6/27 対南州レッドウルス 第12回戦④
100球肩という言葉がある。意味合いとしては単純で、ボールの質を維持出来る限界の球数が100付近の選手の事を指す言葉だ。
もちろんかかる負荷や体力には個人差があり、限界値は一定ではない。
ただそれでも俺が言いたいのは、どんなピッチャーであれ100球も投げたらどうやったってキツイよという事であり、それは長年先発をやってきた原さんと、巡り巡って先発に回った俺との間にあって唯一共通する負担量でもある。
「(大学ン時は120球くらい投げたっけか。そん時よりキツい気がするけどやっぱ肉体的な衰えとかもあるのかね)」
池田のホームランで試合を振り出しに戻した事により、残りの2イニングは俺と原さんのどっちが先に降りるかという意地の張り合いになった。
2人とも7回1失点で役割はしっかり遂行していると言えるだろうから、どれだけイニングを食えるかとどれだけ負担を後ろにかけないかで優劣が決まる。
もちろん、俺がかかり散らかしてるだけで原さんは何も思ってないかもしれないのだが。
「ッシャ、ヒサさん踏ん張って行きましょう!」
佐多が歓声を割るように大きな声でそういうので、俺は軽くグローブを上げて返事をした。
「8番キャッチャー、犬童。背番号…」
8回は8、9と流れて1に戻る打順。9回にクリーンナップと正面切ってやり合うのは嫌だが、体力的にはここを一気に駆け抜けた方が楽になる。犬童さんは、ランナーがいないならまだなんとかなる打者だ。
半ば祈るようにそう考え、サイン通り腕を振る。
「ストライッ」
俺が91球目に放った甘いスライダーに、犬童さんはぴくりとも反応しなかった。
「(不気味な見逃し方…、っつーか多分待てのサインか。しまったな。ちょっと投げ急ぎすぎてるか。周り見て考えるみたいな余裕がなくなってる)」
焦りと疲労に蝕まれつつある思考を取り戻すべく、俺は初夏の少し熱ある空気を大きく吸い込む。
今度はセットに入る前に間を取り、周囲を確認した後カッターを投じる。これも見の姿勢で、カウントは2ナッシングとなった。これで92球。残りのスタミナを考えるとこの打者は3球で仕留めたいところだが、視界に入ってきたネクストバッターズサークルの様子がそれを一瞬掣肘する。
「(原さんが出て来てない…。代打もありうるぞってか。まぁこういう手牌の示唆は裏目にならんしな。だとしても)」
池田の構えた位置とサインに頷き、犬童さんのインコースを、93球目、140キロのストレートでぶち抜く。
3球勝負も想定はしていただろうが、それでも外への目付をメインとする考えだったと見る。
原さんが今96球で、次8回のマウンドに上がるわけだが、俺と原さんとの殴り合いで原さんに負けがつくのは、どう考えても1敗という数字以上に痛いはずだ。何故なら、原さんは開幕以来ローテの先頭で投げ続けているエースであり、高い確率で一勝をもたらしてくれる存在だから。
ゲームを作り、あわよくば9イニング食う、勝つ、というのが彼に期待される役割なわけで、その一部である勝つ、の部分を消耗した挙句、格下に邪魔されるのはチームとして非常に痛いという理屈である。
それに、原さんとしても自主トレを共にした、リリーバーの後輩相手に投げ合いで負けるなど微塵も想像していなかっただろう。まだ決着はついていないが、ここまで膠着した状況に持ち込めた時点で、勝ちも負けもその影を色濃く意識しているに違いない。故にこそ、例えば限界ギリギリだとしても、行けるか?と聞かれた時にノータイムで行けると答えるだろう程度にはプライドを刺激出来ているはずだ。
だから、ここに代打はない。
「9番ピッチャー、原。背番号17」
利き腕と同じ左の打席に、原さんが立ちヘルメットを目深に被る。
肩と同じくらいの高さに構えられたバットは、ゆらゆらと揺らめいて止まらない。
回が深くなると体力の温存を優先してわざと空振る選手もいるが、果たして原さんはどうか。
なお、俺にはそこのあたりの選択肢はなく、どうであれしっかりと投げ切るしかない。
そう思いつつ、初動に外へのスライダーを置く。
俺の投げた94球目のボールを、原さんはライトスタンドの方を向きながら空振る。
「(流石にやる気なしか?原さん別の試合とかどうしてんだっけ。わかんないとこういう時困るよな)」
撒き餌のようにも見え、結局判断がつかないので、外の早い球でゴリ押す事にした。
アウトを取るために要した2球に対し、原さんは同じところを振ってさっさとベンチに戻っていく。余計な体力を使わされた感はあるが、これはもう仕方がない。次は比較的得意にしている上村さん。ここでぴしゃっと切ってしまえば少し休みを取れる。
疲労故が、少し震える指先に喝を入れるよう手先をこね回し、投球態勢を作る。
結果として、上村さんには5球を使う事になった。
「久松手首あたり問題ないか?さっきストレッチしてたみたいだが、張りとかは」
ベンチに腰掛けると、宇多コーチがゆっくり横につき、そう聞いて来た。
「大丈夫です。痛みや張りではありません。疲労が出て来そうだったんで軽めに伸ばしとくかくらいのものです」
「そうか。大丈夫なら次も行ってもらいたいが…」
俺が頷くと、宇多コーチが柔らかい口調で釘を刺すようにいう。
「交代に関しては準備してあるから、気負わなくていい。絶対無理はするな」
軽く俺の背を叩き、コーチは吉永監督の元へと移る。そしてアダメスから始まった8回裏の攻撃は、結局ランナーを1人出しただけに終わった。
プロに入って初めて、9回のマウンドに立つ。7回あたりから何度も見ていた電光掲示板の俺の球数は101と表示されている。
一つ区切りの数字を迎え、自覚ない精神的な変化でも働いたのか、実に笑えない事に、投球練習で投げた真っ直ぐは明らかに威力が落ちて来ていた。
「2番ショート、菱刈」
4回り目の菱刈が打席に入ってくる。こういうタイミングで上位打線だもんな、勘弁してほしい。
真っ直ぐがここに来て頼れないのは痛いが、使えるものをあり合わせてなんとかするしかない。その辺は池田も分かっているだろう。
そんな風に気楽に構えてサインを見る。ストレート。おいバカ。当然首を振ったが、最近見なかった我の強さが出てかサインが変わらない。
久しぶりに根負けし、真っ直ぐを池田が構えたところへ投げ込む。
菱刈は真ん中低めのストレートをしっかりととらえて振り抜いて来た。
「(っぶね〜!おいおいアジャストされてんじゃんしっかり…)」
芯を食って引っ張られた打球は、早い段階で一塁線を通り越し観客席へと飛び込む。
138キロと遅くなっていた球速が巡り巡って幸いしたようだ。
…いかん、疲れもあるが池田の強情を久しぶりに見て少し余裕がなくなってきた。というかどういう攻め手を想定してストレートを初球に持ってきたんだ。
頬の汗を払い、とりあえずサインを受け取ろうと前を見ると、あんまり投げる機会のないカーブのサイン。
「(こいつマジか。ホームラン打たれる事とか全く考えてねぇのか?)」
さっきと同じく首を振るが、ここも変わらず。おいこれもう無理心中だろ。
諦めて、ままよと抜き気味に腕を振り下ろす。少し、ちり、とした感覚が肘に走ったような気がしたが、細かい感覚に気を割けるような心の余裕は残念ながらなかった。
カーブはというと、なんとかストライクの枠内に収まってくれたようで、審判が拳をあげている。
なんとか追い込んだ。あとはさっさと仕留めるだけだが、何をウイニングショットにするかが問題だ。カーブの後だからスライダーやチェンジアップはまずない。…あれこれほぼ一択じゃね?
結局受けたサインはストレート。外低めに投げ込んでこいという。いくら再現性が高めのボールだからってこんな状態でうまく行くと思うのか?あぁもう知らん。
今日何度目かわからないが、腹を括り、腕を振る。ちり。またそんな感覚を感じつつも指先で弾いたストレートは、なんとかミットの位置から大きく逸れる事なく、バットの軌道から逃れて収まる。
「オッケーナイスボーっ」
池田は呑気にそういうと、収まったボールを内野に回す。
ストレートカーブストレートの配球は、俺の状態を確認しつつ、腕の振りを良くし、尚且つ目先を変えるのを目的としていたのだろう。
息をついてようやく分かったが、9回同点でやる事じゃねぇ。そんでもって伊東にもストレートで突っ張ろうとするんじゃねぇ。
ここは譲れないと2、3首を振ると、今度は池田が折れた。代わりに出るのはツーシームの合図だった。
ちり、とまた肘に来るが、それしきで今更何かが変わる訳ではない。そう言い聞かせて105球目のボールをリリースする。
内に食い込んだ分か、窮屈そうなスイングでボールの下半分を叩いた伊東が、しまったという顔しながら上を向く。
「池田!上だ!」
力無く打ち上がったボールを、俺の声と同時に空を見上げた池田が追いかけ、三塁ベンチの近くでこれに追いつく。なんとかツーアウトだ。
問題はここから。
「っしゃ、ヒサここだぞ」
先ほどのファウルフライを追いかけた時放り投げたマスクを拾いながら、池田がそう声をかけてくる。
打席では、今日無安打の4番深水が鋭い素振りを一つ見せ俺のことを待ち構えていた。




