降格2週目③
「あぁそう、俺菅さんに一つ文句言いたいんだった」
グラスを口から離して、大きな音を立てないようゆっくりと卓に下す。
運ばれて来た赤ワインに目を輝かせている菅さんには、水を差してしまい申し訳ないなと思ったが、本人はそう気にしてない様子だった。
「文句?なんか悪いことしたっけあたし」
「いや悪いことっていうか。あのーほら。俺のあだ名だか二つ名だかのアレ。ちょっと大変なもんでね」
シーズン初めに出た記事は、未だ俺の頭に色濃く焼きついている。
周りがバケモンキャッチャーやイカレショート、様子のおかしいクローザーなど味付けの濃い連中ばかりなので、俺の事を認知してもらえる、という意味では非常にありがたいのだが。
「チームメイトからは弄られるだろうなって思ってたけど、ファンからも死神って言われるのはちょっと恥ずかしいよ」
シンプルに、大仰すぎない?という話で。
波及した中で、特に勘弁してほしいなと思ったのが、Tテレのネット中継だ。
ただでさえやかましく大袈裟な岡島アナが、俺が三振を取るたび、死神だとか叫ぶわ吠えるわらしい。というかそこが第二の発火点のようで、ネットの海で弄られているとかなんとか。
そしてその影響を受けてか、じわっと俺関係のグッズが売れてるみたいで、複雑な気分だ。
余談だが、レプリカユニフォームの背番号をガムテープか何かで無理やり44に変えた写真がSNSでちょっとだけバズった。多分死を連想させて云々とかそういう感じのアレなんだろう。せめてバカウケするかダダ滑りしてほしかった。
「えー?あたし悪いのかなぁ。ごめんね?でも、投げる時あんな怖い顔してるんだから、そこまで的外れでもないんじゃない?」
「それよく言われるなぁ。そんなに?」
「うん。あ、そういえば一回あたしに怖い顔した時あったよね。人殺す、までは言わないけど。なんか、こう、ね」
グラスを傾け、目線を逸らしながら彼女がそう言う。あの時は俺もいっぱいいっぱいだったし、反省はしているので許してもらいたいところだ。
「その節は…」
「あはは。あの時は怖かったけど今は気にしてないよ」
人好きのする明るい笑顔と声で水に流すと、菅さんはそのままグラスを空にした。
「よう飲むね。水飲んだ方がいいんじゃない」
「うーん、うん。そうだね。そうしよっかな」
結構な量を飲んでいる上、度数がある酒ばかりを頼んでいるのを不安に思い、俺がチェイサーを勧めると、菅さんはわりあい素直に従ってくれた。
というかこの人、全然酔ったように見えねぇ。
「何杯目だったっけ今の赤で」
「4杯目じゃない?」
「いつもこんなに飲むの?」
「そうだね〜。あ、この香草焼き頼んでいい?」
「いいよ」
菅さんが、メニュー片手に水を一口含んだ後、ベルを鳴らす。
そういや俺もなんか頼もうかな。いやでも結構飲んでるしな。
そんな思案をしていると、菅さんが少しだけ姿勢を崩しつつ話しかけて来た。
「なんだかんだ久松くんも結構飲んでるでしょ」
「まぁそこそこかな。プロ入ってからはあんま飲まない様に気をつけてるし、今もそうだけど」
「それはすごく感じるかな〜。もちろんあたしもそう言う意図を持って誘ってはいないから、何か聞き出そうとかはさらさらないけどね。…あ、別に悪い意味で言ってはないから!」
慌てた様に手を振る菅さんの様子に、俺は思わず少し笑ってしまう。
「それは分かってるから大丈夫」
俺がそう言うと、菅さんは恥ずかしそうに頬をかく。
そうして、居住まいを正したかと思うと、神妙な顔で俺を見る。
「?どうかした?」
「…いや。実はあたし、仕事辞めようと思ってて」
「どうしてまた」
「クロウズ担当ではあるけど、一軍じゃなくて二軍に張り付く様に言われちゃったし…。去年の時点で色々あって、ちょっとモチベーションが下がってたから。スポーツ新聞とはいえ、社内での鍔迫り合いが結構めんどくさくてさ」
2軍に来てまで俺を取材する、という動きから想像はしていたが、本人が言う通り鍔迫り合いがあってそれに負けたらしい。
ただ、単純に記者としての能力はかなり高い様に見えるので、実力ではなく社内政治的な所での負けなんだろう。
1軍に張り付いているのは徳井という記者だが、特段目立つネタをあげてる様子もないし。
…そういや大分前、扇GMが東スポについてなんか手を打つとか言ってたような。もしかして関係あるか…?いや、まさかね。時期ズレてるし、流石にそんなことはないか。
「記者も大変だね。え?もしかしてやめるからこういう場を?」
俺の疑問に、菅さんは姿勢を崩さないまま笑顔で答えた。
「違うよ。仕事の一環のつもりで来たけど、約束もあるし、なんかお酒飲んでたらどうでもよくなってきちゃった。ちょっとした悩みって感じ。あんま気にしなくていいよ。言うつもりなかったんだけど、なんか出ちゃった。…ごめんね」
からりとした口調で言うが、端々に迷いも感じられる。
「いや大丈夫。そっか辞めちゃうのか。勿体無いというか、向いてるなと思ってたから残念だ。選手としては色々喋らずに済むから助かるけどね」
「…え。ちょっとびっくり。もっと否定的に見られてるかと思ってたよ」
「痛いとことか触れられたくないとこ突いてモノを書くのが記者の仕事でしょ。仕事を見たらそういう評価になるよ」
思う様にそういうと、見違えて菅さんの機嫌が良くなる。
「え〜???結構うれしーかも。辞めるのやめちゃおっかな。そだ、とりあえず。とりあえずもう一杯なんか行こ!」
「やめとけって」
俺がそう止めるが、彼女は嬉しそうに笑みを浮かべ続けていた。そんな中、良いか悪いか、さっき注文した香草焼きを持ってウエイターが来てしまい、菅さんは俺が飲んでいたのと同じ日本酒を冷で頼んだ。
「美味しかった?」
「普通頼む前に聞かない?いや美味しいは美味しいけど。フルーティな感じのやつだし、飲みやすいとは思う」
酔いが回って来て上機嫌なのか、それともさっき俺が迂闊な事を言ったもんだから上機嫌なのかわからないが、とにかく菅さんの顔から笑みが絶えない。んふふ、と笑い声を漏らしてすらいた。
「ね。ね。久松くんはなんか秘密とか悩みとかないの?私も話したんだしなんかあるなら話してよ」
秘密に悩み。話せないものはたくさんある。次の登板に関する事はもとより、十川さんの怪我やそれの埋め合わせ云々。自分のコンディションやチーム内の立場、それを踏まえた上でどう振る舞うかなど。
結局のところ、菅さんに言う訳にはいかないものばかりだ。
そうして色々思案した結果、一つ、まぁ喋ってみてもいいかと思った事を話してみる事にした。
酒の席の与太話で済むかも知れない、チームメイトやプロ野球関係者には言えず、菅さんならまぁ言ってもいいかと思えるようなネタが、俺には一つある。
後から考えると、酔った事にして、吐き出しておきたい事だったんだろうと整理できる。
「秘密、ね。俺、実はさ、誰があと何本ヒット打つかわかるんだ」




