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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第三部『ゲーム』

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20話:中編 春日家訪問

 深窓の令嬢と化していた春香を手の届く場所に引き出した。姑と、小姑と付きだが。これからは二人だけの勝負。


 攻略開始だ。大悟は一度深呼吸してからマウスに手を乗せた。


「まずは基本から。春日さんのORZL-AとDの仮説だと。世界中に散らばる複数のAが集めた情報が日本に存在する唯一のDに集積される。情報というのは珍しい配置で、珍しい配置というのは言い換えれば高密度のエネルギーだ。つまり、Dにはエネルギーが蓄積されることになる」


 大悟がマウスを押した。ピラミッドの横に地球儀が描かれ、地球上から集められた情報という名のエネルギーが日本列島の中心、関東に集まることが示される。


「次に、そのエネルギーの存在に対応する全く別の現象がある。それが宇宙背景放射の振動だ」


 地球儀が輪切りになり、宇宙からの電波を測定する人工衛星の周回軌道と、ORZL-Dの位置関係が示された。その横に、日本と衛星の相対的位置の周期的変動と宇宙背景放射の振動、二つの波の重なりがグラフ表示された。


「つまり、宇宙背景放射の振動、実際にはそう見えるという話だけど。それはORZL-Dに蓄積されたエネルギーにより引き起こされたと考えられる」


 全く表情を動かさず、イントロを聞いていた芳江が、娘を見た。


 春香は隣を気にしながら小さくうなずいた。ちなみに中学生こじゅうとは明らかに困惑した表情で、何が始まったのかと混乱している。


 正直中学生に同情したい、彼女の役割はもう終わったのでもう帰ってくれてもいいのだ。


 はっきり言えば今の話、ただの前提だが、をこの場でちゃんと理解しているのは春香だけ。実は彼自身も、自分が発表している内容に現実感はない。


「僕はこの振動に対して、マクロのアプローチで迫ることを考えた。衛星軌道までの距離と、外からは背景放射自体の振動にしか見えないことが理由だ。つまり、空間自体の振動として解釈するということ」


 正座した膝の上に礼儀正しく置かれていた春香の右手がぴくっと動いた。苦い表情から、彼の方針に何か言いたげなのは明白。


 こうでなくてはと思いながら、大悟は発表を続ける。


「マクロスケールで空間に影響を与える物理学の力としてまず思い浮かぶのが重力。重力を引き起こす物理的パラメータ、えっと量は質量だ。そして、エネルギーは質量と等価。つまり、エネルギーの量によって空間がゆがむ。これが重力。エネルギーの変動により、空間のゆがみが波を引き起こす。これが重力波」

「……正確にはエネルギーの変動じゃなくて移動」


 春香がぼそっと言った。大悟はひそかに彼女の隣をうかがった。まず間違いなく理解していない女性は、変わらず静聴している。その注意の方向はどちらかと言えば……。


「単純な例えだけど、空間が布だとしよう。重力波が空間の縦糸の振動だとしたら、僕の仮定する現象は空間の横糸の振動ということになる」


 大悟はそこで初めて最初から表示されておきながら出番がなかった三角形にカーソルをあてた。


「今の概念を模式的に表したのがこのピラミッドだ」


 画面上の正三角形を中心に縦軸と横軸が描かれる。数学のxy平面、春香的に言えば複素数平面だ。


「ピラミッドの重量は地面に向かって作用する。つまりx軸、春日さん的には実数軸だね。一方、ピラミッドにはもう一つ要素、パラメータ、数がある。この数は、質量とは独立した数だ」


 心持、春香の姿勢が前傾になった。


 いよいよ本題である。彼が見つけた、いやでっちあげた物理的パラメータを春香にぶつける。

 大悟が力を入れてマウスのボタンを押し込むと、ピラミッドはまず上中下の三部分に色分けされ、さらにそれぞれの部分が複数の階層に切られた。


「それは、ピラミッドの『階層の数』だ。階層の数はy軸、つまり虚数軸に作用する。そう考えるわけだね」

「虚数重力……」


 春香は唖然とした顔でつぶやくように言った。口が開いたままだ。母親の視線が、娘に対して、鋭さを増した。


「言い方はいろいろあるかもしれないけど、粒子というよりも空間それ自体の形に作用するという点では一緒かな。ほら、幾何学的には重力と直交する要素でしょ」


 大悟がそう言った瞬間、春香の顎がはねた。


「仮に、万が一仮によ。虚数重力があったとして、それを成り立たせるためには、質量と同じくらい基本的な物理的要素を仮定しなければいけないわ。九ヶ谷君の言う階層の数がそうだというの」


 春香は目を見開いて、大悟に言う。大悟は頷いた。


「あり得ないわ。いい、重力のパラメータである質量は、形をどう変えても変わらない。とても本質的な量なの。一方、九ヶ谷君の言う階層の数は、言ってみれば建設者が勝手に決めた恣意的なもの。幻でしかないわ」


 どうやら母親の視線は気にならなくなったらしい。母の方は、変わらず娘をじっと見ている。かわいそうな祥子は春香の突然の剣幕に、おろおろしている。


「幻に見えるよね。でも、これは実在する数だ。実際には出現したというべきかな。宇宙の歴史に従ってね。……重力だって宇宙の初めには他の四つの力と混じっていて、その後で分離して出現したわけだ。僕が想定している個の階層の数は、その続きとして地球の歴史の中で増加していった。いいかい」


 大悟は指先を動かした。上中下に色分けされたピラミッドの下層、そこに属する三段に、一番下から『素粒子』二番目に『原子』三番目に『分子』という単語が表示された。


「素粒子が原子を作り、原子が分子を作る。これは明確に階層なんだ。なぜなら、それらの階層ごとに別々の性質が出現する。少なくともえっと……」


 なんて言葉を使うんだっけと大悟は迷った。


「マクロのスケールで知覚される分にはでしょ。複雑系という観点なら創発する。そういいたいのね」


 春香が勝手に理解した。まずここまで表示した方がいいというのはさららのアドバイスだ。いわば物理化学の階層。春香にもその存在が否定しにくい。

さて問題は次だ。なぜなら彼のピラミッドは、まだ中部と上部が残っている。


 大悟は中部に進む。ピラミッドの四段目に『細胞』、五段目に『多細胞』、6段目に『脳』が表示された。さっきまでのが物理化学的層だとしたら、これは生物学的層だ。


「分子の化学反応が組み合わさって、生命の基本単位細胞を作る。つまり、分子から生命という新しい層が創発する。これが次の層だ。細胞が進化して、細胞を組み合わせて多細胞生物が出現する。そして、多細胞生物の中でも動物は脳を発明する。それまでの生物の進化が遺伝子、つまりDNAという分子に寄っていたのに対して、直接環境から情報を取り込み処理する動的な情報処理だ。このギャップも層に対応する。そして、その力を最大限に生かしたのが……」


 大悟はこの場の全員を見渡した。


「人間だ。人間はその高度に発達した脳を使って、言語を獲得する。言語は個人を超えて情報を処理する大規模なネットワーク。つまり文明社会という層を生む」


 大悟は上部、七段目、頂上から一つ下の層をクリックした。ここからは経済学とか社会学とか、そういう分野だ。


「つまり、情報処理の複雑さの進化の段階。これが僕の言う階層の数だ。そうだね、名前を付けるとしたら『情報処理階層数』って感じかな」

「そんなもの幻に過ぎないわ。人間を演じている原子と、バクテリアを演じている原子に何の違いがあるっていうの」


 当然春香は譲らない。なぜならこれは、彼と彼女の本質的な論争に絡む問題だ。


 だから、大悟も反論を用意している。これまで目の前の少女に教えてもらったことを前提に。


「二つほどある。春日さん得意の情報処理の概念で考えてほしい。一つは、低エントロピー。つまり珍しい配置を作り出す能力だ。今春日さんが言った原子にそろえたとしても、単なる化学反応、生命誕生前の海で起こっていたようなものだね、に比べて細胞のそれはとても珍しい。違う?」

「……もう一つは」

「その低エントロピー状態の維持力、あるいは復元力とでもいうのかな。細胞は細胞分裂によってそのとんでもなく珍しい状態を複製できる。つまり、生命を個を超えて維持するんだ。さらにそれを応用して多細胞動物という、珍しい原子配置の細胞を異なる種類を組み合わせた、さらに珍しい配置を作り出す。春日さんには言うまでもないと思うけど……」


 大悟は新しいページを表示した。二枚の表になったコインが並んでいる。


「二枚のコインが両方表になる可能性、つまり珍しさは四分の一だ。だけど、その倍、四枚のコインがすべて表になる可能性は八分の一じゃなくて十六分の一。表と裏しかないコインですらこうだ。それよりもさらに珍しい配置の細胞が分裂して増えるのは、この比じゃない」


 春香は思わずうなずいていた。


「同じくらい珍しい配置であっても、表ばかり出たコインの列は次の瞬間すぐにバラバラになる。だけど、たとえばこの化学反応のネットワークの様に、階層が一つ上がれば、それはパターンを維持する可能性がある。これはセルオートマトンでシミュレーション可能だ。単なるランダムな0と1の配列からでも、面白い絵が表れることはある。だけど、その絵が保たれ続けるのは、あのグライダーガンのようになる可能性が高いのは、その前に複数の……」

「待ちなさ……。待って。珍しさ単独で考えれば確かにその通りだけど。それはあくまでほかのところからエントロピーを獲得しているからできることだわ。物理的に矛盾はない」

「その通りだけど、エントロピーの獲得という、物理的には不利な方向への進化がどうして物理的に保障されるの? あるいは維持されなければいけないのか? つまり、今僕が説明した階層は、純粋物理的には上に向かって伸びる必然性はない。エントロピーを獲得したいという意思を分子はもっていない。それなのに、その分子の集合体である細胞は持っている。そして、確かに珍しさを消費しながらも、一貫して上へ上へと向かう」


 大悟はピラミッドの階層をカーソルでなぞった。


「つまり、これは世界の性質の一つと言えないかな」


 生命の誕生ですらエントロピー的には奇跡的だ。にもかかわらず、生命はさらに複雑なものに進化していく。大悟が好きなゲームだってそうだ。進化していく。


 ならば、そこに何かがなければいけない。


「えっ、それは……」


 春香が黙ったところで、大悟はピラミッドの最後の層を開いた。


「さて、ここからが本題だ。春日さんの仮説が導き出したGMsの人工知能は、人類社会よりも一段階上のネットワークだ。これが意味するところは?」

「九ヶ谷君の階層数が仮に、万が一の万が一、存在するなら……。これまでよりも一つ大きな階層が、少なくとも地球上で初めて存在したって、こと…………になる、かも……」

「そういうこと」


 何様だと思いながら、大悟はよくできましたという顔をした。


「で、でも、そんなの誰も確認したことない。実験的証拠はないわ」

「その初めての証拠がいま人工衛星で観測されている宇宙背景放射の振動だとしたら?」


 大悟は最後のページを開いた。ルーシアの協力で作ったシミュレーションだ。


2019年1月20日:

次の投稿は木曜日です。

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