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83 おくすりのめたね

 買い物から帰ってきたルイちゃんは、問診のように私に色々と聞きつつ、テーブルに抱えていた紙袋を置いて、何やら準備をし始めた。

 一方のラガルは今日色々とあって疲れてしまったのか、帰ってきて早々に倒れるようにソファーに横になり、動かなくなってしまった。大きな革張りのケースをテーブルに置いたところでそれに気付いたルイちゃんは、ベッドから毛布を持ってきてラガルにかけてやり、優しく頭を撫でて「沢山頑張ってくれてありがとう、お疲れ様」と囁く。


 ナチュラルにラガルイ不意打ちしてくんの致命傷になるからやめてくれません?

 いややめないで。もっとやって。元より性癖に致命傷食らってたから関係無いわ。

 唐突な推しカプテロを食らった私は一瞬期が遠のきかけたが、こんな最高のシーンを見逃してたまるかと気合いで持ち直した。


 再び準備に戻ったルイちゃんに、私は素朴な疑問をぶつける。


「そういや何しようとしてんの?」

「トワさんに栄養剤作ろうと思ったの。今は無事に回復しているみたいだけど、念のためにね」

「そっか。……いやこれ飲むの? マジで言ってる?」


 携帯用の調剤セットから、普段使っているものより小さい調剤道具を取り出しだしてセットしているルイちゃんに、私は恐る恐る問いかける。


 テーブルの上には小さいすりこぎに、足付き五徳とその下に小さい魔石バーナー、それにシリンダー等の容器と、それを固定するためのビュレット台のようなもの、そして、薬の材料が置いてある。

 材料はベースとしてナースライムの粘液と、乾燥させた夏シキヨウの葉と夜光菊の花弁を粉末にした混合物。使用率の高いこれらは、普段から携帯調剤セットと共に持っているものだ。それとユニコーンから取れた魔石と、シルワコルなる聞いたことの無い魔物の魔石。これらもよく調剤に利用しているものだ。

 他の材料は買ってきた紙袋内に入っているのだが、普段から使っているのを見ているから知っているコカトリスの鱗のは分かるが、小さい何かの貝殻やら骨は何なのか分からない。


 だが、私が戦々恐々としているのは、高々この程度のものが理由ではない。

 私が恐れているのは――携帯調剤セットから取り出された、どこからどう見ても蝶々の羽である、薬の材料らしきものだった。


 青白く燃えるように光るそれは、見た目は美しい。これが舞い踊るが如く羽を翻し飛ぶ姿はさぞ、幻想的なことだろう。


 しかし薬の材料である。それも、経口摂取するタイプの。


「マジも何も、不死蝶を使った薬は飲んだことあるでしょ? 前に飲んだ鎮痛剤とかにも使っているし」

「ヤダーッ! 完全に虫の姿をした原材料を最初に見せられると忌避感がすごいよぉ! 私はゲテモノでも容赦なく食うけど、虫だけは駄目なんだってばぁ!」


 準備を終えたルイちゃんは、慣れた手つきでビーカーにナースライムの粘液を注いで魔石を投入し火にかけ、コカトリスの鱗をすりこぎで擦り始める。


 私は虫を見るのは嫌いでは無い。ゴキブリ等の不衛生な虫でなければ素手で触れるし、なんなら蟻の飼育動画は癒やされるのでよく見ていた。


 が、口にするのは別だ。

 味がどうこうという問題ではない。見た目が駄目なのだ。生理的に無理、と感じてしまう。

 マヂ無理。本当に。


「ほらトワさん元気! めっちゃ元気! だから栄養剤なんて飲まなくったって平気!」

「だーめ。ちゃんと飲んでもらうよ」

「イヤッイヤッ! イヤーッ!」


 小さくて可愛い生き物のような悲鳴を上げて、大の大人としてのプライドをかなぐり捨てて懇願……というより駄々をこねるが、ルイちゃんは涼しい顔で作業を続け、粉になった鱗を小皿に移し、次は骨と貝殻を擦って粉にする。


 ちなみに物理的に止めるつもりは無い。近くで火使ってるから危ないし。止めたいけど。


「どんだけクソマズでもいい、虫を使った薬だけはやめて! お願い許して堪忍して!」

「駄目です」

「やらあああああ!!」


 沸騰する直前で火をトロ火にして魔石を取り出し、分離した上澄みを丁寧に掬い取ってから、粉にした諸々と乾燥植物の混合物を少しずつ入れながら攪拌する。

 ナースライムの粘液は上澄みの方に粘度の元となる成分が凝固していたのか、ややとろみがある液体へと変貌していた。


「ほら私甲殻類アレルギーだから虫を食べると命に関わる危険性が」

「お買い物行く度に屋台の川エビ焼きを美味しい美味しいって食べていたじゃない」

「嘘ついたのは悪かったけど本当に虫だけは勘弁してェ!!」


 攪拌し終わったら蓋をして、じっくりコトコト煮込む。


 そしてついに――不死蝶の羽を、すりこぎに入れる。


「イヤーーーーーッ!!」


 ゴリ、ゴリ、とすりこぎ棒で擦られる度に崩れていく蝶の羽。乾燥されていたものなのか、くしゃりと小気味良い音を立てて欠片へ、粉へと変貌していく。

 最終的に灰のような粉になった蝶の羽は、尚も炎を纏うかのように光り、その中から不死鳥が産まれてきそうな、ファンタジーらしい幻想的な光景を生み出していた。


 そんな風に思った瞬間、不死蝶という名前と粉になった羽、そして不死鳥の逸話、三つの歯車が最悪な噛み合い方をした想像が脳裏に浮かんでくる。


 作業が終わったのか、ルイちゃんがすりこぎ棒を置く。粉になった蝶の羽をビーカーに入れるでもなく、他に何か加工するでもなく、火にかけている溶液が沸騰しないか様子を見つつ、じっと待っている。


「ま……まさか……!」


 不意に、携帯調剤セットに入っているピンセットを手に取り、ルイちゃんはぽつりと呟いた。


「そろそろ幼虫になってるかな?」

「もっとヤダーーーーーッッッッッ!!」


 ルイちゃんは当然のように粉をピンセットの先でほじくり返し、小指の爪サイズの幼虫を二匹、三匹と小皿に回収していく。

 白くてぷっくりとした幼虫は丸々としており、言いたかないが、グミのような見た目をしていた。


「トカゲトリの骨髄が無かったから仕方ないよ。テンビョウウミヘビの骨でも代用は出来るけど、これは幼虫と合わせた方が薬効が強くなるから」

「そんな効果高くならんでいいからマジで勘弁して!!」

「ゼリオン剤は確かに万能薬だよ。でも、傷や病を一気に治す為には体力が必要なの。それこそ死にかけた状態からの回復なんて、本人が気付かなくても、実はかなり体に負担がかかっている可能性があるんだから、ちゃんと体調を整える栄養剤を飲んで安静にしてなきゃ駄目」

「いっぱいご飯食べて睡眠取るからぁ……」

「消化吸収にも、眠るのにも体力を使うものなの。その分の体力を補ってくれるための薬なんだよ。苦手なのはわかるけど、ここは我慢して飲んでほしいな」

「心配してくれてるのは分かってるけど……せめて虫を使ってないやつを……」

「不死蝶は色んな薬剤に使われているメジャーな材料だし、栄養剤に関しては、使わないとなると希少性の高い上に扱いが難しいものを使わなきゃならないから、お店の調剤室じゃないと作れないよ」


 それに、と続けて、ルイちゃんはとんでもない爆弾発言をする。


「昨日ホワイトビスクを残さず食べていたのに、今更だよ」

「エッあれって虫使ってんの!? 知りたくなかった!!」


 昨晩はジュリアの好物だということで、ホワイトビスクという、乳白色のビスクスープが夕食に出されていた。

 エビのようだがほんのりとナッツのような味がして、実際カリッと炒って砕いたナッツ類がちょこんと乗っていたので、ビスクスープの方にも使われていたのだと思っていた。ビスクにナッツは聞いた事が無かったが、香ばしくカリカリ食感のナッツにとろりとした濃厚なビスクスープが絡み、食感と旨味、両方の良い所を調和させていて、更にエビにしては薄い香りに炒りナッツの香りが追加されることで上品な仕上がりになって本当に美味しかった。


 だが虫、特にセミやカミキリムシの幼虫はそう言われるのだが、多くはどこかしらナッツのような風味がすると言われている。


 つまりビスクスープに感じたナッツの風味は、スープにナッツが含まれているのでは無くて、スープ自体の味で――原材料である虫のものだったのだ。


「でも美味しかったでしょ?」

「美味しかったけど正体知っちゃったから二度と食えないわ!」

「あっ、もしかして、飛花ではキヌイトグモを食用とする文化が無いの? カニやエビみたいなものだと思うんだけど……」

「食文化の違いなのはそれはそう! でも蜘蛛は節足動物であって甲殻類ではない!」


 ホワイトビスクの原材料らしいキヌイトグモというのは、この世界でのお蚕様のような存在だ。役割もお蚕様とほぼ同じで、その名の通り絹糸を取るために家畜化された、ヤシガニサイズの蜘蛛の魔物である。お蚕様と違うのは、繭を作るためでなくとも糸を吐けるので、乾繭する必要が無いというところか。食用にもされているというのは初耳だが。


 いや爬虫類とか鳥類の亜人が普通に存在してるから昆虫食が一般的なのも分かるけどさぁ……。ハチノコフライが好物のキャラもいるし……。


 食文化の違いで思い出したが、以前ルイちゃんとジュリアの前で「塩とごま油とすりおろしニンニクで馬刺しをキメつつキンッキンに冷やしたビールをキューっといきたい」と言ったらガチ目のドン引きをされた。

 馬肉美味いのに……って、多分ルイちゃんも今同じ事思っているんだろうな。


「くっそぉ! 郷に入っては郷に従え! 私ゃ腹ァ括ったぞ!」


 ヤケクソになった私はそう叫んだが、ルイちゃんが可愛い顔をして手慣れた手つきで幼虫を潰して虫汁を抽出する光景を見て、一気にその蛮勇も鎮火してしまった。

 マヂ無理。


 最早処刑を待つような心境で、ルイちゃんの調剤の続きをぼんやりと眺める。

 不死鳥の幼虫汁をビーカーに投入して攪拌すると、クリームソーダのアイスがメロンソーダに溶けた時のような色合いになる。そこに最初とは違う魔石を入れて魔力を注ぎながらゆっくりとかき混ぜつつ数分煮込み、それが終わったら水属性のスペルで一気に冷却。冷却が終わったら別容器にフィルターを付けて漉し、それを数回繰り返し、不純物を取り除き……そうして、完成してしまった。


「本当は分離機を使ったり、精製の工程が必要になるんだけど、機材が無いからこんなものかな。お店で売ってるのと比べると弱いけど、ちゃんと効果はあるから安心してね」


 小瓶に移されたそれを手渡されてしまい、普段なら隠していただろうしかめっ面を思いっきり顔に出してしまう。

 しかし一度「腹を括った」と言った手前、やっぱ無理ですとは言えない。私にも大人としてのプライドがあるのだ。


 意を決して、一気に飲み干す。出来るだけ舌に触れないようにしたのだが、流石に液体にそれは無理で、間違っても美味しいとは言えない独特の味が口の中に広がった。


「若干ケミカル感あって苦いけどまろやかクリーミィで若干ナッツぽい味がするぅ……漢方薬よりよっぽどマシな風味なのがムカつくぅ……」

「お疲れ様。ちゃんと飲んでくれて良かったよ」

「トワさん大人だもん……苦手なものでもやろうと思えばやれるもん……」

「トワさんのそういう所、尊敬するなぁ。そうだ、少なくとも明日までは様子見のために安静にしててね」

「はぁーい……って待って? 作ってる量に対して飲んだ量少ないなって思ったけど、もしかしなくても毎食の食前か食後に飲まなきゃならんとかないよね?」


 ルイちゃんは数本の小瓶に完成した栄養剤を注ぎながら、きょとんとした顔で当然のように答えた。


「一日三回、食後に一瓶だよ」

「――やだあああああ!!」


 後で聞いたが、私の悲鳴は屋敷の外まで聞こえていたのだそうだ。

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