6-5.致命的失敗
没落令嬢のリタ(マルグリット)さんは、没落の際に親兄弟の命を奪われ、令嬢の地位にしがみつこうとかは全く考えずに、一目散に脱出を計るも、それでも側近を失い、本当にギリギリのところで逃げ延びたわけですが、本人は、貴族はあんまり向いていない(人づきあい、貴族としての立ち回りがうまくない)と思っていて、再び貴族令嬢になりたいとは思っていません。
そんなわけで、再び貴族に戻されそうな運命が忍び寄ってきます。
一方のリタ(マルグリット)はと言えば、なぜか、せっかくだから試してみようと思ってしまっただけで、治療なんて一回もやったことが無いことだった。
※理由がせっかくだからなのであれば仕方ありませんね!
たぶん、1回もやったことが無くても、印さえわかればリタにもできるだろう。
リタはそう考えていた。
印が判明している火炎輪と転移が使えたのだ。
印さえわかれば治療もできる可能性が高い。
だが、治療の印をリタ(マルグリット)は覚えていない。
これで何も起きませんでした……だと寂しいが、今ならできる気がする。
その自信がどこから来るものなのかは、リタ(マルグリット)にもわからなかった。
でも、今ならできると感じた。
リタは魔女様が魔法で治療するところを見たことがある。
さらにはリタ自身も治療してもらったことがある。
以前、右手の手のひらの火傷を魔女様に治療してもらった。
リタ(マルグリット)は板に印を書き写して使うことができるが、魔女様は印を描いた板など使わずに治療を使っているのでリタは治療の印を見ていない。
形がわからない……はずなのだが、リタ(マルグリット)は、なんとなく治療の印の形がわかるような気がした。
転移の印も、火炎輪も、同じ場所で何度も使うことで、その印の形がリタ(マルグリット)に見えるようになる。
ある回数……例えば10回使ったときいきなり印が見えるようになるわけでは無く、少しずつはっきりとした形が見えるようになるだけで、1回でも魔法が使われたのであれば、薄く印が残るのではないかとリタ(マルグリット)は考えていた。
その推測が正しいとすれば、恐らく、薄くてもリタ(マルグリット)の手には治療の印が残っているはずだ。
リタは自分の右手をあらためて見確認するが、治療の印は見当たらない。
でも、リタ(マルグリット)の右手は、魔女様の治療を受けたことがある。
そこには、見えないほど薄くても、印が残っている可能性がある。
その印をもう少し目立たせる方法はないかと考える。
すると、あのとき何かを見たようなイメージが見えてきた。
リタはあのとき印は見えなかったと思っていたが、今思えば、あのとき一瞬、印が見えたかもしれないと思える。
なんとなく丸がいくつかあったように思えるのだ。
円の中に小さな円がいくつも書かれたようなものだった印象がある。
印には法則性がある。
治療は、外周の円の中に、小さな円がいくつも並ぶものだったと思う。
そして、中央は円ではなく5角形だった。
それは、なんとなく覚えている。
周囲の小さな円は二重線だったと思う。
覚えているというよりは、そうであることがわかるという気がした。
これが治療の印では無いかと思える形が脳裏に浮かぶ。
治療の印はこれだ。
その一瞬見えた図形を思い浮かべる。
これを手のひらに出すことができれば治療の魔法が再現できるかもしれない。
リタがそう思ったそのとき、右手のひらの他の人には見えない円の中に、何かの形が浮かんだ気がした。
今何かが起きたという感覚があった。
魔法は、正しい形が再現できたときに発動する。
望みの効果が得られるかは別として、発動可能な形が組まれないと発動しない。
火炎輪の場合は、火炎輪の印が手のひらに描かれた状態を思い浮かべて、その後に火炎輪を発動させようと思ったときに発動する。
ところが今回は印のイメージを固定しないうちにいきなり発動したように感じた。
「今何か?」
アーデルハイトは、リタ(マルグリット)を見ていて、自分の傷は見ていなかった。
だが、今、腕に何かひきつるような違和感があった。
「治療は成功しましたか?」
リタ(マルグリット)がそう言うが、血が付いている。
だが、腫れが引いているように見える。
アーデルハイトは触って確認するが痛みは無い。
傷もない。
血は残っているが、表面に付着しているだけで、拭けばとれそうだ。
もしかしたらとは思ったが、本当に治療したのだろうか?
「治ったのか? 君が治してくれたのか。どうやって?」
”どうやって”とは言ったものの、答えは出ていた。
大聖女が使ったという治療の魔法だ。
リタ(マルグリット)が、大聖女様と同じ魔法を使った。
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リタはひと安心した。無事治療ができた。
これで、解決、何も無かったことにできる。
治療の魔法が使えたら大変なことだが、そもそもリタは今、魔女様と一緒に暮らしているわけで、魔女が森に住んでいるという状況が変わるわけではない。
だから、魔法を使っても問題無い。そう考えた。
ただ、いきなり成功したことには自分でも驚いていた。
ぶっつけ本番ではじめて治療の魔法を使った。
先に印がわかっていなくても、発動させることが可能なのだ。
おそらく魔女様と同じ。
先に印がわかっていなくても、やりたいことに近い図形のイメージが頭に浮かぶ。
治療は外周の小さな二重線の円。中央の五角形の内側の分割が治療の内容。
おそらく一番基本が外傷治療。
外傷以外に何に効くのかはわからないが、たぶん病気は治せない。
リタは、印の形を正確に知らなくても、何度か目にした魔法であれば再現することができるのかもしれない。
リタ(マルグリット)は体の奥からジーンと何かが染み渡るような感覚を感じていた。
魔法は手のひらから出たのに、どうして体の奥から何かを感じるのだろうと不思議に思う。
アーデルハイトお兄様には、迎えに来てくれたことに感謝の意を伝えつつも、
”何もなかったことにして、リタも見つからなかったことにでもしてもらおう”
と思ったのだが、声がでなかった。
リタは、急に体の力が抜ける。
魔法を使うと疲労する……だが、そんなはずはない。
リタはまだ今日はそんなに魔法を使っていない。
それに魔女様は大きな怪我を2個所治してもなんともなかったのに……
アーデルハイトお兄様は怪我などしなかったし、リタとも会わなかったことにして、リタはここに残ることを伝えなければならない。
だが意識が遠退く。
なんとか一言絞り出す。
「このことはどうかご内密に……」
リタはアーデルハイトを治療し、このことは秘密だと言い意識を失う。
魔女様は楽々治療していたように見えたが、リタには厳しかった。
治療して何も無かったことにして去るはずだったのだが、治療が成功したあと気を失ってしまった。
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アーデルハイトは倒れかけたリタを抱え、腕に痛みが無いことを再確認する。
痛みは無い。
念のため怪我をした腕の表面の血を拭き取るが、傷は無かった。
「なんということだ……これは……魔女の力か?
いや、大聖女様と同じ力ではないか?」
伝説の力だ。リタにそんな力があるとは知らなかった。
だが、意外であると思える半面、思い当たることもあった。
アーデルハイトは子供の頃から散々大聖女様の話を聞いていた。
祖父は大聖女様の奇跡が本当にあったことだと信じていた。
祖父が生まれたときには大聖女の時代はすでに過去のものだったのにもかかわらず、まるで大聖女が実在することを知っているように見えることもあった。
リタ(マルグリット)が大聖女の力を持っていることが偶然だとは思えない。
そして、うまく行けば、口実に使えるかもしれないと考える。
これでリタ(マルグリット)を妻に迎える名目ができる。
※アーデルハイトさんは、あんまり自由に結婚相手を選べるような立場の人では無いので、
あまり明確にリタさんと結婚したいとは思っていませんでしたが、自分で選べるなら
リタさんが良いと思うくらいにはリタさんのことが好きでした。
こうして迎えに来たのは良いものの、仮に無事リタを領地に連れ帰ることはできても、
リタ(マルグリット)が領地に滞在するのは長くて2~3数年。
おそらくは、良い嫁ぎ先を探して嫁がせることくらいしかできない。
だが、この力があれば、祖父もそう簡単に手放そうとはしないだろう。
手放さずに手元に置きたいと考えると、町を継がないアーデルハイトが妻に迎え、
他の貴族の手に渡らないようにするのが妥当だと思える。
……………………
リタには内密にとは言われたが、この集団には明かさなければならない。
アーデルハイトの怪我が原因で、どう対応すべきか悩んでいた。
それは皆知っていたので、いきなり怪我が治ってしまえば隠せない。
「ニコル、我が町に戻るぞ。準備を進めろ」
「マルグリット様は?」
「ここにいる」
マルグリットを迎えに来たことは知っているが、怪我のせいで、困っていた。
それは今も変わっていない。
ニコルは、それをどう解決するつもりなのかを尋ねる。
「はい、ですが、怪我の件はどのように?」
これは皆が気にしていたことなので、聞き耳を立てていた。
「私は怪我などしなかった」
ニコルは、これを聞いて、どう解釈すればよいのか少々悩む。
怪我をしなかったことにして治るまで隠し通すのは難しい。
周囲の者も、具体的にどのように処理するのか、判断できなかった。
ニコルがもう少し詳しい説明を求める。
「怪我を隠すのが難しいから悩んでいたはずですが……どういうことでしょうか?」
アーデルハイトは再度言う。包帯をとった腕を見せて。
「私は怪我などしなかった」
ニコルは最初、見間違いでは無いかと両腕を交互に見るが両腕共に怪我はない。
「怪我が無い……のですか?」
「このとおりだ」
アーデルハイトは怪我をしなかったと言っているが、それは嘘だ。
ニコルはアーデルハイトの腕の治療をした。包帯を巻いたのはニコルなのだ。
そして、この怪我をどうするかで一緒に悩んだ。
ところが、その怪我が消えてしまった。
どうやって隠すかで難儀していた傷が急に治ったのだ。
そして、その直前に1人の訪問者が。
となれば、思い当たるものと言えば、大聖女の力。
そんなものを使えるものが居たら大変なことになる。
だが、そうとしか考えられない。
「マルグリット嬢が?」
アーデルハイトは頷く。
「ご存じだったのですか?」
「知ってたら、あんな怪我で騒ぎはしない」
確かにその通りだ。
それに、以前から知っていたならカステルヌが乗っ取られるよりもっと前の段階で手を打っていたはずだ。
今回ここに来るのだって、それなり急ぎはした。
だが、知っていたならもっと大騒ぎになるはずだ。
それ以前に、こんな後手に回るような動きはしないだろう。
恐らく本当に知らなかったのだ。
だが、知ったのが今だとしても、それはそれで大きな問題になる。
「こりゃ、大問題になりますよ」
「わかってる。これ以上話を漏らすな」
こうして、リタ(マルグリット)が気を失っている間に、馬車は出発してしまう。




