5/1 ダイイングメッセージ②
「お前が来るたァ、思ってなかったわ」
そう溢した十川の目の前にいるのは、同僚であり、同級生であり、チームメイトである大男だった。
その側にはやや小柄で綺麗な女性が佇んでいる。
「なに、同じチームの人間だ。見舞いくらいはするとも」
2人の交友関係は決して深くなく、むしろほぼ無いに等しい。
それでもこうして武田が病室を訪れたのは、実績、年齢などがチームの中で唯一対等と言える男への、敬意と激励のためであった。
妻を連れてきたのは、何かと忙しいだろう十川の妻を気遣ったからで、その意図の通り女性同士で気を回し、意を通わし合っていた。
それを見た武田は、自身の嫁が台の上に置いた袋を指差し中身の事を伝える。
「チョコレートを見繕って持ってきた。気にいるかはわからんが、その時はまぁ、細君に」
「おォ。悪ィな」
そんな短いやり取りのあと、沈黙。
それもまた短く、十川が口を開く。
「肩関節唇の損傷。重度だってよ」
「そうか」
「ずいぶん大人しいじゃん」
「病室で騒ぐほど常識がない人間では無いのでな」
ふーん、と疑わしげな上目遣いをして、十川は一つため息をつくと、先だって首脳陣に話した事を武田にも伝えた。
武田が見舞いに来るとは思ってもみなかったが、十川にはそれはそれで好都合だった。
「つー訳でよ。ヒサを前に回してーんだわ」
「ふむ。…何故それを俺に?」
「オメーの一番弟子だろ。あんだけ入れ込んでた上で免許皆伝までくれてやってるんだから、そらァお前俺だって、無茶苦茶な事言ってる自覚は多少あるし筋ぐらい通すわ」
まぁほんとに筋通さなきゃいけねーのはヒサなんだけどな、と十川はいつもと同じ調子でそこまで繋げる。
至っていつも通りの同級生に、武田は珍しく根負けし、鼻を鳴らした。
「…いずれにしろ、俺が決めることではあるまい。久松次第だ。ただ、話や状況は理解した。俺が止めることはすまい。加えてッ。久松が9回に戻るまでの間は、この武田克虎がそこを守ってみせようッ。それでいいか?」
「おゥ」
十川の短い応答のあと、武田は改めて思った疑問を口にする。
「しかし、本当に吉永さんは久松を前で使うのか?反応を聞くだに、そう感触は良くなさそうだが」
「その辺は心配すんな。シノさんはどっちかっていや先発賛成派だし、吉永監督も最終的には回さざるを得なくなる。今の先発は雁首揃えて若ェ。そう言う奴ばっかだと、つまずいたり環境が変わったりでどんどん総崩れしていくからな。タイプはともかく、それなりに年嵩のある奴がいた方が安定するんだよ。それを吉永監督が見逃してるはずも、見過ごすはずもねぇからな。ま、デプスが終わってっからヒサですら上の方ってだけなんだけどな!」
そう言って十川は笑う。
その顔に、武田は何か合点が行ったのか少し神妙な顔をした。
「やーしかし、話がまとまると口寂しくなんな。オメーが持ってきたチョコ茶請けにすっから少しゆっくりしてけや。なおちゃん、皿ある?皿」
「…いや、いい。話はわかった。細君も疲れているだろう。お構いなく。ここらで失礼する」
そう言って武田とその妻は病室を後にした。
それが、久松たちが来る20〜30分前のこと。
自分の怪我の状態を十川が話し、そして今に至る。
白を基調とした病室の空気は、重く、少し冷たい。
どれくらいで治る?少なくとも今年は無理。
この先復帰できる?わからない。
これからどうする?そんな先のことは決まってない。
古沢は躊躇うことなく切り込み、十川がそれに澱みなく返す。
2人の言葉の打ち合いを、久松はただ傍観する事しか出来ていなかった。
そんな折、不意に十川が久松へ水を向ける。
「つう訳でよヒサ。俺の代わりにローテ回ってくんねぇか」
「…は?」
「十川ッ」
呆気に取られた久松を見て、満足そうに十川が笑う。
「古沢さん、後で怒られる時間は取るんで、ちょっとヒサと話をさせて下さいよ」
分を超えた後輩をすぐさま諌めようとした古沢を、十川は余裕ある態度でいなしてみせ、久松へ向けて続ける。
「俺にそんな権限は勿論ねぇが、推挙推薦は出来るんだよな。つーかしたんだけど。吉永監督にも、篠原さんにも、宇多さんにも。ほんでもって武田にも」
十川の意図を図りかね、黙っている久松に代わり古沢が問う。
「お前の代わりがなんで久松だ?先発なら他にもいるだろ」
「枚数ならまぁいるっすよ。でも柱はいないでしょ。実力的には荒木と妻木だけど2人ともまだ若手の範疇だし。1番歳食ってんのは古沢さんですけど、1人で先発陣の面倒見たり勢いづけたりって無理しょ?もう1人そう言う役割する奴がいるんじゃない?って話スよ。能力と経験がある選手。中継ぎは年齢のバリエーションもあるし、枚数もいる。引っこ抜くにしろ適任っすよ」
「…他にやりようはあるんじゃないか?」
「今年、優勝したいンすよ。それを考えると、ヒサしか居ません」
エゴを剥き出しにした十川を、古沢が睨む。
「こういうのは押し付けるモンじゃないだろ。しかも怪我した奴が」
「それに関してはなんも言えねーっすねェ。でも正直、自己中なこと言ってんのは百も承知っすわ。その上で頼みたいと思ってます。もちろん、悪い話ばっかじゃ無いと考えてるからこそ頼むんです」
そう言って十川は、動かしにくい体を久松の真正面に向ける。
「ヒサ。頼む。俺ァこんな軽い人間だったけどよ。比較的歳食った人間としてそれなりにやってきたつもりだ。エースなれだとかキャプテンシーだとかそんな事求めねぇ。どんな形でもいい。お前がこれから、俺の代わりにチームを引っ張ってくれ。そんでその一環でいい。今年ローテを俺の代わりに回ってくれねぇか」
古沢は一筋の汗と困惑の表情を浮かべ、久松は少し俯き目を瞑った。
春の日が過ぎるのは早く、七分袖ではやや暑さを感じるほどで、部屋の気温もそれに伴い上がっていた。
何度目かの静かな時間が流れ、久松は顔を上げずに言った。
「あと…、1セーブだけ挙げる機会と時間を貰いたいです。その間に考えます」
十川は少し寂しげに、しかし翳った様子なく笑った。




