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グッドバイ・ピッチ  作者: カロリーはうまみ
3年目(久松プロ6年目)
115/141

5/2 君だけが君を

「ただいまの回に代打いたしました野口に代わりまして、ピッチャー、久松。背番号43」


十川さんの見舞いに行った翌日、早い事ながらセーブの機会が訪れた。

世間的にはゴールデンウィークの初日とあって、デーゲームながら大入りのアナウンスが流れている。

やりきれない思いのままマウンドに上がった俺とは対照的に、客席は賑やかしく盛り上がっていた。

俺の心境はまぁ、御仁たちの知るところにないので当たり前だが、前回セーブ失敗した事も忘れているのかと思うほどに拍手と歓声が大きい。


「プレイッ」


審判が人差し指をこちらに向け、プレイがかかる。

ここ数試合の登板機会では、試合展開もあり、一色ではなく池田が9回までマスクを被っている事が多くなってきた。

そんな池田が出すサインを待つために、つま先を地に打ち付けて金具の土を落とし、セットポジションの体制を取る。

それらが不思議と、少しだけ心に凪をもたらす。


武田さんのように、緊張感ある場面或いは立場でアドレナリンを全開にし、ハイテンションで投げる選手もいるのだが、俺はそうではないらしい。

十川さん由来で感じるストレスが原因なのか、クローザーという立場からくる重圧が原因なのか、それはわからない。

ただとにかく、己と周りにある境界線が通常よりくっきりとしたような、そんな感覚だった。


ボールの凹凸は、普段と異なりその一つ一つが存在を主張する。グラブで隠しながらスライダーの握りを作ると、ちいさな糸束がざらりと肌に阿る。そのままステップを踏む。左足から右足へと力を移動させ、そのまま腕を振る。


「はは」


左打者のアウトコース低めへ曲がり落ちたスライダーの軌道に、思わず声が出る。

ボールの出来もあることにはあるがそれ以上に、投げた瞬間、完全に考え事が抜け落ち、ただこのイニングを遂行するだけが最優先になったのを感じた。

この試合の、投げている間だけは他人のことを考えずに済んでとても楽だった。


「ヒサナイスピ。…なんかあんま気合い入ってる感じなかったけど、今年1番よく見えたわ」

「そうか」


今年最後になるかもしれない9回の登板を、池田がそう評する。それすらも他人事のように返事をしてしまったところで、スイッチが切り替わった。


「…怒ってるか?」

「…いや。感覚は良かったけどスピード出てなかったなとか考えてただけだ。出来自体はお前と同意見だよ」


雑に話を合わせ、考えなくてはならない事に思考のリソースを割く。

先発転向の件。いやもちろん十川さんにはすごく、すごくお世話になっている。言っている事もわかるしありがたい。義理を果たすなら今だとは思っている。

だが、勝ち取った立場を手放すということに不安を感じる自分もいる。

先発だろうが中継ぎだろうが、チームに貢献できるならそれでいい。

ただ、それなりの覚悟を持って、俺は師からその座を奪い取った。今期十川さんに義理立てして、来年その席に座れるとは限らない。

情けないが、そんな考えがどうしても拭い去れないでいた。


「ヒサ。ちょっといいか?」


篠原コーチがそう声をかけてきたので、池田と別れてついていく。

通されたのは監督室で、中央に吉永監督、左に宇多コーチが座して俺を迎えた。ドアを閉めた篠原さんは右の席にさっとかける。

その後、少し俯き加減に吉永監督が口を開いた。


「久松、お疲れさん。ナイスピッチングだった。登板後すぐで悪いが相談があってね」

「…十川さんの件ですか?」

「…そうだ。本人から話を聞いたかな?」


監督の問いかけに俺は頷く。


「俺の代わりに先発を、と。あとはチームを引っ張れと言ってました」


簡潔に要約して話すと、監督はより深く俯いたかと思ったら大きく背を反らし、普通の姿勢に戻る。


「何故、彼が君を前に、と進言したのか、言われた時はわからなかったが…。今、少しだけ合点がいったよ。年齢や経験面での要素を勘案してたんだね。十川は」


独り言のように言って、吉永監督は頭を掻いた。

よくよく見ると、出会ったばかりの頃は黒々としていた髪の根元はわずかに白みがかってきている。


「GS前に篠原くんに言われたのをよく覚えているよ。勿体無い使い方をしていると。もっと使い方に幅のある選手だと。そして、4回までとはいえ、ケガ一歩手前までいくような状態でありながらもスターターとして役割を全うした。あれには、本当に驚かされたし、己の不明に恥入ったものだよ。君の持つ選手としての適性とその献身には、本当に感謝している」

「…ありがとうございます」

「で、本題だがね。改めて、単刀直入に話そう。先発転向してもらえないか」


俺は、蔑ろにされているとは思っていない。

思いやられていないとも思っていない。

ただあるのは不安だけだ。

俺がこうして一軍で投げられているのは、先輩やコーチ方の支えもあるし、監督が俺を見込んでくれたからでもある。

ただ、過程はどうあれ今年だけは、今年だけは勝ち取ったと言える立場だ。

そこがあっさりと覆るのは、あまり好ましくない。


「…僕の気持ちを、お話しさせていただいてもいいですか?」


おそらく、首脳陣の中では決まっている事だとは思う。

もう、そこはいい。十川さんにも世話になっているし、最悪譲歩は出来るラインだ。

ただせめて、俺が勝ち取った立場に拘っているのだけは知っておいてほしい。


「勿論だ」


吉永監督の返事に、横の2人が揃って頷く。

それを目に入れ、俺は膝の上で一つ拳を握り、口を開いた。


「僕の能力を買っていただいてるのは、本当に嬉しいですし、ありがたく思います。加えて、ぞんざいに扱われているなどと思った事はありません。しかし、先発転向のお話については、不安を強く感じています」


「さっきGSの話が出ましたが、僕はあの登板で仕事が出来たとは思っていません。また、去年を実績として捉えておられるのかも知れませんが、まとまったイニングとして投げていない以上、参考にならないと考えています。これが先発するにあたっての不安です」


「先発やるのはやるで構いません。ただ、せっかく今年武田さんに競り勝って手に入れたクローザーという立場を、手放してしまうというのも転向失敗や再転向のリスクを考えると、あまり良いとは言えないかなと思っています」


とりあえず、こんなところ。

言いたい事を上手く口に出せたからか、少しすっきりした心地で、俺はゆっくり息を吐く。

俺が話す間、3人が神妙な様子を崩す事はなかった。

文字通り一息入れたところで、吉永監督が両脇の2人にこう言った。


「篠原くん、宇多さん。あとでまた話すので、少しだけ久松と2人で話をさせてもらえないか」


その言葉を受けて、2人が静かに部屋を出る。

監督と面と向かって話す機会などあまりなく、少し緊張していると、吉永監督が再び口を開いた。


「君の気持ちは確かに聞いた。本当に申し訳ない。ただそれとは別に、君に伝えておきたいというか、言っておきたい事がある。これは、先発転向とは関係なく、だ」


どういうことだろう、と眉を顰めて俺は監督の二の句を待つ。


「私は何度も言うように、君を買っている。だがね。選手を使う要素というのは、当然ながらそれだけではない。誰の目から見ても実力が足りてなければならないんだ。そこをクリアしたからこそ、君は今一級の戦力として一軍にいる。去年のタイトルもそう。今年のクローザー争いもそう。…私にこの辺りを引き合いに出す資格はないがね」


自嘲をしつつ、吉永監督は少し感情的な口調で続ける。


「実績がないとか、そういう発言も出てきたね。そこが気になるんだ。藤木監督の下で野球をしていたからだろうと思う。君だけが、君を信じていない。だからこそ、伝えておく。君は紛れもなく、クロウズにとって最も頼れる選手だよ。私だけじゃない。チーム全体やファンだってそう思ってる」


そう言って吉永監督は俺の右肩をがしっと握る。

ユニフォームとアンダーシャツの上から、ほのかに熱が送られてきた。


「すぐに用意出来るものが言葉しかなくて本当に申し訳ない。…どうか今年の優勝のために、力を振るってくれないか」


真っ直ぐにこちらを見る吉永監督の目を視線の先に迎えて、俺はゆっくりと頷いた。

久松の成績については後ほど追記いたします。


10/31追記

久松の成績(5/2終了時点)


登板数:10 投球回数:10 奪三振:14 四死球:4 防御率:2.70 1敗9セーブ



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