4-9.大聖女の日記(下)
ただし、大聖女様一行の逃亡生活はかなり厳しかったようだ。
いろいろ困っていたことが書かれている。
常に何かに怯え、人が居る場所では人を恐れ、人のいない場所では必要なものが手に入らない。
食べるものにも苦労していたが、それでも隠れて生活を続けていたこと、
マルセルの名も出てくる。それとマチルド。
「マチルドというのは?」
「婆様が死んだ頃居なくなった」
魔女様はマチルドのことも覚えていた。
マリアンヌ様が生きていた頃は他にも協力者が居たのだろう。
マリアンヌ様が亡くなった後は、この日記には書かれていないが、
魔女様の話ではマルセル以外はその後行動を共にしていない。
マルセルは恐らく、マリアンヌ様から魔女様を託されて魔女様を安全な地まで連れて行こうとしたのか、それとも時期が来たら大聖女の力を持つことを明かすつもりだったのか。
今となっては、マルセルが何をしようとしていたのかはわからない。
この日記には、はっきりと魔女様に大聖女の力があるとは書かれていない。
いや、最後のページに書かれていた。
このページは最後に書かれたわけでは無いと思う。
このページだけ違うインクで書かれている。
滲んでいない。
「あ、このページ。これは魔女様宛のメッセージじゃないかしら」
「何と書いてあるのじゃ?」
「”大聖女ではなく、良い魔女になりなさい”って。
大聖女にさせたくなかったのは確実に思えるわ」
「そうか。わしを連れ出したのは大聖女にさせないためであったか」
日記の本文中には、子供に対して聖女という言葉は使われていないが、これでほぼ確定だ。
これを書いた人物は魔法が使えた。
そして、大聖女という存在を作り出してしまったために、争いの種を蒔くことになったという罪悪感を抱えている。
魔女様の言うお婆様とは、おそらく初代大聖女であるマリアンヌ様だ。
大聖女は何代か続いたが、本当に大聖女と言える力を持つのは初代のマリアンヌ様のみと言われている。
大火炎輪を使ったという話があるのは、初代大聖女のマリアンヌ様だけ。
以降の大聖女様たちが使えたかどうかはわからない。
だが、大聖女と呼べる力を持つのは初代大聖女のマリアンヌ様だけであり、だからこそ、短期間で大聖女の時代は終わったと言われている。
そして、マリアンヌ様が晩年発見し保護した子供は、大聖女と呼ばれるようになってもおかしくないほどの力を持っていた。
もしかしたら、その子供が生まれるのが20年程度早ければ、2代目大聖女になったのかもしれない。
だが、その子供が生まれた時代には既に勝負がついてしまった後だった。
その子供に対し、マリアンヌ様は大聖女にはなるなと言い残した。
派閥の優劣が入れ替わるときに、大量に人が死ぬ。
大聖女の時代が来たとき、多くの人が死に、大聖女の時代が終わるとき、また多くの人が死んだ。
だから、派閥の優劣が入れ替わるくらいなら、大聖女の時代など来なくて良い。
そう考えたのだと思う。
負けが確定したときに放り出されるとどうなるかは、リタ(マルグリット)はよく理解していた。
今魔女様のところに居候しているのも、ラスカリス家の没落の結果だ。
今の暮らしに不満は無いが、母と兄、屋敷や町、全てを失った喪失感は極めて大きかった。
危うく自身の命と、カリーヌの命も失うところだったのだ。
もうあんな思いはしたくない。
……………………
この日記は、今でこそ内容だけを見ても本物かどうか疑わしいものになっているが、マリアンヌ様が亡くなって数十年程度であれば、見る人が見ればマリアンヌ様が書いたことがわかってしまうだろう。
はじめのあたりでは、その日会った相手のこともかかれている。
その人物が生きている時代であれば誰が書いたものか容易に特定できそうだ。
なぜマリアンヌ様はこれを持たせたのか。
隠すことが目的であれば、この日記を持たせていると危険だ。
おそらく、あとあと誰かに見られた時のことを考えて書きたいことがあっても書けなかった。
その割に大聖女にはなるなとはっきりと書いてある。
もしかしたら、魔女様を託せるあてがあったのかもしれない。
その人物にこれを見せることができれば、魔女様はもう少し楽に生きることができたのかもしれない。
実際は、託せる相手が現れることを願って持たせたのだろう。
この日記には最後までは書かれていないが、大聖女マリアンヌ様は、亡くなるまで魔女様を連れてどこかに隠れ住み、大聖女になるのを阻止しつつ命も守った。
「マリアンヌ様は自分の存在が引き金となって、
大聖女の時代が来たことを後悔していたみたいね。
大聖女の存在で協会が勢力を広げ、結果魔女狩りが広まった」
強すぎる力は、世の中のためにならない。
だから、使わないことが世のためになる。
それがマリアンヌ様が残した教訓。
旧暦が生まれる原因と、旧暦が消えるのを見ていた人物が残した教訓。
大聖女様は自分の力を良いことに使った。
でも、その結果は他者に悪用され、望まぬ結果を引き起こした。
次に大聖女が生まれても、同じように悪用される可能性が高い。
だから大聖女様は、そんな運命にある子供を逃がしたかった。
初代大聖女様は、その子供を逃がすことには成功した。
でも、その子供は誰ともかかわることができない生活を送ることになった。
おそらくそれが魔女様が長年森に引き籠って生活していた原因だろう。
ところがリタは魔女様の存在を人々に知られるきっかけを作ってしまった。
魔女様は優しい。
だから、放っておくと大聖女にされてしまうかもしれない。
もしかしたら、この日記はリタに読ませるために持たされたものかもしれない。
魔女様を大聖女にしてはいけない。
それを避ける方法はあるのだろうか。
大聖女と良い魔女の差は何だろうか?
これは以前から考えてある程度答えは出ていた。
おそらく教会と関係があるのが大聖女。
同じ力を持っていても、教会に利用されなければ”良い魔女”なのではないだろうか。
大聖女の誕生で新しい歴が生まれた。
世の中に大きすぎる影響を与えてしまった。
同じ力を持っていて、世間に大きすぎる影響を与えていない魔女様は良い魔女様だ。
リタはそう考えた。
「魔女様。魔女様は良い魔女ですよ」
「およ?」
(およ?)
「お婆様は大聖女になったことを後悔しています。
魔女様には大聖女にはなって欲しくなかった。強すぎる力は人々を惑わせる。
だから、その力を誰のためにも使わなかった魔女様は”良い魔女”です」
「そうであったか」
魔女様の心配をしていたが、リタにとって他人事とも言い切れない。
「ところで、あの釜の火炎輪が使える私は、いったいなんなのでしょう?
釜の火を使うだけなら大聖女様のご意向に反していないと思うのですが、
自分が何者なのかはちょっと心配になりますよね」
そこにカリーヌが割り込む。
「お嬢様。私は、全ての人が敵になろうとも、味方であり続けます」
「あ、有難いんだけど、そうじゃなくて……
大聖女様の使った大火炎輪は、私の町にまだあるのです」
「あるのですか?」
カリーヌが気付いていないということは、あれに気付くのは火炎輪が使える者だけなのかもしれない。
「カステルヌの外壁は、ほぼ完全な円形ですよね。
あの壁は、大火炎輪に沿って、その内側に建てられたものだと思います。
外壁の外側に大火炎輪の跡があります。
そして、町の中央……屋敷の庭に印があります」
カリーヌはこう答えた。
「でしたら、わたしには見えないのではないかと思います」
リタには見えていた。……が、それが何なのかわからなかった。
そういう模様なのかと思っていた。
「私はあれがなんだかわからなかったけれど今はわかる。
たぶん、私の町を守るための大火炎輪が存在します。
使い方を知っていれば、お母様にも使えたのではないでしょうか。
まあ、お母様は、外からの敵ではなく、町の外で暗殺されたわけですが。
お母様が、昔、魔女様に会っていることと無関係ではないと思っています」
今となってはわからないが、お母様は使い方を知れば、町の火炎輪を使うことができたかもしれない。
魔女様は長い間森に住んでいたのに、魔女様の家に辿り着いたのはリタの母とリタだけ。
そしてリタには釜の火炎輪が使える。
無関係であるとは考えにくい。
他の場所にもたくさんあるのかもしれないが、カステルヌも戦場になった場所なのだろう。
ただし、歴史で語られる大聖女様の力で勝利した場所はカステルヌではない。
カステルヌの名は出てこないと思う。
その町に住んでいて、そんな話を一度も聞いていないのが証拠だ。
屋敷の場所と町の作りを考えると、大聖女様がここで大火炎輪を使ったというよりは、当時の領主が大火炎輪を使えたと考えると納得しやすいが、そんな話は一切無い。
あんなに目立つもの、1回でも使えば伝説として語り継がれるだろう。
大きすぎる力は身を亡ぼすことに繋がる。
大聖女マリアンヌ様の教訓を生かし、この力の存在を広めないようにしようとリタは思う。
※すみません。ゆるゆるの話を書くと言いつつフラグ設置します。
加転竜からのベテラン読者さんの場合は、
”まあそうなるよね”くらいの感想だと思いますが。




