9/26 対帝東ブレイブス 第25回戦
昨年コ・リーグ覇者、帝東ブレイブスの凋落は想像よりも早く、そして激しく始まった。
3番に座っていた藤田の左有鈎骨骨折による離脱から、先発として頭角を現していた大田原が肩痛で今季リタイア、更に助っ人野手のロドリゲスとディエゴが揃っての不調。期待の若手である大石、遠山も積み上げが物足りない。
それでもなんとか前半戦3位につけていたものの、オールスター以後は全体的に精彩を欠き、4位で借金生活を送っている。順位が決まり、ほぼ消化試合(クロウズは3位でここから全勝すれば2位がありうる)となったこの試合において、ファンからすれば楽しみ方など、もはや一つしかない。修学旅行、もとい若手期待株の出場だろう。
今日は特に注目度が高いはずだ。何しろ先年のドラフト1位、7球団競合の堀江秀が一軍登録されているのだから。なんなら俺もちょっと楽しみだわ。
などと呑気に考えていた俺だが、普通に登板日だった。
消化試合なのにね、とは思うが、俺のセーブ機会を分け合ったり取り合ったりしている武田さんが今26セーブ、俺がこのまま抑えればそれに並ぶ。そして、試合消化をほぼ終えているレッドウルスの木内さんが27セーブを挙げており、これが現状のコ・リーグセーブ数トップ3となる。例年に比べればかなり少ない数での争いになっているが、今年はどこも後ろが安定しなかったらしい。
…まぁ誰になんと言われようが、タイトル争いには変わりないし、出来ることをやるだけだ。
いつも通り出囃子を背に投球練習を終え、7回からの役目を全うしようと気を張って向かう。
対して、かつての奇策士・堀越も老いたのか、はたまたもはや打つ手がないのか、今日の帝東はいやに元気がない。
勢いをもたらしたいが故なのか期待の若手2人で固められている1、2番は勢いよく振り回すだけだし、その後ろに座る東や山上さんも、前にランナーがいないため、打力が得点に結びつけられない。
ちぐはぐな攻勢を相手に回している俺としては楽な事この上ないが、それにしたってちょっとひどいな。
結局、9回まではすいすいと行き、投球練習もそこそこに俺はいつも通り3イニング目を迎えた。味方が8回に2点の援護をくれたので、4対0となっている。
これで少し余裕があるな、と思いつつ肩を回したところで、レフトスタンド、いわゆるビジター席から歓声が上がる。
あぁ、なるほど。多分堀江が出てきたのだろうと横目でサード側のベンチを見ると、ネクストに確かに彼がいた。
去年の夏、佐多と一緒にテレビで見たあの姿は本当に衝撃的だった。
プロすらも慄くほどの打撃センスを持つ高校生など見たことがない。そんな彼の最初の対戦相手が俺というのは敵ながら光栄だし、さぞ打つのだろうと、思わず頭の数字を見る。うん、きっと多分何かの間違いだろう。
あれほどの選手が、いやたといあの夏の輝かしいバッティングがフロックだとしても、通算安打数1本などあり得ない。
ルーティンのようになっている深呼吸をひとまずして、俺は当座の打者に向かい合う。打者は8番。要求はスライダー。全然慌てたり力んだりするところじゃない。
だのに、ボールは汗でも吸ってなのか勢いよく打者のいない方に向かってすっぽ抜けた。
全然俺には関係ないはずなのに、自分がどうしてか浅い呼吸をしていることだけはわかる。何故か動揺していて、それが止まない。
ボールに飛びつきなんとか捕まえた一色は、首を傾げながらも、いつもと変わらないフォームで俺にボールを返してくる。
それを受け取り、右のつま先でプレートの横を軽く掘る。大丈夫、自覚があるなら動揺は堪えられる。そう思いつつ、投球動作に入っていく。
ストレート。叩きつけてボール。カーブ。すっぽ抜けてボール。ストレート。なんとか入ってストライク。カーブ。抜けこそしなかったがゾーンに残らずボール。フォアボールだ。
「ヒサさん大丈夫すか。どっか痛いとか」
「大丈夫だ。大丈夫。ちょっと欲かいてただけだ」
こう言うと一色は多分セーブ数の事を察してピンときたのか、ここっすよ、とだけ残してホームベースの方へ戻って行った。
全然嘘だ。セーブのことなんて今の今まで頭になかった。
「バッター、松田に変わりまして、堀江。背番号、3」
黒く輝くバットを携えて、堀江が右のバッターボックスへと足を踏み入れる。
顔の横あたりに立てられた得物は、芯のあたりのロゴマークが摩耗しているのか、モザイクのように見づらくなっている。そこ以外は新品のままのように、ナイターの光線を弾き返していて眩しい。
頭の数字は依然変わらず1のままだ。
テレビで見たあの時と同じように、ピッチャーを見て、不敵な笑みを一つ作っている。
そんな堀江の顔から目を背けるように、俺はプレートを外してランナーを牽制する。
偽投と分かっている故に、ランナーも呑気に歩きながら帰塁した。
走者がペースを踏んだのを確認し、俺は再びホームへと向き直る。145キロ程度の速さは簡単に対応されるのは分かっているがさて。
一色のサインはストレート。まぁ、データの少ない新人相手ならそうならざるを得ないか。
「ボォッ」
セットから投じた144キロのボールはわずかに内側過ぎたようだ。
大抵のバッターは避けようとするのだが、堀江は全く動かないどころか、最後まで軌道を追い、涼しい顔をしてこちらに向き直る。
「(こえ〜…。すげえ嫌な見逃し方だな。やっぱストレートには強そうか)」
もう気圧されつつあるのを悟られないよう、俺は眉間に皺を寄せて一色の方を見る。人によってはインコースに投げといて妙な顔する奴だなと不快に思うかもしれないが、堀江は特に気にしていないようだった。器で負けてねぇか俺。
気を取り直し、サインを受け取ってボールを投げる。バックドアのスライダーは、なんとかストライクゾーンに入ってくれた。
ボールを受け取り汗を拭うと、一色がもうサインを出している。ツーシームをインコースに、と?ちょっと怪しい気もするが、多分ここからインコースでもう一つストライクを取りたいのだろう。カーブ、チェンジアップはランナーがいてあんまり投げたくない、シンカーは決め球として取っときたいで仕方なしのツーシームというところか。
自分のペースを取り戻そうと、ゆっくり頷き、これを投じる。ボールが届いた時、一色のミットはさっきのストレートと同じような位置にあった。一色はミットの向きを工夫した上に、フレーミングも綺麗に決めていたが、審判はボールと取ってバッティングカウントとなった。一気に息が詰まる。
「ハハッ」
情けねぇ〜。相手は確かに天才だろうけど10近く下のガキにビビり散らしてしまっているとは。
そう思って、ふと、別の感情にも気付く。いや、ビビってるだけじゃないか。こいつが打つ一本が俺からであってほしくないという気持ちもあるな。
大仰な言い方をするのなら、看取るのが俺でいいのか、という畏怖。
加えて思う。俺だけが見えているこの数字は。これによって帳尻合わせのような何かが働いているのだとしたら、俺が堀江を潰したようなものではないか。俺がこの数字を見た事でそうなる事が確定してしまったのではないか。
そうとは限らない、と自分に言い聞かせながらも、その考えが消える事はない。
肌を伝う汗が、いつもより重く感じる。脱帽し、手の甲で額の雫を払う。
数多の選手が才能を磨き、鎬と身を削り、そして泡のように消えていく。そこに最初の立ち位置、すなわちどう始めるか、というのはあまり関係ないよう俺は思う。例えば俺自身などはドラ7の敗戦処理から始まっている。無論、すごい選手になりました、などと胸を張っては言えないが、こうして4年生き残る事は出来ている。
俺よりすごくて、俺より舞台から降りるのが早い選手はたくさん居る。たくさん居るのだ。見てないか、見えないだけで。
この間の坂さんの笑顔がふと思い起こされる。ボロボロになりながらも最後の一打を放ち笑いながら去っていくあの姿は印象深かった。
岡部さんもそう、篠原さんもそう。誰かの記憶に残るだろう、美しい終わり方だった。
だからって、こんなにすげぇ奴があと一本だけしかヒット打てないなんてそんな話ないだろ。
「どうすんだよこれ」
思わぬ背負い物に図らずもそう口に出す。…佐多のような例もあるし、俺のアレが何かを確定させるようなモンではないとは思いたい。
そう考えつつ投じたチェンジアップは真ん中低めに落ち、ストライクとなった。並行カウントだ。カウントにも心境にも余裕はない。
それでも、腹を括らなければならない事がある。
この後だ。仮に、堀江が俺から最初で最後のヒットを放つとして、俺はどこに何を投げたら後悔がない?投げミスは考慮しない。
…真っ直ぐ。真っ直ぐだな。今季俺をここまで押し上げたのは真っ直ぐとシンカーだが、チェンジアップを投げ込んでいるのと、コマンドの面でこちらに軍配が上がる。
違うサインが来ても首を振ろうと考えて一色の指先を見る。人差し指一本、ストレートだ。
頷き、モーションに入る。投げ込む先はアウトハイ。三振を取りに行く。内内低めと来てて見慣れてねぇだろ。
踏み込んだ足で力を溜め、思いっきり体を捻る。縫い目に指の肉が深くかかって、すぐに離れる。
目掛けた場所に行くには理想的な、駿河を打ち取ったあの時のようなボールだ。
堀江が踏み込む。上げた足がファースト側へと着地し、腰が回るとそれにつれてヘッドがかえる。去年テレビの前で見たような、それでいてそれよりも高い弾道で、白球が夜空を舞う。
「…そっかぁ」
ライトスタンドへの、堀江のプロ初打席初安打初打点初本塁打。載せられるものを全部載せて飛んだ打球を目で追った後、堀江はゆっくりと、そして笑いながらダイヤモンドを周遊した。
どう始めるかではなく、どう終わるか。
瞬間最大風速で以てプロ野球人生を駆け抜けた男は、ファンの心を鷲掴みにして飛び去っていった。
後に、"消えた天才"、"ガラスの大器"との二つ名を得る堀江秀の、最後の打席だった。
久松の成績(9/26終了時点)
登板数:42 投球回数:126.0 奪三振:120 四死球:27防御率:2.14 26セーブ
ep75の防御率が間違っておりましたので訂正します。
当該話にもすぐに訂正をいれますが取り急ぎこちらに。
防御率:2.20→防御率:2.09




