84 道は険しく
しんしんと雪が降り積もる冬の日は静かで、海から近いため普段なら波の音が聞こえてきてもおかしくなさそうなこの屋敷だが、時折暖炉の火が爆ぜる音と、ヘーゼルの毛をブラッシングする音、そしてユリストさんとルイちゃんの楽しそうな話し声しか聞こえてこない。むしろ外の音が雪に吸われて余計な環境音が聞こえないせいか、よりそれらの声や音がよく聞こえるようにも思えた。
暖かい紅茶と美味しいお菓子をつまみながら、こんな静かな一日を過ごすのも、悪くない。
悪くないのだが――如何せん、やることが無さすぎて暇なのである。
これまではスローライフじみてても、何だかんだで仕事はあるし、自由な時間があったら刻印術の研究をしたり趣味の時間にしたりと、良い意味で暇が無かった。正直滅茶苦茶精神的に充実した日々だった。
だが今回は半分観光気分だったので、着替えと武器くらいしか持ってきていない。参考書も、趣味の道具も置いてきてしまった。暇つぶしアイテムが無いのだ。
しかも昨日ぶっ倒れたせいで、今日一日は安静にするよう言われてしまっている。せめてユリストさんに魔力操作の方法くらい教えてもらおうとしたが許可されず、暇を持て余して延々とモズの髪を編んだり結んだりしていたがそれも飽きた。
マジで暇すぎる。暇は人を殺すんやぞ。
ユリストさんと王都の流行ファッション等の話題でおしゃべりをしながら、ヘーゼルのブラッシングをしているルイちゃんに声をかけてみる。
「ねえルイちゃん」
「なあに?」
「お出かけしたい」
「駄目」
ルイちゃんにしては珍しくすっぱりと言い切る。
彼女は確かに普段は穏やかで優しいが、何でもかんでもOKを出すような無責任さは無い。現状をきちんと把握し、駄目なものは駄目だと判断出来て、その上で物毅然とした態度で厳しい意見も言える強かさも兼ね備えているのだ。
そういう所がとてもだいすこ。ただの優しくもか弱い女の子じゃ無いんだよ。
でもそういう所が私の観光ライフの邪魔をしてるんだ……っ!
「市場で味噌と醤油と米を探しに行きたい」
「駄目だってば」
「ねえ知ってる? バラットって鱈が獲れるんだって。寒鱈は美味しいよぉ? ネギと一緒に肝と白子とぶつ切りにした身を、味噌と酒を入れたスープで煮込んで仕上げに岩海苔をかけた、郷土料理のどんがら汁は最っ高に美味いんだぞぉ? やっぱりメインと言ったら濃厚な旨味のある白子だけど、実は肝を少し囓ってから汁を啜るのがどんがら汁を食べてて一番幸せになる瞬間で――」
「食べ物で釣ろうとしても駄目。ドクターストップだよ」
「ルイちゃんってこういう時は容赦しないし頑固だよね……」
「昨日も言ったけど、念には念を入れて、今日一日は休養を取ってもらうよ。トワさんのためを思って言ってるんだからね」
「わかってるよぉ……」
優しい微笑みを浮かべながらも仕事は着実にこなす医者のような対応でにべもなく却下されてしまい、こりゃ説得は無理だと諦める。
というか自分で言ったどんがら汁語りであの味を思い出してしまった。
めっちゃ食べたい。どうしよう……まだ味噌見つけてないのに……。まさか飯テロ自爆するとは……。
「トワさんの飯テロでお腹空いてきちゃったんですけどどうしてくれるんですか。お昼までまだ時間あるのに、サンドイッチじゃないしょっぱいものが食べたくなっちゃったじゃないですか!」
「ごめんて」
「……前みたいに、竜の肉で何か作れば良いんじゃないか。まだ残ってるんだろ?」
「ラガルがハッシュドドラゴン食いたいだけやんけ」
どうやら図星だったらしいラガルが小さく呻く。食べる前はあんだけ「こいつら魔物を食うなんて正気か?」みたいな顔してたのに。
正直な奴め、そういう所好きよ。
不意に視線を感じ、そちらに視線を向ける。視線の正体はユリストさんで、何故か神妙な顔つきでじっとこちらを見つめ、ぽつりと呟くように問いかけてくる。
「トワさんってお料理出来るんですか?」
「まあ人並みには」
そう答えた瞬間、ユリストさんは勢い良く私の両手を握り、目をらんらんと輝かせて顔を近づけてくる。大変発育の良いたわわが勢いにつられてたゆんと揺れた。
「和食……作ってくれませんか……!」
ユリストさんは転生してから和食を食べられる機会が殆ど無かったのだろうか、欲望でギラついた目で、大真面目にそんなことを言ってきた。
いくら醤油や味噌のような和食に欠かせない食材が手に入れ辛い環境とはいえ、領地の殆どが海に面した土地であるネッカーマ領は、漁業や養殖業と同じくらいに貿易が盛んだ。他国、つまり飛花の食材を取り扱う事もそれなりにあったはずである。
今まで、ほぼ和食と言っても過言では無い飛花の食事を口に出来なかったなんて、そんなことあるだろうか?
そんな凝ったものじゃなければ普通に自分で作りゃあ良いじゃん、なんて考えたが、ユリストさんはお嬢様だし、自分で作ろうにもそもそも厨房に入れてもらえないのかもしれない。
「食材だけあっても飛花料理に精通した料理人を雇っている訳でも無いですし、自分で作ろうにも料理が壊滅的に駄目で……シェフに言われて気付いたんですけど、僕、アレンジャーらしくて……」
「オッケー把握しました私が作りますね」
アレだ。この人、湯豆腐を作ろうとすると「何か足りなく無い?」とか思って野菜やら魚の切り身やらを入れた挙げ句、最終的にマロニーなんかを入れてしまって湯豆腐じゃなくて鍋を作ってしまった上で、映えを気にしてで青色一号を入れたり、甘いのが好きだからって羊羹を具材に入れたりするタイプの人だ。
現代日本は料理が出来なくても生きていける環境だ。スーパーに行けば買ってレンチンすればすぐに食べられる惣菜があるし、夜中でもコンビニには弁当がある。米だってレンチンで食べられるパックがあるし、昨今の冷凍食品のクオリティはとても高い。
この人、転生前の食事はコンビニ弁当かカップ麺か外食がデフォだったんじゃないか……?
本職に比べたら大した腕前では無いが、せめて美味いと思えるような暖かい手作り家庭料理を食わせてやろう。
ユリストさんが侍女に飛花の食材を手配するよう伝える。
ようやく和食が食べられる目処が立って心が沸き立つ。
が、現状持て余している暇を今すぐどうこう出来る訳ではない。根本的な問題は解決されていないのだ。
「あ~……予定が出来たのは嬉しいけど、食材が届くまでが暇だよぉ……」
「じゃあお絵描きしません? お絵描き。線画交換しましょうよ~! そういうのやったことないからトワさん付き合って~!」
「大して上手くない絵の塗り絵したって楽しく無いですって」
「そんなことないのに~……。そういえば、トワさんってこっちに来てからも何か描いたりしてました?」
「それ私も気になる! トワさんって絵が上手だし、刻印なんかもよく描いてるし、ユリストさんみたいに創作活動をしていてもおかしくないなって思ってたの」
ルイちゃんも気になるらしく、目を輝かせて視線をこちらに向けている。
だが悲しいことに、期待に応えられるような返答は出来ない。
「流石に金銭面と時間の問題があるからやってないっすねー。それにほら、ある程度お絵描きの努力値稼いだから一般人よか描ける程度で、私にゃ絵の才能無いんで」
「えー? そんな事ないですよぉ! 私、トワさんのデフォルメの効いた絵柄好きなのに」
「絵柄好きって言われるのは嬉しいですけど、自分より絵が上手い人に『絵が上手い』って言われても、説得力がまるでないんですわ。それに、仲良い人に言われても接待させてるみたいですし」
「本当のことなのに……」
「ユリストさんはトワさんの作品を見た事あるの? いいなぁ……私は地面に描いた絵とか、落書きくらいなら見たことあるけど、作品らしい作品は見たことないの」
「エッ、三ヶ月は同居してるのに!? トワさん本当にそんな長い間描いてないの!?」
「描いてないっすね」
「でもアンタの部屋に色鉛筆とかあるじゃないか」
「あれは刻印術の勉強とかで使ってんの」
「小鳥と竜」
唐突に、モズがそんな言葉を言う。そんなに大きくない、だけど全員に聞こえるような声量で。
――そのフレーズは、私しか知らないはずのものだった。
全員がモズに注目する。心なしか、モズはドヤ顔をしているように見えた。
「とある山に、一羽の小鳥がいました。小鳥は、体はとっても小さいけれど、心はとっても大きくて――むぐっ」
原稿が目の前にあるかのようにすらすらと本文を読み上げ始めたモズの口を咄嗟に塞ぐ。
何故だ。何故こいつがそれを知っている。読み書きは教えているがそれを教材には使っていないはずなのに。
「トワさん?」
「何でもない」
「なあ、今のって」
「何でもないって」
「……絵本?」
モズが漏らしたたった二行の文面から察したらしいユリストさんが、真偽を確かめるべく私に問いかけてくる。
私は必死に壁に顔を向けて口を閉ざしてやり過ごそうとしたが、モズが封じられている口では答えられない代わりに、こくりと頷いて答えを示してしまった。
「すごーい! トワさんって、物語も作れるの?」
「いや、まあ、うん、絵よりはマシ程度には……」
「あの……今のやつ、同人誌です?」
「インスパイアされてるけど違います……」
ユリストさんは、こう問いたかったのだろう。
――それ、ラガルイじゃね? と。
違う。多少モデルにはしているけれどラガルイじゃないんだ。二次創作じゃなくて創作なんだ、あれは。
「てことは、トワさんの一次創作!? えー見たい読みたい! 見せてよぉ!」
「う、うるせー! どうせ日の目を見ない素人の駄作だし、人に見せられるモンじゃないから、もう何も聞かんでくれ!」
「そんなの見てみないとわからないでしょー!」
「いいよ人に見せんでもわかるから! それに原稿は置いて来たから手元に無いっての!」
「夕日のまじょ」
「お前ーッ!! なんでそっちまで知ってるんだ!」
ボディランゲージをした際にモズの口を押さえていた手を離してしまい、推しカプに一切影響されていない方の創作絵本のタイトルまで暴露されてしまう。
というか何で知ってるんだよ! こっちに来てから描いたやつは、誰にも見られないように全部鍵付き金庫の中に入れているんだぞ!?
鑑定か!? 鑑定眼で見たのかこいつ!? 探偵ヨダルイの甘々純愛デート二次創作とか、ラガルイ前提ウォルイのNTR二次創作も見たんか!! 前者はともかく後者は教育に悪すぎる内容なんだが!?
「モズうぅ〜……おン前余計な事喋りよってからに……! まさかそらで暗唱できるとか言わんよな!?」
「言える」
「おまこのッ!? 忘れろ忘れろーッ! 忘れろビームすっぞ!?」
「どうしてそんなに隠したがるの? 絵も文章も書けるなんて、凄いことなのに……」
「……折って捨てたはずの筆を、未練がましく持ち続けてるのが恥ずかしいからだよ」
ルイちゃんが心の底から褒めてくれているのは充分に理解している。
理解しているが、私が納得出来ていない。
確かに絵も文章も書ける。だが、それはせいぜい下手の横好き程度のレベルで、出版出来るようなクオリティにはとても及ばない。それは、描き手である私が一番良く分かっている。
いつまでも夢を追い続けているだなんて、この年にもなって、恥ずかしい。もう芽が出ないことなんてとっくに気付いているというのに。
「じゃあ何で二次創作はしてたんですか?」
「あれはただの自己満足で、人に見せる為に書いてる訳じゃないんで。二次創作と一次創作は話が違います。それに一次創作は二次創作と違って、他人の褌を使ってる訳じゃないですしね」
創作は二次創作に比べると、圧倒的に見られない。例え一万人のフォロワーが居たとしても、創作を見てくれるのは、全体の1%も居たら良い方だ。
二次創作を見る人々は、作者の作った物語が好きだから見ているという人はごく少数で、殆どが原作が好きだから見ているだけ。
好き勝手性癖を詰め込んで書いたとしても、原作やそのキャラクターが好きだから見る人は多い。
一方で創作はそもそも見てもらえない。特に流行にも乗れず、ただ「自分が読みたいから」「自分が描きたいから」という理由だけで書いたオリジナル作品なんて、余程仲の良い友人に読んでと頼んでようやく見てもらえる程度だ。
基本は、誰にも見られないし評価されない。見てもらえるとしたら、抜きん出た才能が光る作品のみだ。
私はそれを知っているから、それに絶望してしまったから、筆を折った。
それでも書くのを辞められないのは、心の何処かで諦め切れていないからだろう。
ご清覧いただきありがとうございました!
昨日は完全に寝落ちしてて更新し損ねてました。申し訳ございません。お昼寝気持ちよかったです!
今は季節じゃないですが、どんがら汁(寒鱈汁)、本当に美味しいんですよね。
肝は子供が苦手とするほろ苦さと魚臭さがあるのですが、これが寒鱈の出汁とネギの香りがたっぷり出た味噌味の汁と合わさると最強になるんですよ。美味い、美味すぎるッ!
白子はもう安定の美味さ。一口噛めばプリッ、二口目以降はトロッとした食感に、濃厚な旨味とクリーミィな味わいが口に広がってもーたまらん。
ただ昨今は白子のサイズが年々小さくなってしまっているように感じます。クッソしょぼいんですよ、最近の白子は……。
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