1-6.貴族令嬢暗殺 逃走(6) 大聖女様
滞在許可が得られた期間は10日間。
その間に、リタが役に立つと思わせることができれば、期間を延長できるかもしれない。
そう考え、さっそく少しでも魔女様のお役に立てるようにと頑張ったが、
ここにリタの能力を生かせる場面は無さそうだ。
貴族令嬢のリタは家事全般が全くできない。
並のメイド一人の方がリタより何倍も役に立ちそうだ。
リタもだが、魔女様も家事は得意ではない。
ひとまず洗濯に来た。
流水があるので、何度も水を運ぶ必要が無いのは救いだが、リタは洗濯などしたことが無い。
魔女様も、家事を習ったことは無い。
リタは魔女様を手本に真似をする。
「水につけて、十分水を吸わせてからぐるぐる回して、
上からこのように押して、これを水が濁らなくなるまで繰り返す。
わしはそのようにしておる。
正しいやり方は知らぬ。いつも、そのようにしておるだけじゃ」
正しいやり方は知らないが、汚れが落ちるのは確かに思える。
ところが、重い。
けっこうな重労働だった。腰が辛い。たちまち腕が疲れる。
「けっこう力が必要なのですね」
洗濯しながら魔女様の昔の話を聞いた。
魔女様は幼い頃に魔法と剣術を習っていた。
「魔女様は剣を習っていたのですか。
剣を習っていたというのは意外でした」
「婆様が死んだのが8歳の時じゃから、
それより前の話じゃな」
「そんなに小さなころから習っていたのですね。
お婆様は何のために剣を習わせたのですか?」
「わしが自分の身を守れるようにと言って居ったな」
「そのお婆様というのは、魔女様の実のお婆様なのですか?」
「いや、わしは養子じゃ」
「養子? お婆様は貴族か何かだったのですか?」
「教会の大聖女だか、そんなやつじゃった」
大聖女? そんなのが居たのは100年くらい前の話だ。
「大聖女? 本当ですか?」
「知らぬ。嘘かもしれぬ。
どこだかの壁画になっておると言って居ったが、それも嘘かもしれんのう」
突拍子もない話にも聞こえるが、魔女様の森は110年前からある。
今は大聖女なんていないが、110年前であれば居たはずだ。
聖女様の養子だったとしても、時代は合う。
でも、さすがに無理がある。
大聖女様と呼ばれる存在が居たのは、教会の権力が強かった150年ほど前の一時期だけだ。
5代だか6代だかしか存在していない。
当時の歴が今では旧暦と呼ばれていて、旧暦は47年しか続いていない。
司教が一貫して存在しているのに対して、聖女は殆どの時代は存在していない。
初代の大聖女様の力が強かったために、数世代続いたが、実際に大聖女と呼ばれるほどの力を持つのは初代のマリアンヌ様だけだった。
「おぬし、腕から水が滴って服が濡れておる」
考え事をしていたら、服が凄く濡れていた。
「あら? いつの間に」
「サンドラもそうであったが、ここには何もできぬ者が来る」
酷い言われようだが母もリタも貴族令嬢で、洗濯も炊事もできなくて当然だ。
だが、今は必要なのだ。ここで言われるとちょっと痛い。
「これからできるようになります。
お望みであれば、一通りできる者を連れてくることもできます」
魔女様に気に入ってもらい、しばしの滞在を許して欲しいが、役に立つアピールができない。
ここでは貴族令嬢の長所が生かせず、短所ばかりが目立ってしまう。
弱い、あまりにも弱い。
「それも良いが、あの焼き菓子の味が忘れられぬ。
20年ぶりに口にしたが実に美味であった。さぞかし高価な物であろう」
もしかして、菓子を入手できれば匿ってもらえるだろうか?
菓子は贅沢品ではあるので少し値は張る。
が、今のリタでも菓子を気軽に買える財力はある。
そもそも庶民には全く手が出ないと言うほど高価な品ではない。
「庶民が口にする機会は少ないかと思いますが、そこまで高価な品というわけでもありません」
「あの菓子は、この石何個と交換できるかの?」
魔女様は普通の人間社会での物の価値を全く知らない。
焼き菓子は、宝石とどちらが高価か比較するような価格ではない。
「確実ではありませんが、おそらく1個あれば、100個くらいは買えるかと」
※リタさんの言う100個は100包みのことですが魔女様は、
100枚と思ってるかもしれません。
魔女様が大量に持っているこの石は、そこまで高価な宝石では無いが、焼き菓子と比べたら遥かに高価だ。
リタには宝石の鑑定はできないが、おそらくあの宝石は以前母が持ち帰ったものと同じもの。
だとすれば、本物の宝石であり価値は非常に高い。
こういったものは、店や、上下関係で大きく変動するが、リタが知るような店であれば、そこまで買い叩かれることは無い。
リタは恐らく、この石をなるべく高値で売り、菓子を買うくらいならできる。
そこに活路を見出す。
「安全を確保したうえで私に命じていただければ、石と交換で十分な量の菓子をお持ちいたします」
「おお、この石は価値があると聞いていたが、そこまでのものであったか!
安全についてはわからぬ。
わしは魔法でいつでもここに戻ることができるが、
お主を遠くから守ることはできぬ」
魔法でここに戻ることができる。
だとすると、それに同行できれば、囲まれても逃げ帰ることができそうだ。
「同行者と共に戻ってくることは可能でしょうか?」
「わしの近くに居るものは一度にここに戻ることができる」
良いことを聞いた。
ならば、魔女様と共に町に行けば危なくなっても戻ってこられる。
こそっと行って、菓子を買って戻る程度はできるはずだ。
「魔女様。私と一緒に町に行きませんか?
魔女様はどこからでも、一気にここに戻る魔法が使えるのですよね。
私はこの格好であれば、町中でも気付かれる心配は少ないです。
気付かれたら、魔女様の魔法で逃げ帰ると言うことで」
「お主は危険じゃ」
まずい、警戒心を持たせてしまった。焦りすぎたか。
「魔女様の姿を知る者は居りませんから、良い案だと思ったのですが」
ところが、話の続きは、リタが考えたのとは全く別の内容だった。
「お主の言葉は、長年ここに閉じこもって身を守ってきたわしの心を揺さぶる。
お主はとても楽しい話をする。お主はとても輝いておる」
そんなに楽しそうに見えるのだろうか?
私は生き残る道を探しているだけなのに。
「私は命を狙われているから匿って欲しいと言ってるのですが」
「わしは捕まれば火あぶりの刑じゃ」
「なんですか、それは」
火あぶりの刑が執行されたなどという話は聞いたことが無い。
リタにとっては昔話に出てくる、本当にあったかどうかもわからない話に思えた。
「わしは教会に狙われている。捕まれば火あぶりの刑。
婆様は、そんなわしを守ってくれた」
教会が幼い頃の魔女様の命を狙う?
今の魔女様を狙うならともかくとして、幼い頃の魔女様を狙う理由があるだろうか?
「昔魔女の婆様と暮らしておって、教会のことは婆様から教えてもらった。
幼い子供の頃の話じゃ」
魔女の婆様? 大聖女と言ったはずだ。
「大聖女様と言ってませんでしたか?」
「婆様は大聖女だか、そんなやつだったと言って居った。
その頃わしは子供で信じておったが、そんなに珍しいなら、嘘かもしれぬ。
婆様は魔法が使えたから、わしは婆様のことは魔女だと思っておる」
「魔法は、その魔女のお婆様から習ったのですね」
「習ったが、習った魔法はどれも使えなかった。
いや、大火炎輪は使えるようになったか。婆様のよりだいぶ大きいやつじゃが」
リタも大聖女様の話はいくつか知っている。
あまり戦う話は無いが、大聖女様は火の壁を作って、敵の分断に成功し、
その功績で大聖女になったという話だった。
魔女様の火炎輪と大聖女様の火炎輪は同じものかもしれない。
「魔女様は、お婆様のお名前を憶えていますか?」
「名はマリアンヌだと言って居ったように思う」
マリアンヌ!!
火炎輪を使った大聖女の名はマリアンヌだと伝わっている。
「お婆様は火炎輪が使えたのですか?」
「火炎輪が使えるのは確かじゃ」
もしかしたら、魔女様の育ての親は大聖女とうたわれたマリアンヌ様なのではないだろうか?
あの時代、確かに火あぶりの刑は存在したと思う。
マリアンヌ様の晩年は、おそらく魔女狩りが盛んだった時代。
次代の大聖女として魔女様を育てようとしたのではないだろうか?




