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グッドバイ・ピッチ  作者: カロリーはうまみ
1年目(久松プロ4年目)
37/141

9/21 対帝東ブレイブス 第25回戦③

ゲームは動くことなく、終盤を迎えた。

京央ネイビークロウズは5回裏以後一人もランナーを出せず、投手戦の様相を呈している。敵チーム先発の大田原は力配分と球種制限がプラスに働いたのか尻上がりに良くなっていき、反撃可能な失点程度へ状況を押し込んだ。彼が7回1失点の好投という成果を持ち帰った事で、勝負の趨勢はまだまだわからないという形になっている。

端的に言えばこの8回裏こそが正念場であった。


「篠原、ちょっと」


監督代行の三渕が守備を終えベンチに戻ってきた篠原に対し手招きをする。

チャンスになったら交代か、とやや肩を落とし、篠原は三渕の側についた。


「いいか。6、7が塁に出ようが、俺は代打を出す気はない。守備も変えん。現場は最後までお前に任す。この試合くれてやる。だから、最後の仕事までしっかり頼むぞ」

「いいんですか」

「構わんさ。監督代行なんて中途半端な職責だから、こういう事でしか選手の事を気遣ってやれなんだ。だからよ、お前を最後まで試合に出しつつ勝ちたい。俺はそう思ってる。改めて頼むぞ」


なるほど、三渕監督代行とは、腹を割り、腹を括ると良さが出る人間だったかと篠原は心の中で膝を打ち、実にキャッチャーらしい性質であると得心した。

故にこそ、やや曖昧だった指示を確認する。


「ありがとうございます。あー、ええと、最後の仕事というのは守備を、っちゅう事でよいですかね」

「違う違う、後輩の教育。先輩として、な」


誰を、と思ったがそこまで聞くのもなんとなく憚られ、篠原はわかりましたと返事をした。

そうして三渕と篠原の距離が開こうとした時、軽快な打撃音と歓声が場内に響いた。

先頭が塁に出た。


「おい!代打の準備させぇ!池田行くぞ!オイ!おらんのか!池田呼んでこい池田!」


打撃コーチだか、三渕監督代行だかの声がベンチ内に通る。少しすると慌てたように池田が出てきてバッティンググローブを装着し始めた。

篠原は池田の様子を見てやや考えた後、ゆっくりと近づいて話しかけた。


「池田、焦らんでいい。今は自分のペースを作れ。いいか。なんでもそう、得意な事があっても、それを発揮できんような状態になるのは良くない。今どうや。出来るかね」


篠原がそう諭すと、池田はふうと息を吐き篠原の目を見た。


「大丈夫っス。今落ち着きました。ありがとうございます」

「うん。ついでに整理や。打つ上で得意なもの、事、状況。挙げてみ?」

「得意なのは、えー、速球打ち…。初球打ち…。高め…。チャンス…」

「代打適性あるの〜お前。ええこっちゃ。じゃああとはコース絞れば打てる。それ以外難しい事考えるな。ええか」

「うす」

「お前が堂々としとればしとるほど俺は安心して打席に立てる。俺の後は頼んだで」


篠原がそういってネクストバッターズサークルに入った途端、また歓声があがる。今度は長打だった。

無死2、3塁。膳立てというべきか餞というべきか。そういう状況に篠原は苦笑いしながら滑り止めを吹きかける。彼が打席に近づくたび、ライトスタンドは沸き、その名前を呼ぶ声がこだまする。


「8番キャッチャー、篠原。背番号27」

「そーれかっとばっせかっとばっせしーのはら!かっとばっせかっとばっせしーのはら!かっとばせー!しーのっはら!」


篠原は照れ臭そうに顔をひと掻きして、一度バットを振った後打席に入る。

歓声も、鼻を啜るような音も、トランペットの音も、何もかもが響くフィールドで芳賀は前の打席と同じように篠原に声をかけた。


「篠原さん、すんません。最後の打席なんでしょうけど、普通に打ち取らせてもらいます」

「…気を使わせたね。大丈夫よ」


無死2、3塁とあっては当然の事だろうと篠原は思う。マウンドにはこの回から大田原の後を受け投げている横瀬。

この横瀬も引退を表明しており、恐らくは情報を与えない為の登板だろう。ベテランがその役割を全うするというのはこういう仕事も含まれる。

そんな姿を目に焼き付けた後、篠原はサードコーチャーと監督を見る。サインは"打て"。ある意味当然のそれを受け取って篠原は笑う。

そうして、アンパイアがコールし、インプレーになった。


「トライッ」


横瀬はサウスポーのスライダーピッチャー。サイドスローから放たれる横滑りの変化球は、鋭くそして大きく曲がる。

実際この一球目も、外から大きく曲がって真ん中あたりに入り込んできた。


「(経験ある変則左腕ねぇ。多少落ちてきてるとしても、追い込まれたら終わりのボールがあるのは厄介やな。ただまぁ、今のはコントロールミスやろ。あんな甘いとこに1番の武器を見せたくなかったやろうしな。芳賀くんの発言は、キャッチャー的にはちゃんと打ち取りたいって話と見るべきやね。はっきりいってピッチャーの状態は良くない。ランナー2人もいて曲がりの大きいボールを初球に持ってきたのは強く当たられると困るからかな。前2人が打ってたの考えると、スライダー以外は多分使い物にならんのやないか?で、そのスライダーも大分苦しいボールやと。ちゅうことはさっさと曲がりの大きさだけ見せて警戒させたいとかか?なおさらコントロールミスやん。外したかったろうに)」


篠原が思考を巡らせ、2球目を待つ。

これはボール。内の方にストレートを投げ込んできたが、高く抜けていた。


「(内に真っ直ぐできたか。横手投げのピッチャーなんて投げられるボールは限られとるし、下手すりゃツーピッチなんちゃうか。最初のボールが想定より甘めに入ったからリスク覚悟で内攻めして、最後外のスラを振らせたいとか?)」


篠原はこっそりと芳賀を見る。その佇まいは泰然として、焦りなどは微塵も感じさせないものだった。篠原は内心舌打ちをしつつ、思考を続ける。


「(流石に隙なし、と。まぁ、構わんわ。俺やったらこっから徹底的に外。内はもういっぱい見せとるし打ってもいる。8番にフォアボール出して代打との勝負に逃げ道がないのが1番嫌や。俺勝負なのは確定。リスクが1番低い外低め。だからこそ狙う。最悪凡退してもいい。そこ以外このピッチャーには行き場がない事を池田に示せればそれでいい。おまけにランナーが帰ってくるならなおよし。故に外のボールに対しては)」


横瀬がセットポジションからテイクバックを取る。篠原はそれに合わせてライト方向へステップする。芳賀が小さく、バレるよな、とぼやいた。

篠原の考えた通り、外低めに放られたスライダーは芯を食った当たりで、ライトを襲う。

外野は前進守備を敷いていたので、この強い打球に慌てて落下点へと退いた。

三塁ランナーは冷静に状況を把握し、ライトが捕球したのを確認すると、一目散にホームへと飛び込んだ。

返球は間に合う事なく、中継プレーでボールを受けたセカンドが2人目のランナーを見遣りながらインフィールドに戻ってくる。犠牲フライだ。これで2-0とした。


誰に聞こえるでもなく、篠原は打ってすぐ独りごちた。


「あ、こりゃ正面…。ふふ、でも引退するにしちゃまぁ強い打球やないかね」


篠原は思わずボールの行方を追ってしまい、打席に立ち尽くしていたが、芳賀に声をかけられベンチへと退いた。


「篠原さん、ナイスバッティングでした。駆け引き、楽しかったです」

「ありがとう。こちらこそ」


そんなやりとりのあと、代打がコールされる。

呼ばれた張本人である池田は、篠原の背をしっかりと見ていた。

外低めの変化球は池田にとって苦手なコースであるが、決め球以外はそこを通らないと理解していた。だからこそ、初球の甘い球を叩きにかかる。そしてタイムリーヒット。3-0となった。


「ナイバッチや!よう打った!」

「あざす!篠原さんもです!」


そんな風に讃えあい、最後の舞台へ上がる準備をする。

結局3-0で8回を終え、9回表の守備となった。


「あぁ、気持ちがいい。心残りはない。引退試合でここまでやらせてもらえるのは本当に幸せや」


ホームベースの側までのいくらかの距離。

心からの言葉を、篠原は憚らずに呟く。

そういえば、十川の後は誰が投げるのか聞いてなかったな、と思いつつ歩いていると何度か聞いた覚えのある登場曲が流れ始めた。


「ただいまの回に代打いたしました池田に代わりまして、ピッチャー、久松。背番号43」


アフロマニアの『永遠に』が、東京の夜空に鳴り響く。なるほど、後輩の教育というのはこれも含めてか。それとともにリリーフカーからマウンドに向かうその姿を見て、篠原はふっと息を吐き笑った。


「よう、ここまで這い上がった。ようやった」


作戦会議のていで、マウンドに駆け足で向かう。

そうだな、ずっと今この時が続けばいいな、久松の登場曲を耳に入れつつ、そう少しだけ思いながら、老兵は重くもあり軽くもある歩を進める。


「ヒサ」

「篠原さん。最後が僕でアレですが、リードのほどよろしくお願いします」

「うん、うん。いや、申し分ない。特にこだわりはなかったけど…。うん、最後が十川か久松なら、楽しく終われるわ。…じゃ、セーブつけられるようかんばろか」

「はい」


9回表、投球練習が終わり、最後のセカンドスローを投げる。

誰にも負けないと自信のあった38.79m間のボールは、全盛期と比べれば見劣りするものだった。しかし、それすらも篠原は満足気に笑う。

心底楽しげだった。


「プレイッ」


主審の声は、もはやホームベース周辺にしか届かないほどだった。

球場全体から鳴る音。それは篠原に向けられたものが過半であったが、意に介さず篠原はサインを送る。

帝東打線は1番大石から始まる好打順だった。


「(投球練習の感じだと、連投の影響はないと見ていい。ストレートもいいし、スラもいつも通り。だからこそ、巡りのいいここを抑えたい)」


そう考えつつ、篠原は大石の様子を探る。

23歳と若い打者ながら、左バッターボックスに構えるその佇まいは落ち着いているよう見える。

だが、やや開き目に構えたスタンスで、若干力みがあるように見えるグリップの握り。

篠原はすぐさま三振までの段取りを頭の中で整えた。


1球目、真ん中低めにストレート。ここはある程度低くさえくればどこでも良かった。ストライクが欲しかったし、仮にスイングを仕掛けられても大した事にならないと考えていたからだ。根拠はバッターの力み。力みがあるとバットは打者が思うほど出てこない。となれば、速いほど詰まりやすく派手な当たりになりにくい。

久松は三振を取ってどうこうするスタイルではないが、取ろうと思えば取れるだけの引き出しがある。打ち取り方はたくさんあっていいし、三振というアウトの取り方はリスクが低い。

覚えておいた方がいい事であった。


2球目は内側にシンカーを投げさせ、3球目はまた内にストレートを投げさせた。

球速帯を速球と半速球でまとめつつ2-1のカウントを作り出す。速いボールへの反応が遅れている事に大石自身も気づいており、ボックスの後ろに立ってバットを短く持っている。

しかし、目ざとい篠原はそれを見逃さないし、想定の内に入れていた。

とどめに選ばれたのは外のチェンジアップだった。ストレートと同じ腕の振りで投げられたボールは、その遅さで大石をつんのめらせた後、篠原のミットに収まった。


続いて出てきた2番の東もまた左バッターだった。ただ、大石のような隙が目に見える選手でもなかった。

様子見に外のスライダーを投げさせてみると、これにスイングをかけてきた。

変化球狙いだろうか、そう考えた篠原は次に外のストレートを要求する。久松はこれに頷くと、すぐさま篠原のミットめがけ投げ込んできた。東がまた振り出す。バットと衝突したボールは鈍い音を立て、ショートの正面に転がった。思いの外早仕掛けだったが、スライダーとの球速差と球威が生きた形となった。

ともかく、これで2アウトだ。


「3番センター、藤田。背番号、4」


帝東ブレイブス主軸、藤田がコールを受けバッターボックスに入る。

左左と続いてきた中での右バッター。久松にとってはこの打者を抑えてこそ成長の証と出来るだろう格もある相手だった。バットはやや寝かせ気味。高めにツボがあり、足の速いバッターでもある。


「(横滑りする球はちょいリスキーかね。でも、ストレートをバンバン投げさせたいかって言われるとそうでもない。ま、こういう手合いはこうだわな)」


篠原からすれば裏をかきに行くつもりの球種だが、久松は一瞬の逡巡もなくこれを了承する。


「ボォッ」


ゾーンを外れたチェンジアップに藤田は渋い顔を一瞬浮かべる。

ストレート系の速い球を想像していたのだろう。そして、次もおそらくはストレートを待つのだろう。そこを一つ外すのが篠原であり、それを実現するだけの手数を久松は持っていた。


久松が投じた2球目はツーシーム。藤田に上っ面を叩かれてそのまま地に落ちると、バックネットまで勢いよく転がっていく。

金属製のネットは、けたたましい音を立ててその衝撃を飲み込んだ。

カウント自体は1-1だが、藤田にとってはあまり良い状況ではない。得意な球が来る気配がない以上、仕掛け方を変えなければならないからだ。

反面、篠原と久松はストレートを投げる気などさらさらなく、スライダーも余程のことがなければ使うつもりはない。速球系はツーシームで充分だったし、カーブ、シンカー、チェンジアップと球速帯もそれなりにバラけさせられるので、目を慣れさせるような事にはならない。ないだろうが、仮に藤田が、速めの球に絶対食いつくダボハゼならば、それをバットが届かないとこに投げ続ければよいだけの話だ。

アプローチを変えられたらその時はその時。

お互い何とは言わず、同じようにそう考えていた。


3球目、久松がイン低めにカーブを投じると、藤田はこれを巻き込むように打ち返した。

ライナー性の打球はサードのラインを勢いよく通り越してファールゾーンへと落下した。

藤田は上手くバットを返して打っているのだが、その軌道からフェアグラウンド内に落ちることはほぼないとバッテリーは想定していた。

チェンジアップ、ツーシーム、カーブと来て追い込んだ。

初球のチェンジアップをものともせず、ツーシームとカーブに食らいついてきた藤田を、篠原はつま先から頭まで観察する。

そして、今からサインを出す球についても問題ないと確信を得た。

後は久松がしっかり投げ込めるかどうかだけだが、そこも篠原は心配していなかった。


サイン交換が終わる。久松が投げ込んでくる。

ゆっくりと、ゆっくりとボールがこちらに向かってくる。

カーブより速いはずのシンカーをその目に捉えていてなお、篠原はそう感じていた。

落ち始める。藤田のバットが出てくるが、シンカーがそれをかわす。

ワンバウンドしたボールを、篠原は体ごと押さえ込み捕球すると、空振りして立ち尽くした藤田にタッチする。

そうして空振り三振が成立し、試合が終わる。

篠原京介の、プロ野球選手としての生涯が終わる。

後悔がなくはない。大した成績を残せたわけではない。

しかし、終わりが来た以上それはそれとして受け入れなければならない。捕手として、先輩として、選手として、最後までやり通してのプロであると、篠原は考える。


マスクを外す。そうして息を吸い、力一杯叫んだ。


「ヒサ!ナイスボール!最高のシンカーやった!」


男は、その一言を置き土産とし、静かにミットを置いた。

終始笑顔だったその顔は、ようやくとばかりに涙を流し、皆と満足そうに抱き合った。

久松の成績(9/21終了時点)

登板数:24 投球回数:43.2 1勝4敗1ホールド1セーブ 防御率:4.12

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