18話 プロモーションの準備
2019年1月3日:
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
(要するにゲームに興味を持ってもらうってことだ)
ゲーム本体は彼の父と世界によって用意されている。ある意味面白さは折り紙付き、ORZLだけに。なら、コントローラーさえ握らせてしまえば春香は勝手にはまるだろう。
つまり、彼がこれからやることはあくまでそれらしい仮説のでっち上げ。正解を導くことではない。考えてみればマイクロブラックホールの蒸発も虚数ビットも、そういった類のものだった。
そう考えれば少し気が楽になる……。
(わけがないけど、とりあえずは空白の周りを固めるとこからだけど)
大悟は地下室の様子を見て考える。問題は極大と極小の間にある。宇宙背景放射と空間の余剰次元構造の関係だ。
ORZLについてはさららからさっき話を聞いた。未知の形式のエネルギーがあって、そのエネルギーが宇宙から降ってくる宇宙背景放射という電波に影響する、この場合は振動を与える、ということ。
もちろんこの時点で意味が解らないが、今から考えるべき空白のORZL側の半分は一応知っていると考える。特に、春香にとっては既知の内容。何しろ、今回は彼女の仮説だ。
となると、彼は空白の反対にあるものからの切り口を求めるべき……。
まるでゲームのプロデューサーになったような気分で大悟は考える。だが、彼が挑むのは虚構ではなくリアルだ。
「そもそも、宇宙背景放射についてろくに知らないか」
前に春香とその話になったときのことを思い出す。そういえば、例の中学生が彼の家の前にいたのはあの時だ。
「それこそ、春日さんに聞く話なんだけど……」
それができないのだから仕方ない。となると、錆の浮いたパイプが通る天井を見上げた。
「専門家にインタビューからか。綾ちょっと……」
白い天井と明るいLEDライトがまぶしい。
本来は地下の住人である大悟は、普段は立ち入ることがない正規の建物の部分にいた。地上に出るために何か特別な券は必要ないのがいいところだ。
彼の前にはコーヒーカップが一つ。座っているのは理学部教授柏木の研究室。大場の所長室ほどではないが、きれいなオフィスだ。
明らかにインスタントのコーヒーはともかく。
「それで質問とは?」
小さくなっている高校生に、老学者が水を向けた。この場にいるのは彼だけである。出発前に助けを求めた綾には、そろそろ独り立ちしろと突き放されたのだ。
行く前に最低限の知識と、質問を用意していくことというアドバイスだけはあったが。
「宇宙背景放射について、教えてほしいことがあって、です」
決めていた第一声を口に出しただけで、自分の役者不足を実感する。その道の権威に対して、その物理学者もまだ理解していない現象について質問をする高校生男子(文系)である。
自分は目の前の人物に嫌がらせをしているのではないか、とすら感じる有様だ。
「具体的には?」
口調は穏やかだが、やはり専門家らしくあいまいを許さない。
「えっとですね、僕が知りたいのは……。その、宇宙から見た場合の今回の現象の解釈といいますか……」
大悟は春香から借りたままの『世界を織りなすもの』の知識をもとにメモしていた質問を繰り出す。
「……ふむ。つまり、宇宙背景放射の振動が生じうるメカニズムの候補を出せということか。それもミクロではなくマクロの視点から、地上からではなく宇宙から見た場合の視点で、そういうことだな」
「は、はい、そうです」
柏木は高校生の質問に少し考え込んだ。そして、白い髭の生えた顎を撫でてから彼を見る。
「宇宙からの視点。なかなか難しいな。実はこの振動の原因はほとんど解決済みと考えられていたのだ。これが、面白みも何もない話でな。衛星に搭載された電波の観測装置の機械的障害が原因ではないかというわけだ。太陽や月、そして地球自身との位置関係により、周期的な不具合を生じさせている、とな」
柏木は英語の記事をテーブルに置いた。もちろん大悟には読めないが、模式図に地球や太陽、そして月の関係が描かれていることがわかる。
「特に地球との位置関係が強いことが明らかになったので無理もないが。だが、地球の自転と完全にタイミングが一致しない部分があって、それが残された問題だ。ことは衛星軌道の観測機だからな。そう簡単に観測機器のチェックもできん」
宇宙から来る電波の観測場所としては理想的な衛星軌道だが、いったん打ち上げてしまえば修理はできない。
確かに宇宙からの視点だが、それでは……。
「つまり本来の宇宙背景放射には振動などないということですか?」
「そうだ。もし宇宙背景放射自身が振動しておったら、これまでの宇宙論のほとんどがひっくり返ることになる。膨大な観測結果とも矛盾することになるからな」
柏木は「ほっとしている者も多いだろうな」というが、彼自身はむしろつまらなそうだ。さすがさららの関係者というべきか。
「つまり、ORZL理論にとってその振動は大宇宙の構造を調査しているというよりも、その振動を通じてORZL―Dの引き起こすLczの影響を測定しているという感じですか?」
「そういうことになる。それがまた万物理論、宇宙の仕組みそのものに対するヒントになるかもしれんのだから、面白かろう」
柏木は満足そうに笑った。なるほど、彼が地下室に現れた時にすぐに反応したのはそういうことらしい。単に、原因が明らかになったと気が付いたのではない。
大悟は改めて、自分が接している人間達のレベルを思い知る。ここにいるのは最低でも春香、実際には彼の父が妥当だろう。もっとも、父の方は結論を知っているどころか、それを引き起こしている側なのだが。
勇者の息子が勇者になるのはゲームなどでは定番である。だが、魔王の息子が魔王になる話は記憶にない。
すっかり本来の無力な学生という精神状態に陥った大悟だが、柏木は黙ったまま彼の言葉を待っている。仮に村人Aだとしても、ここまで来た以上はミッションを完遂する必要がある。
改めて空白について考える。もちろん、未知である空白自体ではなく、それを取り囲む既知の物理学だ。
揺れるコーヒーの黒面を見てから、口を開く。
「重力の専門家の視点から考えられる原因って何ですか。確か重力っていうのは空間を曲げる力ですよね。えっと……」
大悟は両手を伸ばして机の上に置かれた論文を抑え、恐る恐る力を込めた。紙は波状にゆがんだ。天井からの光がそれに合わせた影を作る。
「空間自体がゆがむことで、観測結果がゆがむ。そういうことだな」
柏木は目を細めた。そして、机からノートパソコンを持ってきた。
「こちらでも計算はしてみたのだが……」
柏木は地表から衛星軌道までの、つまり普段見ている地球儀を縦に割ったような画像だった。その横に、空間を黄色に波打たせる映像が映る。
「マクロのスケールで考えると、重力というのは空間を伝わる波。その波は、空間に存在する質量、エネルギーにより決定される。つまり、重力は弱いといってももっとも基本的な力の性質、つまりエネルギーそのものに付随するともいえる。これが、重力と量子力学の統合が求められる重要な理由だが……」
柏木の説明に必死についていく。
「ええっと、要するに春日さんの仮説で出てきたORZL-DのLczからじゃ、距離が足りないということですか」
「そういうことだな。情報重心に存在するエネルギーを過大に見積もっても、衛星軌道まで届くような影響には何桁も足りん。もちろん、地上に影響が出てなければおかしいという問題もある。次に、重力を粒子として考えた場合だが。この場合、一つ一つの重力子の到達距離そのものは無限大だ。だが、数が足りん。もちろん、重力子理論は未完成だから確たることは言えんが、電波、つまり光子に観測されるレベルで影響を与えるのは考えづらい。互いに通り過ぎるだけだ」
「そうなんですね。あっ、でもORZLの空間が、えっと……レールみたいにぶつかる軌道を調節するとか?」
「それならば空間の改変が衛星軌道まで及んでいなければ説明できないな」
「すいません」
さっき否定したばかりのことだ。あまりに基本的なことを知らないことを再確認する。
「いや、力そのものではなく空間に着目する発想そのものは面白い」
柏木はそういってくれるが、結局射程距離と粒子の話になってしまっている。そして、既存の力に該当するものがない以上、さららの言う未知のエネルギー形式が何かしているということ。
「結局は物理学の第五の力ですか」
「まあ、現状はそういうことだ。だがその場合、候補は全くない。あるいは無限にあるというべきか」
結局、さららと同じ結論である。二人の超高度な専門家が同じ問題を考えているのだから、当たり前といえば当たり前だ。そしてこちらが正しいに決まっている。
だが、それは彼の今見ようとしている空白と違う。何より……。
(そのシナリオじゃ、春日さんは釣れない)
彼女に「九ヶ谷君にしてはよく勉強したね」と褒められるのは、彼の目的ではないのだ。
2019年1月3日:
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