降格2週目 ④
この人にしか言えない、最大で最悪の秘密。
我ながらさらっと放り投げたものだと他人事の様に思いつつ、いつのまにか取り分けられていた俺の分の香草焼きをフォークでつかまえ、口に運ぶ。
鶏の脂とハーブの香りが口内に染み渡り、滋味深い味わいだった。
うん、うまい。そう小さく呟き、目線を上げる。
すると、やはりというべきか、眉尻を下げ困ったように笑う菅さんの姿があった。
「えー、え?分かるってその」
「言葉のままだよ。くっきりはっきり何本かって」
判然としないままの問いかけにそう返すと、菅さんはとうとう固まる。さて、アルコールの影響でか次の質問まで少し時間がかかるだろう。
口を開けたまま思案し、言葉が出ない菅さんを見つめていると、ウエイターが注文した日本酒を持って来た。
「失礼いたしまーす。周芳の冷でーす」
さっき頼んだからか、ことりと俺の前に酒を置き、空いた皿をいくらか持ってウエイターが去っていく。
音楽が鳴り、誰も彼もが好き勝手に騒めく店内で、俺と菅さんの卓だけが凪いでいる。
存外おとなしくなるものだなと思いつつ、俺は手元のグラスを持つべき人の元へと送り出した。
「はい。どうぞ」
「あぁ…ありがと。ちょちょちょ…。ちょっと飲んでいい?」
グラスを離したあと、手のひらをそのまま彼女に向けると、結構な勢いでふん掴み、口に持っていく。
150mlくらいのグラスだったが、半分くらいを流し込んでしまっていた。
ぷはっ、と息を吐くと今までよりも小さい声で話を続けてくる。
「ほ、ほんとなの。どういう原理で何が一体…。もうよくわかんない、よくわかんないけど…。えぇ…?あー、じゃあ、と、とりあえず例とか教えてくれる?」
「いいよ。一昨年だと浜名の岡部さんとか、瀬戸内の田坂。あと去年だけど坂さん。それから帝東の堀江」
「え゛」
俺がボリュームを合わせて名前を並べると、菅さんは元より結構大きい音量で呻いた。
「んんっ…。おっきい声出してごめんなさい。…堀江選手は確かにあのホームランの後十字靭帯損傷でまだ復帰できてないけど…。あの天才があれだけで…?証拠…とか言った所で無いよね。でも久松くんの事だから、こんな突拍子もない嘘はつかないだろうし」
酒の席とはいえ、思ったよりも信じてもらえて内心驚く。
こういう柔軟さや度量もまた、彼女の仕事ぶりを支えるものなのだろう。それに加えて頭も回る。
「それって、言っちゃなんだけどすごく有用…。いや結構とんでもないんじゃない?編成の人なんて喉から手が出るほど欲しい力だよね。もっというと…、その能力があればすごい打者を揃えるのもわけないっていうか」
「使いようによってはプロ野球界のバランスを壊す事だって出来るだろうね。だから、これまで誰かに言った事はないよ」
「なんでそれをあたしには言えるの?…って思ったけど…」
多分、酒が入ってなくても、他にも似た様な機会とタイミングがあれば、この人になら話してたんだろうなとは思う。
絆されて、とかではなく、尊敬と信頼の念を込めて。もちろん、彼女がどこまで行ってもプロ野球界の外にいるというのが前提にはなるが。
無論それは、向こうも気づいていた。
「うん、そうか。あたしが記者でしかないからだね。もっと言えば、球団の主担当ではないのもあるかな。それを聞いた所で何も出来ないもん」
記者という仕事は、訝しがられ、煙たがられ、疑われて、それでもなお信頼関係を築くことが出来た者だけが成果を出せるものだ。
例えば、俺が口を滑らせて誰々が残り何本だけしか残っていません、と漏らしたとしよう。
それを元に取材するとして、そんな話に、当事者含め誰がまともに取り合うだろうか。
まして、お前の野球人生はあとどのくらいだ、と素人から言われる訳で、そんな事があろうもんなら、鼻で笑った上追い出し、球場のゲートに塩すら置きかねない。信頼関係を築けていたとしても木端微塵だ。
だからこそ、俺が邪険に扱っても諦めずに話を聞こうとしてくれた事と、こちらを慮った上で取材や原稿構成をしてくれていた事。そして、俺が抱えるいくつかの秘密の中で唯一、チームや周囲の人間に損害を与えない事。
これらを踏まえた上で、彼女ならば話しても問題ないだろうと判断した。
少しずるい出し方だという自覚はあるが、これが俺の精一杯だった。
そんな罪悪感もあってか、喋ろうとする唇が重く感じる。
「…足元を見られている様で、気を悪くしたかな」
そういうと、菅さんは首を横に振った。
「ううん。なんかやっと本音聞けたみたいな感じで、そんなに悪い気分じゃないよ。…それさ。秘密だけど、悩みでもあるんでしょ?そういうのって誰かのために使えるならすごく楽しいんだろうけど、敵とはいえずっと見送るばっかりって事だよね」
「まぁ、そう。投げる時はさ、自分の事でいっぱいいっぱいになってる事も多いけど、それでもやっぱ色々考えちゃうんだよね。特に堀江の時なんかはちょっと堪えたかな」
そっか、とぽつりといい、菅さんは残った日本酒を飲み干す。
「久松くん、そういう場面で情けかけたりとか手加減とかする訳ないもんね。元々そういうの好きじゃなさそうだし、まして武田さんのお弟子さんだもん」
「…うん、まぁ、うん。だからそういう意味では、死神って渾名は、ある意味そうなのかもしれないんだけどさ」
「えーっ。ならいいじゃん。さっきの文句なんだったの」
「恥ずかしいっつってんの」
俺がぶっきらぼうにそういうと、前後の話はなかったように菅さんがからからと笑う。
それを見て、少しだけ肩が軽くなった気がした。
「あー、おもしろ。どうしよ、まだ飲んでいい?」
「えぇ…。いやあんたもうそんくらいにしときなよ。相当飲んだでしょ」
酔いが回ったのか、先ほどから笑顔を保ち続ける菅さんを諌めて、俺は水とカタラーナを2つ頼む。
そう時間を置かずそれぞれが届いたが、チェイサーの方は間に合わなかったらしい。
「あはは!久松くん!2軒目いこ!」
菅汐里、完成。出来上がってしまったものはどうにもならないので、適当に返事をしつつ会計を済ませる。
そして、笑い上戸と化した彼女をなんとか担ぎ出し、呼んだタクシーに押し込んで見送った後、息をつく。
手癖で話した事を振り返ろうとしたが、少し酔いの回りつつある頭で考えても詮無い事だと思い、やめる。
悪くない時間だった上、背負った呪いが少し軽く感じるようになったのだからそれでいい。
久しぶりに、気分よく帰りの途につける、いい夜だった。
周芳は山口県の日本酒という設定です




