エピローグ:前半 クリスマスデート
天を衝くビルは全体が巨大なショッピングセンターだ。なんと屋上には水族館やプラネタリウムもあるらしい。広い通路を取り囲む様々な店は特別な日を彩る飾りで客を誘っている。
そんな華やかな雰囲気の中では比較的地味な店舗、といっても故郷の街にあるのよりも何倍も広い本屋だが、そこを出た大悟は背中を丸めてとぼとぼと歩く。彼の前には背筋を伸ばした春香が、カツカツと靴音を立てている。
今日は12月25日。世間一般で言うところのクリスマスである。大悟にとっては新しいゲームを買ってもらえる日であり、これまではそれ以外の意味はなかった。
だが今年は違うはずだった。何しろ女の子と二人なのだ。周りを歩く男女のペアと同じはずだ。もっとも、彼らは仲よさそうに手なんかつないでいるが。
一方、大悟の両手は紙袋の質量により地球に拘束されている。
書店の隣にある喫茶店に入った。席に着き、空いた椅子に紙袋を下した。掌に食い込む紙紐から解放された大悟は、こわばった指先を伸ばしながら周りを見渡す。
張り出したガラス窓の席から、クリスマス一色に染まった駅前の様子が見える。店内は若い男女でにぎわっている。ほんの少しだけ、世間一般で言うところのクリスマスデートに近づいた気分だ。
改めて自分と向かい合って座る少女を見る。ビロードのような滑らかな光沢のある赤いコート。その下の白のセーター。そして、ふわっとしたブラウンのスカート。そこから伸びる黒いタイツと、少し踵の高いブーツ。いつもはストレートの黒髪は、両脇を細い三つ編みにして後ろで結んでいる。
それはもう非の打ち所がない、クリスマス仕様の美少女である。何しろ見た目だけなら普段でもSSRなのだ。実を言えばここに来るまでも、周囲の注目を集めていた。今も周りの席から視線を感じる。
問題は彼の推測では彼女は今イベント仕様のSモードではなくSモードなのではないかということ。
「こんなことならゲーム作りを進めたかったんだけど」
大悟は恨めし気に手を振りながら春香に言った。これでは荷物持ちである。
しかも、買い物の中身が面白くもなんともない。紙袋の底を抜きそうなのは大量の参考書なのだ。それもほとんどが理系教科のだ。彼女にはおおよそ必要がない品と知っているから、徒労感もひとしおというものではないか。人間は無意味と感じる労働はとてもつらい。それが特別な日、クリスマスならばなおさらだ。
「持ってくれるくらい良いでしょ。九ヶ谷君へのクリスマスプレゼントなんだから」
「…………はい?」
女の子からの初めてのクリスマスプレゼント。ちっともうれしくないのがすごい。本当にすごい。
「いや、いらないんだけど」
さっきまでよりずっと重く見える紙袋から目をそらす。だが、春香は大真面目な顔だ。
「でも、来年の今頃はもう受験直前。つまり、あと一年と少ししかないのよ。今から頑張らないと九ヶ谷君の成績だったら間に合わないでしょ」
「そりゃ、大学入試は大事だけど。でも……」
大悟は袋からのぞく数学の文字を見る。
「特に数学と理科。香坂理科大学は私立だけど五教科必要だから、ただでさえ時間の分配が難しいのだから」
青天の霹靂である。彼の知らない間に志望校が決まっていた。ちなみに、二学期最後の進路希望に彼が書いたのは文系である。
「いやいや、香理なんて無理に決まってるだろ。というか、なんで僕の進路が決まってるの」
「私が香坂理科大を受けるから」
春香は当たり前のように言った。それは分かる。さららがいるのだから。
「……」
でも、それはあくまで春香の志望だ。大悟は抗議の視線を送る。
「私は九ヶ谷君に負けてしまったから、次の勝負がつくまでは、その……。そう、部分的には九ヶ谷君の物といえなくもないわけでしょ。なら、管理責任上私と同じ大学に行くのが適切でしょ」
「それ、関係が逆じゃないかな……」
「つまり、私が九ヶ谷君と同じ大学にいくってこと? 同じことでしょ」
「僕が春日さんと同じ大学に行くのと、春日さんが僕と同じ大学に行くのは全然違う話になるんだけど、主に学力の問題で」
まるで恒等式のように春香はいうが、実際は相当な不等式だ。
「だから、それを埋めるためにそのプレゼントがあるの」
春香が席の上の参考書を指さした。
「もちろん、私がしっかり教えるわ。昨日の夜九ヶ谷君が私にそうした――」
「今日この日に誤解を招く発言はやめて。格ゲーの話だよね」
大悟は慌てて春香を止めた。
「誤解? あれだけ好き勝手にしてくれたのに? 嫌がる私を床に押さえつけて、何度も……」
この場合の格闘は狭義の意味のそれであり、男女間のそれの暗喩ではない。もちろんこれは、春香がクリスマスイブの夜に彼の部屋にいたことを意味するのだが、それはあくまで彼の家の手伝いに来てくれた春香が、ちょっとだけ滞在しただけ。
ケーキ屋にクリスマスイブは存在しない。彼の家の家訓である。
ちなみに、件のプレゼント代金はその時の春香のアルバイト代ということになる。
「じゃなくて、進路の話」
なんでクリスマスに進路の話を、と思いながら、大悟は軌道修正をする。
「……どうしても無理なら、私が九ヶ谷君の進学先に合わせる」
春香はさっきと同じくらい本気の表情でいう。つまり、大悟は……。
「……頑張ります」
そう答えるしかない。このまま順当に一年過ごした後の彼のレベルに春香を付き合わせるわけにはいかない。大悟の答えに春香は「うん」と小さくうなずいた。
そして早速とばかりに、手元のバッグから一枚の冊子を取り出した。香坂の文字が見えるパンフレットだ。
「これを渡しておくわ」
「勉強はせめて明日からにしない?」
渡されたのは香坂理科大のパンフレットだ。そういえば、春香と本当の意味で出会う前、彼女を付けて綾と一緒に潜入した時に見た。あの時は偽装の為だったのに、まさかこんなことになろうとは。
大悟は仕方なく、来年用のパンフレットを捲る。だが、彼の手は一ページ目で止まった。
「えっ、これマジで」
そこには来年からの新講座の宣伝が書かれていた。フェリクスを筆頭に複数のゲームメーカーやテクノロジー企業による寄付講座で、彼も知っている名だたるゲーム制作者が講師として名前を連ねている。
ゲームを通じてテクノロジーと教育を融合させ、新時代のイノベーションを導く的な宣伝文句が書かれている。ちなみに、文章は大場のものだ。
「先に見せてくれればもうちょっとスムーズに話が進んだと思うけど」
「それは……。九ヶ谷君の…………えっと、その、覚悟を見たのよ」
「やっぱり逆のような……。いや、まあわかったよ」
彼は春香の一部所有者らしい。だが、その一部以外、つまり大部分では所有権とやらもが逆転している気がする。とはいえ、これを見せられては頷くしかないのだが。
「でも、本当にこれ間に合うのか……」
「一番最初はこれかな」と春香がいった数学の参考書を確認する。見ただけで、眉が中央に寄った。ここ数か月、大学レベルを超える科学知識に接したというのに、学業という意味では全くレベルアップした気がしない。
一方、春香はバッグから英語の文章を取り出すと、読み始めた。
ちらりと見ると、英語が数式を挟んでいる。この子と同じ大学なんてどうするんだと思わずにいられない。
ため息とともに参考書を閉じた時、喫茶店のドアが開き、外の風が吹き込んだ。
「ちょっとトイレに」
大悟は春香に断って席を立った。春香は論文に目を落としたままで小さくうなずいた。
2019年7月14日:
来週日曜日の投稿で完結です。




