7.師匠、みててね。私が地獄の底から“逆襲”する様を……
「エクレア…その髪は?」
森を抜けて村への入り口には母のルリージュがいた。
師匠と二人っきりで話をしたいと待ってもらっていたのだ。
当然ながら、背中まで届いていた髪がばっさり短くなってた娘の姿に驚いていた。
「お母さん………気にしないで。これは私の決意表明だから」
にっこりと笑う。
髪こそ短いが、顔はいつも通りのエクレアを装う。
そう……装うのだ。
「エクレア……今なら取返しが付くけど、本当にやるつもりなのね」
「もちろん。これから起きることは私だけの責任。何があってもお母さんは関係ないから別にいいでしょ」
自分で関係ないと言いつつも、実際は大あり。髪ならば取返しはつく。時間さえかければ元通りになるが、今からエクレアが行う事は本当に取返しのつかないことだ。
少なくとも時間経過だけで解決はしない。母として考えるならぶん殴ってでも止めに入るべき事柄。だが……
「それでも………いやいいわ。貴女は言い出したら聞かない。どこまでも突き進んでいく頑固者だったし、ある意味ではそれこそ私の娘よってところもあるわ」
幾ばくかの葛藤の後に、ルリージュは笑う。娘の決断を支持することにしたようだ。
(わー後押ししちゃうんだ……)
少なくともエクレアはもっと渋ると思っていた。決断を通すにしてもなんらかの条件ぐらいは出されると思ったのに、予想外なまでにすんなりと通った事で内心ほっと胸をなでおろす。
最悪を想定した強行手段を使わなくてよかったと安堵しつつ、母から2枚の書類を受け取る。
一つは師匠が『霊薬』の代価として差し出した師匠の家…
アトリエの所有権。
あそこには薬に関する様々なものが置いてある。
薬の原料や調合に使用する器材。資料など本当に様々なものだ。
それらはお金に換算すれば膨大なもので十分『霊薬』の代価として釣り合う。
もう一つは借用書。
アトリエを買い戻す分だけの費用が記された契約書だ。その額は5000万G。
返済期限は5年。その時までに返済しきれなかった場合は即奴隷落ち。
社畜奴隷にするも、愛玩奴隷にするも、いっそ肉奴隷にするも、お好きにどうぞっという内容だ。
“自分の命は自分で買う”
それは苦行の道。他者からみれば自ら罪人へと堕ちてから、償いのために歩む贖罪の道。
まさに正道とも聖道ともいえる道にみえるだろうが……
真実は違う。
エクレアにとっては、ただ師匠に“逆襲”するための道。
それこそが“狂気”に侵された……
…y……o……に魅入られて“浸食”されたエクレアの見出した……
とてもとても愚かな選択肢。
“ふふふ…師匠、みててね。私が地獄の底から“逆襲”する様を……”
エクレアは借用書にサインを施した。
この瞬間エクレアは地獄に堕ちた。
『借金地獄』という名前の地獄に堕ちた。
師匠に“逆襲”を仕掛ける……
ただそれだけのために、自らの意思で地獄へと飛び込んだのだ。
狂っているとしかいいようがない。
「それじゃぁグランさん、これで師匠のアトリエは私のものでいいですよね」
外ではあくまで贖罪…自分自身で責任を取る道を選んだ健気な少女にみせる。
“狂気”はみせない。覚らせない。
“今”はみせない……みせてはいけない。
それが…s…o……との約束。
その時が来るまで今は……
“狂気”を内に貯めこむのみ。
「あ、あぁ。契約は成立したが……本当にいいのかい?5000万Gなんて子供が稼げるものでもないし、ましてや奴隷だなんて」
契約書…『霊薬』の引き換えとしてアトリエを受け継いでいた冒険者達は未だ戸惑っているようだ。
まぁ戸惑うのも当然だ。
こんな愚行、良識のある大人なら行おうとした瞬間止める。
現にルリージュだけでなく冒険者達も止めた。見習い時代からずっとお得意様として交流を重ねてきた仲なのだから、親身になって説得にかかった。
それでもエクレアは全く折れない。頑として譲らなかった。
身内である母ですら諦めるに至った愚行だ。赤の他人では説得など無理と悟ったのだろう。
「そうか……わかった。だが、薬は今まで通り買わせてもらうよ。採取の依頼や護衛も引き受けるから何か困ったことがあったらすぐに頼ってほしい」
「もちろん。今まで通り頼りにしてますよ」
契約書を受け取った目の前の冒険者達…お得意様であるグラン、アルト、エルンの3人組に対してにっこりと笑う。
笑いながら思う。この3人…いや、母も含めての4人はいずれエクレアが音を上げる時を待つ気なんだろうなっと。
今は一時の気の迷いと思って、いずれ冷静になった時に慌てて破棄を願い出て来るのを待つ気なんだろうなっと。
そう推測するエクレアであったが………実際は違った。
……………………
ごくごく平凡な母のルリージュと違ってグラン達は冒険者として一流であった。
非凡な才能を腐らせる事なく、さらに磨き上げる事でようやくたどりついた頂きに登ったと自負する彼等だからこそ、確信していた。
エクレアは常識の枠に収まらない、天才とも称される人種だという事を……
そういった人種は得てして一般人が歩まないような過酷な道を歩まされる事を……
それを自分から、まだ10にも満たない子供が望んで歩むのは何か間違ってる気がしないまでもないも……彼等は確信していた。
彼女は歩き通す。
地獄の底から這い上がってくる。
誰の助けもなく、自力で5000万Gという金を稼ぐ。
そして……
いずれは歴史書に語られる『勇者』や『英雄』といった者たちがたどり着いた極地へと到達できる逸材になるっと
そんな確信があったのだ。
彼等の予想は当たっていた。
後世に残された謎の本では、この日の出来事をこう記された。
この日は伝説の始まり……
没年まで様々な逸話を残したエクレア。
『乙女ゲーム』のシナリオバグによって生まれた、ありとあらゆる意味で規格外な存在。
“深淵”の奥底に眠る“混沌”をその身に宿す、“狂気”を想起させるお花畑ヒロイン。
王国含む世界を滅ぼそうとした魔王とも、世界を救った救世主とも言われる、全く両極端な顔を持つ謎深きお花畑ヒロイン。
『薬草畑ヒロイン』
自らをそう称したヒロイン……
エクレア・カカレットが産声をあげた瞬間であったと




