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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第一部『物理学の爆弾』

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31話 エピローグ

 真っ昼間の東の空に巨大なきのこ雲が立ち上がっている。閃光もなく、音も聞こえない、ただ圧倒的な迫力でこちらに迫ってくる。


「こんなのおかしいよ」


 大悟は迫り来る破滅を否定するように叫んだ。例え彼らが失敗しても、こんなとんでもない規模の爆発は起こらないはずだ。そんな利己的な感情がわき上がる。


「確かにおかしいわね」


 彼の後ろから声がした。この一月半ですっかり慣れたクラスの隣の席の少女の、冷静な声音が続く。


「きのこ雲は空中で爆発が生じた場合に出現する。今回みたいに爆心地が地上だった場合はおかしいわ」


 春香は大悟を指差した。


「多分、物理学の知識に乏しい人間が考えたのよ」

「こんな時に何を!? そうだ、それよりも逃げないと……」

「無駄だよ大悟。もう逃げる時間はない。夏休みは終わったんだから」


 慌てる大悟に人を喰ったような言葉が掛けられた。


「だから何を言ってるんだ綾。確かに今日は夏休みの最後だけど、そんなの今は関係な…………」


 彼がそこまで言ったとき、体のバランスが大きく崩れた。体が宙に浮いたような感覚、周りの空気が熱を帯び彼にまとわりつく。そして……


 ガコン!


次の瞬間、衝撃が体の側面を襲った。眼の前は真っ暗。上には暖かくふわふわとしたものが被さっている。彼が痛む右肩に手をやった時……。


 ……ン、ミン、ミン、ミン。ミーン、ミン、ミン……


くぐもったセミの鳴き声が耳に届いた。


「夢かよ!!」


 大悟は薄い掛け布団を引っ剥がして叫んだ。一緒に落下したスマホを取り、今朝のニュースを確認する。筑波の研究施設で事故という記事が見つかる。


 地下水脈の枯渇が原因と考えられる小さな地震により、加速器が故障して、コンピュータがいくつか火災で失われたという。復旧に要する費用がウン億円で、科学研究費の圧迫が云々という。


 ただし人的被害は零。それを改めて確認して大悟は大きく息を吐きだした。


 階下から「起きたなら早く降りてこないと間に合わないよ」という妹の声が届いた。


 夏休み(じけん)は終わり、今日から二学期にちじょうが始まるのだ。


◇◇


 二学期最初の通学路、大悟は昨日のことを思い出しながら歩く。


 あの最後の瞬間、さららがやったのはORZL方程式の次元を一つ上げることだった。ことが終わった後の春香の説明では、平面である折り鶴を、まるで現実の折り紙のように三次元空間に浮かべることに近いのだそうだ。


 取っ手のないマグカップがORZLの形だとする。それを二次元に投影した形――と言うとややこしいが要するに影――は真上から光を当てると円。真横から光を当てると長方形だ。


 だが、実際には3次元空間に存在する円柱という一つの形、ということらしい。


 ゲームの2Dと3Dの違いのように、莫大な計算が必要になりそうだが、さららが導入した新しい次元は離散的、つまり0と1の間に0.1、0.01,0.001……、と無限に細かく分けられた空間ではなくまるでゲームのマップのように1,2,3,4,5と整数の値だけを考えればいい次元、なのだそうだ。


 ちなみにどちらも無限大だが、濃度が違うのだという。意味がわからない。


 とにかく、そうなる理由についてはさららもまだ説明できない。これまでの実験結果として出た実際の数値に合わせるとそうなるのだという。純粋に計算で作り上げられたのではなく、実際に測って出したのが春香としては不満そうだった。


 さららの方は「確かに理論家としては負けだよね」とにこやかに笑っていた。まるで新しく攻略すべきステージを見つけたゲームのプレイヤーのようだった。


 とにかく大悟には10分の1もわからない理由で計算は終わり、重力崩壊に対抗する粒子そのものの反発力――一箇所には一つの粒子しか存在できない――を強化するポイントに誘導できたのだという。後は、加速器の速度が落ち、運動エネルギーによる質量の増加が閾値を下回り危機は去った。


 その後、情報重心は西に向かって通り過ぎ、台風が温帯低気圧に変わるように消えていった。これが向こうとの通信が切れた後の出来事だ。

 通信が回復した後、煙を上げる画面の向こうにゾッとしたが、オーバーヒートしたコンピュータの基板が焼け焦げたらしい。

 それに関しては、さららと大場はいろいろと訳のわからないことを話し合っていた。大悟としても父との絡みで気になるところではあるが、疲れ果てた彼にはそれを尋ねる気力は残っていなかった。

 

 危機は去ったのだ。大悟は平和そのものの通学路を見て思った。


 日常を取り戻したときには夏休みのすべてが終わっていたというのはあまりに理不尽だが、それにむしろホッとしている自分に気がつく。


 まあ、最後まで情報とゲーム項については理解出来なかった。そして、到底これで終わりではない。特に彼に関しては、行方不明の父のことがある。だが、それに関しては今後の課題である。


「やば、もう時間がない」


 同じ学生服の少なさに、時刻を確認した大悟は足を早めた。


◇◇


 新学期初日から遅刻という事態を何とか逃れた大悟は、約一ヶ月ぶりの教室に足を踏み入れた。ドアをくぐった途端、彼の足は止まった。いや止められた。


 彼の侵入によって生じた不可視の障壁、つまり一変した教室の空気によってだ。


 突き刺さる視線、視線、視線。教室に居るほぼ全員が彼に注目している。女子の呆れたような視線。男子は嘲笑、好奇心、同情など様々だ。


(忘れてた!!)


 例の噂にようやく思い至った。目立たない一男子生徒が告白に失敗したなんて与太話が夏休み明けまで残ってるとは。彼としてみればクラスメイト達の夏休みの充実度合いが心配になる。その基準でいえば、彼はとても充実していたと言えよう。当事者にもかかわらず今の今までそんな話は忘れていたのだから。


 だが、もちろんそんな場合ではない。


 移動を再開した彼の周囲にクスクスという笑い声。あるいは憐憫の視線。少しだけ大悟の無謀な勇気を称えるものもある。


 だが、その全てが見当違いだ。大悟は、身の程知らずな告白をしたわけでも、振られたわけでもない。作り上げられた彼の黒歴史は、すべて登校日後の約二十日の中で勝手に育った幻だ。


 その嘘情報が、視線となって彼に伝わり、今まるで物理的に存在しているように、彼の周りにまとわりついている。おかげで情報重心で重力が強化されたように足が重い。


 なんとか自分の席に向けて足を動かす大悟だが、彼の席は最悪なことに春香の隣だ。彼女の盾になるように立っている二人の女子がいる。その向こうで春香が机に顔を向けて、何かを書いている。


 彼が机に、つまり春香の横に近づくに連れてまとわりつく空気の圧力がいや増す。そして……。


 席まであと机二つのところで春香が顔を上げた。緊張がクラスに走った。


(春日春香さん。僕は多くは望みません)


 大悟は頭の中で春香に敬語で話しかけた。


(できればいつもどおりに、たまたま隣の席だから礼儀としてって感じでごく普通に「おはよう」と言ってくれれば、それだけでいいです)


 最悪の状況からそれで逃れられるはずだ。心優しい春香が身の程知らずの男子生徒に寛大な許しを与えた。大体にして彼は春香に告白もしてないし、振られてもいないが、誤解は後で解いていけばいい。


 そうすればこんな噂は立ち消え、彼に日常が戻ってくるのだ。

 

 カタッ

 

 春香がすっと立ち上がった。彼女の周りを固める二人が緊張した。春香の目を見て、大悟はすべての希望を捨てた。綺麗な瞳に宿る光の強さは教室での彼女ではなく地下室サイエンスモードのものだった。


「九ヶ谷君。私考えたんだけど……」


 客観的被害者はるかは周囲のことなど何も気にもせず、というか最初から目にも入っていないように客観的加害者だいごに話しかける。


「情報理論について九ヶ谷君に説明しようと思うと、本当に基本の基本からしなくちゃいけないと思うの。それだけで一年くらいはかかるかも。だから……」


 春香の言葉に、周囲の彼を見る視線のいくつかに同情の色が生じた。大悟がそれを口実に接近しようとした何か、に関して改めて断られようとしている。そう見えるのだろう。


「なるべく毎日九ヶ谷君に付き合うわ。今日の放課後から始めたいんだけど、時間はどうかな」


 春香は問うた。大悟を警戒していた二人の女子が、背後からの不意打ちに首を傾げた。確かに彼はあの事件が終わった後、つまり昨日、春香にそんなことをお願いしたのだ。


「えっと、でも、そこまでして貰うとあまりに春日さんの負担に……」

「大丈夫、私も今回のことで足りない物がわかったし。九ヶ谷君と一緒に基本から確認し直すつもりで教えるわ。それに、九ヶ谷君の発想というか、色々知りたいことも――」

「わかりました。それでお願いします」


 少しでも早く会話を終わらせないとまずいと、彼は即答した。早く自分が周囲にどう取られるようなことを言ってるのか気がついてと祈りながら。


「じゃあ、これからの講義のスケジュールを送っておくね。場所は前と同じで図書館でいいかな」


 だが、春香は無慈悲にもスマホを手に取り指を走らせた。同時に大悟のポケットから振動音が生じた。


 周囲の男子が驚愕の表情になった。春香を守ろうとしていた二人の女子は信じられないという顔になっている。片方など、顔を真っ青にしている。ちなみに、あのマンゴスチンの娘だ。


 大悟が教室に入ったときよりも大きな周囲のざわつきは、彼が席についても収まる気配がない。彼が春香こっぴどく振られたという誤解はなくなったが、遙かにインパクトのありそうな新しい誤解がクラス全員に共有されたのだ。


 結局教室のざわついた空気は、担任が見慣れない金髪の少女を連れて教室に入ってくるまで続いた。


 こうして、何とか取り戻したはずの彼の平穏は再び遠ざかった。事象の地平線(ブラックホール)の彼方へと。


 物理学的にはそれは決して戻ってこれない境界らしいが……。

『複雑系彼女のゲーム』第一部完結しました。15万字くらいに抑えるつもりだったのに、終わってみれば20万字近くなってしまいました。説明などで要素を絞り簡潔に出来なかったのは反省です。


ここまで読んでくださった読者の方々には、長い間お付き合いいただき本当にありがとうございます。


おかげさまで総合ポイントが2000を越えました。励みになる感想や誤字脱字のご指摘など。応援していただいて感謝です。


ゲーム項の謎に関しては第二部に引き継がれていく形になります。

構想と第一部の誤字脱字の修正のため、第二部の投稿は12日後の4月6日(金)からの予定です。

(変更があれば活動報告とここに書きます)

引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。



注意:この物語はあくまで”空想科学(SF)”です。もし身近でブラックホールが発生しそうな場合――例えば蚊を叩くときに力を入れすぎた等――は危険性は各自で判断してください。

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