表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グッドバイ・ピッチ  作者: カロリーはうまみ
3年目(久松プロ6年目)
139/141

8/25 本人からの申し出により

「十川和也、今年で引退します」


スーツを纏い、球団事務所を訪れた十川は、いつもの契約更改の部屋に扇が入ってきて座るなりそう言った。

扇からすれば寝耳に水で、いつもの汗を拭く仕草や手団扇がより忙しなくなっている。


「十川くん、少し、少し待ってくれませんか。なにもこんなに早く諦めなくても」

「待つって何をスか。別に待つのァ構いませんけど何も変わらんでしょ。選手本人が辞めるってんですから」


十川の言葉は全くその通りであり、選手に現役続行の意思がない以上、球団としては受け入れる他ない。

ただ、技巧派である十川ならば。加齢による能力の減衰が少ないだろうと見て、来年または再来年ぐらいでの復帰を、編成としては目論んでいた所だった。十川が功労者であることは間違いなく、たった一度大怪我をしたくらいで切りに行くなんて事は微塵も考えていない。

それはおろか、通常なら選択肢に入ってくるであろう育成契約ですら、礼を失する提案だとして、相応しくないという話になっている。どうしたものか。

先の流れにあった通り、本人が辞めるという以上、交渉の余地がほぼない事は分かっているが、何とか翻意をと扇が再度口を開く。


「えぇ、えぇ。ただ、今じゃなくてもよろしいでしょう。我々編成は、君を来季再来季の戦力と見ています。リハビリだって上手くいっていると聞いていますよ。辞めるという意思を尊重するつもりはありますが、何も今シーズン末というのは」

「まァ〜、こればっかりは俺の感覚なんでねぇ。体を動かすのはまだワケないんスよ。ただ、リハやってて思うのは、元通りには動かんのだろうなって事っス。今でこそ動くだけ動かす分にはって感じですけど、全力で投げるとなった時に腕を思い切り振れるか?っつー不安があるわけっスわ。おまけに腕振れたとしてスピードは出んのか、変化球は曲がんのか、とか」


扇から見た十川の目には、色濃い諦念がこびりついていた。

おそらくは、怪我をしたその瞬間からそれを意識していたのだろうと、扇は考え押し黙る。


「ま、後ァ俺のトシもネックでさァな。ケガした部位を鍛え直すのはごくごく当たり前の事ですわ。ただ、経年劣化した他の部位が鍛え直しの負荷に耐えられるのか、っつーと無理じゃねぇかと。だから、復帰は難しい。これが俺の結論ですわ」


からりとした物言いをするために、現実を受け入れるのに、どれほど悩み、考え、拳を打ちつけたのだろうか。

当事者でない己がそのような情動的で短絡な想像に至るべきではないが、なおもやるせない。

眉間に皺を寄せ、天を仰ぐことしかできない自らの力不足を責めながらも、あがきつつ折り合いをつけていく。


「…詳しい話は事務方と調整してからという前提で、年俸3パー減程度に収めても、気持ちは変わりませんか」

「動けねぇのにそんなに貰えませんよ。それに、俺くらいの歳のやつが怪我で引き際考えた時点で、もう心も死んでるんすわ。プロとして」

「…そうですか。惜しい。実に惜しい。クロウズの黄金期は君あってこそと考えていただけに、このような決断をさせてしまうのは編成の責。忸怩たる思いですよ。本当に申し訳ない」


分かっていたことだが、提案に食い付かなかった十川の言を受け、扇は深く頭を下げる。


「いやぁ、扇さんそんな。俺が勝手にケガしただけっすから。頭下げるようなこっちゃないすよ」

「選手が壊れた時は、壊れた時のトップが、無理をさせてすまないと謝るものです。どんな理由であれ、どんな経緯であれ、ブレーキとしての役目を果たす責任がありますから」


そんなやり取りを経て、扇が頭の位置を元に戻し、居住まいを正す。


「十川選手。あなたの引退の意、確かにお伺いしました。球団幹部へは、私からお伝えして話を詰めていきます。で、時間も経たないうちからこんな事を聞くのもなんなんですが…、指導者に興味はありませんか?」


サラリーマンのように退職金を出して報いるという事ができればある意味楽だったろう。

話にこそ出さなかったが、引退セレモニーの打診などこのクラスの功労者には当たり前のこと。何の補填にもならないのだから、はなからやるものとして扱う。

あって当然のものは誠意の品になるわけもなく、編成部の悲哀というべきか、GMという立場から功労者に見せられる誠意というのは、ポストの手形くらいしかない。

だが、十川はあっさりとそれを断った。


「今んとこはないっすね〜。向いてもねぇかなァ。どっちにしても、家族に負担かけてるんで、そこを埋め合わせしたいですし、ひとまず次の働き口のことは後から考えますわ」


あっけらかんという十川に、扇は小さく苦笑いを浮かべながらも、不首尾となった交渉の後始末をしっかりと口にした。


「ハッハッ…。でしたら私からは無理強い出来ませんねぇ。では、興味が出たり、仕事が欲しくなったらまた教えてください。あ、それと。発表とJBCL経由での公示はチーム内での事務処理が終わり次第行います。引退セレモニーについては…。また今度こちらで詰めてから話しましょうか」

「オッケーっす。ワガママいってすんません」


いえいえ、と、つとめて鷹揚に返し、扇はひとまず汗を拭う。

この1週間後、公示とともに報道が出て、十川和也の引退が世間に知られる事となる。

藤木政権を含め、弱い時期のクロウズを一本柱として支えたエースは、惜しまれながらも振り返らずに去っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ