー」
◯●◯*
予想通りの質問が来た。これで、残りは04か05の二つ。いや……。
「左半分の左半分に居ますか?」
「……ノー」
イエスでも、ノーでも答えは決まりだ、残り二つに絞られたのだから04でなければ05なのだ。春香の指先を見ると。
○●○●
「さて、十進数の5は2進数なら?」
「えっと……」
大悟は春香がノートに書いた十進数と2進数の変換表を見る……。
「0101」
「そういうこと」
○●○● =0101
「16個の状況の一つを区別するには0から15までの16の数字が必要。そして、それをビットで表現すると4ビット。4ビットは4つのイエス・ノーの区別に対応するから、4回の質問で確定できる」
春香は大悟の半分の回数で当ててしまった。しかも、今の方法だとどの場所でも必ず4回だ。例えば最初の質問の答えがイエスだろうが、ノーだろうが一緒なのだ。
イエスなら左半分にいることが確定、ノーなら右半分にいることが確定なのだから。
「これを数学で表現すると、1ビットの情報により二通りの状況が一つに確定していく。一般化すれば1ビットの情報を得ることにより残った状態の可能性の数が半分に減っていく。これが情報の基本単位ビットと、その性質なの」
確かに、春香の質問ごとに最初16あった可能性は8、4、2と減っていった。
おそらく、あのときこてんぱんに負けたのは今の方法を応用したに違いない。大悟が駆逐艦を狙っていた時、春香は海域自体を狭めていたのだ。おそらく、イエス・ノーではなく大悟の表情か何かを使って。
文字通り戦術対戦略だ。勝てるわけがない。
文字通りコンピュータのように冷徹に彼を追い詰めやがったのだ。
(なんて性格悪い。…………いや、その程度の問題かコレ)
それ以上の深淵を感じた。マップ上の駒の位置という、大悟がゲームだと思ってたものが、春香によって数学的に定義されてしまっている。無機質な0と1に還元されてしまっている。
彼はその深淵にゾクッとして、次の瞬間なにかゾッとした物を感じた。春香の狡猾さに性的倒錯を感じたのでも、恐れたのでもない。そんな彼がMかSかという問題ではない。
そうじゃなくて、それは彼が大事にしているものそれ自体の否定であるように感じてしまったのだ。
2018/04/09:
次の投稿は木の予定です。




