6-4.無かったことにしたい
「行こう。祖父も待っている」
※アーデルハイトさんとリタ(マルグリット)さんは従兄妹です。
アーデルハイトさんの言う祖父は、リタ(マルグリット)さんの
祖父でもあります。
アーデルハイトお兄様がそう言ってくれるのは有り難いし、
おじいさまに会いたい気持ちもある。
リタ(マルグリット)には血のつながりのある親族が少ない。
この機会を逃せば、おじい様と会う機会はもう二度と訪れることはないだろう。
リタ(マルグリット)は、貴族暮らしはあまり体に合わなかったと思っているが、
それでも、お爺様の屋敷で過ごした思い出には、楽しいこともたくさんあった。
特に、アーデルハイトお兄様は、リタ(マルグリット)にとって、あの場所で特別な存在だった。
行きたいと思う気持ちもある。
でも、会いに行ったら貴族に戻されてしまう。
アーデルハイトお兄様は、親切心でリタ(マルグリット)を助けに来たのだと思う。
それに、お爺様のところに行けば、心配してリタを保護してくれるだろう。
そして、おそらくは後ろ盾を無くしたリタ(マルグリット)が、それなりの家に嫁ぐところまで世話をしてくれると思う。
リタ(マルグリット)は、今後の人生について迷いがあった。
リタ(マルグリット)は、自分では貴族暮らしは合わないと思っていたが、
だからといって、何の特技も無いリタ(マルグリット)が平民として暮らすのは難しい。
さらには開拓地をリタ(マルグリット)の領地にしようと企んでいる輩が居る。
リタ(マルグリット)の希望通りにはならないかっもしれない。
今、非常に重要な人生の分岐点に立っていることは理解している。
でも、魔女様を置いて去ることはできない。
今の魔女様は、まだ、人々との付き合いに慣れていない。
少なくとも今、リタが魔女様を置いて去ることはできない。
ここで、断れば、おじいさまの庇護下に入るという選択肢が消える。
だから、ここには決別のためにここに来たのだ。
「お爺様には、私と会うことはできなかったとお伝えください」
「なぜだ……魔女に何か弱みを握られているのか?
魔女に説明が必要であれば、話をしに行こう」
リタ(マルグリット)は、このことを魔女様に聞かれたくないし、
カリーヌは絶対に貴族に戻る道に引きずり込もうと画策するはずだ。
だから、魔女様のところには行かずに、引き返してもらわなければならない。
「そのようなことはございません」
「ならばどんな理由があるというのだ」
貴族が嫌だという理由をアーデルハイトお兄様に言いたくない。
リタ(マルグリット)自身の問題として説明したい。
「私には貴族令嬢として生きていく自信が無いのです」
「そんなことはない。僕が君を支える」
リタ(マルグリット)は、この言葉に衝撃を受けた。
アーデルハイトお兄様は元からお優しい方なので、特別な意味では無いと思う。
でも、ちょっと断りにくくなってしまった。
「こうなってしまった経緯は大変不本意なものではありましたが、
元々、私には向いていなかったのだと実感しているのです」
口ではこんなことを言っているのに、気持ちは激しく揺れていた。
アーデルハイトお兄様に、あんなふうに言ってもらえると、
ここに来るまでの決心が一気に吹き飛んでしまいそうになる。
「そんなことは無い。リタ(マルグリット)。君は素敵な令嬢だよ」
そんな風に言われると、リタ(マルグリット)は、どうにもうまく説明できなくなる。
令嬢時代に、素敵な殿方に言われたかった言葉。
もう少し前に、その言葉を聞きたかった。
リタ(マルグリット)は子供の頃からアーデルハイトお兄様には好意を寄せていた。
でも今は魔女様と共に森で暮らすために準備を進めている。
”君は素敵な令嬢だよ”
今になってそんなことを言われると、凄く困る。
「いえ、わたしは……」
アーデルハイトは、この反応で、リタ(マルグリット)には何か自由にならない理由があるのではないかと考えた。
まだ、説得する余地があると考えたのだ。
「魔女に話が必要なら、説明しに行く」
「いえ、魔女様には関係のないことです」
アーデルハイトがここまで直接足を運んだのに、リタ(マルグリット)が迎えを拒否するには、それなりの理由が必要だ。
魔女には関係ないとすると、リタ(マルグリット)がアーデルハイトの迎えを断るのはかなり難しい。
普通に考えれば、一度は、エシロルで、領主であるお爺様にお会いする必要がある。
「ひとまず、お爺様にお会いして、今後のことはそれから考えよう」
アーデルハイトはそう言って、リタ(マルグリット)の髪を見る。
リタ(マルグリット)は察した。
この髪のせいで、貴族に戻る気が無いと言っても説得力が出ないのだ。
町の人たちと同じ髪型にして、町の人たちと同じ洗髪剤を使えばよかった。
カリーヌが余計なことをしてくれてるせいで、リタ(マルグリット)が貴族生活を続けたいと思っていると誤解されてしまった。
※カリーヌさんの狙い通りですね。
リタ(マルグリット)は凄く本気で貴族を辞めたいと言っているつもりなのだが、
理解してもらえない。
リタ(マルグリット)は、貴族社会には馴染めなかったし、また命を狙われるかもしれないから嫌なのだが、その話をしても、安全を確保すると言われて終ると思う。
リタ(マルグリット)自身が、貴族令嬢に戻りたくないのだが、親切で貴族令嬢として迎え入れるつもりで救いに来てくれた人物にそれを理解してもらうのは凄く残酷で説明が難しい。
特に、アーデルハイトお兄様にそんな話ができるわけがない。
それに、迎えに行って断られたと噂になれば、リタにとっても、アーデルハイトにとっても良いことにならない。
だが、リタに会えなかったのであれば問題ないだろう。
「私には会わなかったことにしていただくことはできませんか?」
「なぜそんなことを言う?
この怪我の問題もある。
これは僕の落ち度であり、君のせいではないが、
このまま君に会えなかったとしたら、この怪我の説明が難しい」
これを聞いてリタ(マルグリット)は全力で考える。
確かに、怪我はしたが目的は果たせたとなれば、怪我の理由として納得しやすい。
リタ(マルグリット)を連れ帰れば、危険にさらされているリタ(マルグリット)を連れ帰るための名誉の負傷と言い張ることができる。
それに何より、目的を果たせば、少々の怪我を追及されることは無い。
だが、リタ(マルグリット)とは会えず、怪我して帰りました……となると、アーデルハイトは怪我をした落ち度を追及され、怪我をさせた相手の責任も追及される。
そうなると、ガティネ家と揉めることになる。
この怪我がある限り、リタ(マルグリット)と会わなかった作戦が使えない。
現在はアーデルハイトお兄様が怪我をしているせいで、揉め事が無かったことにするのが難しい。
アーデルハイトが怪我をしたから、いろいろ問題が出ているのは確かだ。
怪我が無ければ、リタ(マルグリット)に会いに来なかったことにして、あっさり帰ることができるだろう。
少なくともリタ(マルグリット)はそう考えた。
であれば、無難に断るには、
”そもそも襲撃は無かった。リタにも会わなかった”
という筋書きが都合良いと思う。
何も無かったということにしてしまえば解決できる。
リタ(マルグリット)はそう考えた。
「怪我をしていなければ、無かったことにできたのですね」
アーデルハイトは、少し違和感を持つが、ひとまずスルーする。
「あ、ああ、そういうことになるが、このとおりだ」
リタ(マルグリット)が見る限り、重症という感じではない。
”これなら、もしかしたら自分にもできるかもしれない”
リタは、このとき、なぜかそう思った。
「怪我を見せてくださいますか?」
リタ(マルグリット)が言うと、
アーデルハイトは
「これだが」
そう言って、包帯の巻かれた腕を見せる。
リタ(マルグリット)は、今回の怪我がそれだということは知っている。
傷そのものを見たいのだ。
「一度、包帯を解いて傷口を」
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アーデルハイトは妙に感じた。
傷を見ても、おそらくできることは何もない。
思い当たることも無くはないが、リタにできるはずがない。
もしかしたら森の魔女とやらの特別な薬でも存在するのだろうかなどと考える。
いったい何をしようとしているのか気になる。
「見せるのは構わないが、何かあるのか?」
「試したいことがあります」
傷を見て試したいことがあると言うが、薬を持っている様子も、使おうとしている様子もない。
それでいて、”試したいこと”がある。
アーデルハイトはこのとき、リタ(マルグリット)が何をしようとしているのか気付くが、
同時にそんなわけがないとも思う。
今、この世にはいないが、少し昔、魔法で傷を癒せる人物がいた。
その方は大聖女様と呼ばれていた。
少々の傷は、あっという間に治ってしまうという。
そんなことができてしまえば奇跡。
今では、本当にそんな人物が存在したかどうかも疑わしいと思う人が多い。
その力は悪魔と契約して得る力だともいわれている。
だが、祖父は、その力は本当に存在したと断言していた。
アーデルハイトも、その力が過去に存在したということは信じていた。
現存しているとは思わなかったが。
リタ(マルグリット)がやろうとしているのはそれではないだろうか?
「わかった。包帯を解くから待ってくれ」
「訳をお聞きにはならないのですね」
この反応でアーデルハイトは確信した。
リタ(マルグリット)は治療の能力を持っているかもしれない。




