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69 TS転生百合絵師おじさん

「僕、実は転生者なんです」


 ユリスト嬢――もとい、らむねさんは扉に寄りかかりながら、そう発言する。

 まあ確かに、見た目からして獣人種だし、転生者というのは間違い無いのだろう。ネット小説的に考えるなら、ゲームの中に異世界召喚・世界転生なんてよくあることだ。


 だけど、異世界転生だと考えるには一つ、どうしても明らかにしないといけない事案があった。


「らむねさんってツブヤイターで男って言ってましたよね!? もしかして、ネナベしてました!?」

「いいえ、TS転生というやつです! 仕事からの帰り道で事故に遭って……気がついたら、ユリスト・ネッカーマとして転生していました」

「にしてはやけに女の子っぽい言葉遣いがこなれているような……いや、言うて今一人称僕って言ってるしな……」

「ああ、今はほぼ素なので。美少女してる時は一人称を『私』にしてます!」

「キャラ作りしてるんですね」

「折角このケモ耳デカパイムチムチ太股美少女アバターで転生したんだから、理想の可愛い女の子としてロールプレイしたいじゃないですか! 実際めっちゃ楽し~い! バ美肉VTuberの気持ちが今ならわかるぞぅ! 女の子人生最っ高ー!」

「あ、うん。これ中身らむねさんだわ。間違いないわ」


 すっかり頭から抜け落ちていたTS転生という展開に納得する。


 うん。確かにらむねさんはツブヤイターでも「生まれ変わったら可愛い女の子になりたい」とかよく言っていたし、「Live2Dが使えたのなら間違い無く仕事辞めてバ美肉VTuberになってた」ってしょっちゅう呟いていた。

 本人の希望を最大限叶えた転生じゃん。前世で一体どんな徳を……いや、セレヘレとヘレセレというカップリングをあの素晴らしい画力で描いて下さってたんだから当然か。


「それと名前がユリスト・ネッカーマっていうの、名前に百合とネカマが入ってて、名は体を表してる感じしません? 僕は気付いた瞬間芝3000でした」

「うっわ本当だ! 大草原待ったなしじゃん、ターフの匂いしか感じねえ」


 今まで気が付かなかったが、らむねさんが言う通り、名前が三秒で考えたみたいな直球の名前だ。一周回って秀逸だと思う。


 外見こそデカパイケモ耳美少女だが、中身はツブヤイター上とほぼ変わらない。ツブヤイターでは交流することなんて無かったが、懐かしさからか、旧友と会った時のようなノリとテンションになる。

 彼女も――中身の性自認に則って、今度から「彼」と言おう――私と同じように思っているようで、ハッピーテイル症候群でも引き起こしそうな勢いで尻尾をブンブンと振っている。

 いつもツブヤイターで見ていたからか、外見はともかく、言動を見ると初めて会った気がしない。


 急に服の裾を引っ張られ、そういえばモズも一緒だった、と冷静になる。モズは拗ねたようにジト目で私とらむねさんを睨み付けていて、珍しく表情を顔に出していた。


「あー、ごめんごめん。知り合いだって分かったからさ、つい盛り上がっちゃって」


 頭をやや乱暴に撫でてやると、私の注目が自分に向いたことで少し嫉妬心が薄れたらしい。フンッ、と小さく鼻を鳴らして、それ以上は睨んで来なかった。


「ねえちゃん。てぃーえす、って何じゃ」

「TS転生は記憶を持って生まれ変わる時に、違う性別で転生すること。TS転生、までが一単語ね。性転換だけだとTS……今はTSFって言う方が主流なのかな。ちなネカマは……簡単に言えば、心も体も男だけど、女の子のフリしてる人のこと。ネット上での話だけど、この世界じゃネットの概念無いから説明が難しいな……」

「ほーん。じゃからこのネカマのおんちゃん、変じゃったんか」

「ぶっは!」


 モズが何気なく言葉にした「ネカマのおんちゃん」発言がツボに刺さり、私はその場に崩れ落ちた。


「ネ……ネカマのおんちゃん……ブッフ……ゴメンちょっと待っ、ッフフ、ツボに入って……ヒィー!」

「ネカマのおんちゃん、中身おんちゃんなんに、女子(おなご)の見た目しちょるけん、変じゃ」

「確かにそうだけど、ド直球で言わないでくれると嬉しいなぁ! 流石に中身が人生経験豊富な三十路後半おじさんと言えど、心の柔らかいところがちょっぴり抉れちゃうぞぅ!」

「ヒィー、ヒィー……ふう……ンブフッ、ゴホンッ! 良いかい、モズ。人前で絶対にブハッ、ね、ネカマのおんちゃんって呼んじゃ、駄目だからね、ブハッ」

「おん」

「そんなに笑わなくても良くなァい!?」

「スミマセンなんか変なツボに入っ、ンフッ、入っちゃって……」


 しばらく脳内で「ネカマのおんちゃん」がリフレインして笑いが止められなかったが、ようやく慣れて落ち着いてきたところで、らむねさんが問いかけてくる。


「あの、ところで人違いだったら申し訳ないんですけど……トワさんってもしかして、常磐トワさん、だったりします?」

「あ、はい」

「ウォルイとラガルイの?」

「はい」

「ご本人?」

「はい」


 瞬間、ガッと勢い良く両手を掴まれる。急な事に体がビクンと跳ね、思わずらむねさんをの顔に視線を向けると、彼は目をキラキラとさせて歓喜の表情を浮かべていた。


「僕、カップリングは百合しか受け付けなかったんですけど、トワさんのラガルイを読んでおねショタに目覚めたんです! 性癖の開拓者ご本人様に会えるなんて、僕ぁ幸せ者だぁ……!」

「エッ!? 私が書いたラガルイ、読んでくれてたんですか!? らむねさんって百合専でしたよね!?」


 そう。らむねさんは百合以外を受け付けない生粋の百合厨だ。

 だから私の百合ルイ受け作品ならまだしも、やや人を選ぶ成人済み名誉情緒ショタと年下の母性溢れるロリおねえさんという属性の組み合わせが基本のラガルイを見ているとは露程も思っておらず、腹の底から驚愕の声を上げてしまった。


「と言うか、ラガルをショタ化幼児化させた作品は確か二、三作くらいしか無かったはずですけど……」

「実を言うと、最初はジュリルイ目的で読んでいたんですよ。ちゅんたやの解釈が完全に一致だったし、お羞恥描写は汚喘ぎやハート喘ぎを使っていながらも下品になりすぎない丁度いい塩梅で、文章が読みやすかったこともあってつい読み込んでしまって……気づいたら、おねショタでなら男を受け入れられるようになっていました! それからは、ラガルを脳内でショタ化させて読むようにしていました」

「ま、マジすか……! やだ、嬉しい……! 面と向かってそう言ってもらえるのがこんなに嬉しいなんて……!」

「それでもショタおねのラガルイは生理的に受け付けられなくて読めなくて……すみません……」

「いやそこは無理して読まないでください、自衛大事。おねショタとショタおねは別物ですから」

「作品に注意書きを書いて下さる方で本当に助かりました」

「自衛出来る人への配慮は二次創作者として当然の務めです」


 自衛出来ない人、自衛しない人への配慮はしないのかって?

 ンなもん自衛しない方が悪い。自衛出来るようになってから文句言え。


「ちなみにウォルイは」

「ジュリルイからちゅんたやを寝取る百合間男はご逝去なされましたら大変喜ばしく思います」

「この話やめましょうか」


 地雷の話を振られた時のオタク程恐ろしいものはない。

 声のトーンがオクターブくらい低くなって、笑顔はそのままだったのに凍り付いたようにピクリとも表情が動かなくなって、抑揚無く淡々と語る様子はホラーそのものだった。


 もう絶対、二度と、何があってもこの話題は彼に振らないようにしよう。興味本位で聞いた私が馬鹿だった。


「ところで、トワさんも転生してこっちの世界に?」

「いや、異世界召喚パターンです。自称神から、この世界を勇者は世界を救うもの(せかすく)に繋がるよう軌道修正しろって言われまして。……ほれ、起きてんなら挨拶しろ」


 抱っこ紐越しに、中にいるヘーゼルを軽く叩いて起こす。どうやら起きていたらしく、すぐに抱っこ紐から顔を出し、私の服をよじ登って肩に到着した。


「話は聞いていたよ。七割くらい、何の話をしているのか分からなかったけれどね」

「うわっ、かわいいモフモフな小動物に似合わない低音イケボ!」

「事情は違えど、君も彼女と同じ知識を有している、同じ時代の人間だろう? 協力してくれるのなら、転生前の君の死を回避させてあげるけど、どうかな?」


 らむねさんは少し考える素振りを見せた後、そういえば、と呟く。


「実を言うと僕も、原作とは少し違う現状を疑問に思ってました。王都ではゴーレムが正式導入されていたり、方舟が主人公ではなく、『聖女』と名乗る人物によって発見されたり……」

「その話、詳しく聞きたいな」

「そうですね……いや、今日は長旅で疲れているでしょうから、後日、お茶でもしながらゆっくり話しましょう。長い話になりますし、それに……」


 一息置いて、らむねさんはくわっと目を開き、叫ぶ。


「ジュリア様とちゅんたやを待たせちゃってますからね! まずはリアルの推しと推しカプを摂取したい!! 自家栽培だけじゃもう限界だぁ! ツブヤイターもピクシーも見れないから飢えてるんだよこちとらよぉ!」

「ウーン、貪欲。人のことは言えないし気持ちは分かるけど」

「良いよなートワさんは、ジュリルイ摂取し放題で! しかも何故かラガル居るし! ラガルイも毎日摂取し放題じゃないか! ずるい!」

「ラガルがちゅん堕ちする瞬間まで目撃したんで寿命が千年延びてま~す!」

「う、羨ましい~! 僕も健康になりたい! もう生ジュリルイ摂取しなきゃ危篤になる状態だよこっちは! ヒャア我慢出来ねえ、突撃じゃー!」

「よお百合間男」

「断じて違う! 僕ぁ観葉植物になりに行くんだよぉ!」


 心勇んだ様子で高らかにそう叫ぶと、彼は扉のドアノブに手をかけ――何かを思い出したように、「そうだ」と呟いた。


「トワさんに伝え忘れていた、大事な話があるんです」


 そう言って振り返ったらむねさんは、ついさっきまでのオタク全開の顔から一変して、少し泣きそうな、だけど穏やかな顔をしていて、静かに語り始めた。


「セレヘレとヘレセレの小説を投稿してくれて、本当にありがとうございました」


 そう言って、伯爵令嬢らしい美しいカーテシーで一礼する。


 その光景を見て、そうだった、と気付く。


 確かにこの人は黄昏らむねさんだ。だけど、れっきとしたユリスト・ネッカーマ伯爵令嬢として生きてきた人なのだ。

 唐突に事故で亡くなった後に前世の記憶を持ったまま転生して、知らない土地で、人間関係も強制的に一からリセットされて。例え自分の好きなゲームの世界に転生したと気付いたとしても、それまではどれだけの不安を抱えて、この世界に馴染むためにどれだけの努力をしたのだろう。

 それを微塵も見せないけれど、この一度のカーテシーで、彼女の歴史が全て語られているように思えた。


 だけど――彼はそうしてユリスト・ネッカーマとして生きてきたけれど、過去を、私が投稿した彼の推しカプ小説の事を忘れていなかった。

 覚えてて、いてくれたのだ。こんな私のことを、どこにでもあるような凡庸な、読んでもらえることなんて殆ど無い小説のことを。


「自分以外の推しカプ作品を読めるなんて思いもしなかったから、嬉しすぎて、初めて見た時は読む前から泣いちゃって。……へへっ。恥ずかしくてずっとお伝えできなかったんですけど、ようやく言えました!」


 にぱっ、とサモエドスマイルを見せて、どこかスッキリしたようにそう語る。

 まるで、前世でやり残した事を一つ、やり遂げられたかのように。


「あなたが書いてくれた、ヘレンが盲目なことを良い事に人前でキスをして周囲を牽制するセレナのセレヘレと、触手話で二人だけの会話をするヘレセレ。他の作品も含め、あなたの生み出した作品と、セレナとヘレンのカップリングを好きだと言ってくれたトワさんという存在がいてくれたおかげで、心を折らずにあの二人を、あの二人にしか成し得ない関係性を、自信を持って推し続けることができました。本当に、本当に良い作品でした……!」

「……私、あなたの描いた絵をきっかけに、セレナとヘレンのカプに一目惚れしたんですよ」


 とうの昔に匿名感想ツールのマカロンで伝えた事が、無意識に口から漏れる。


 面と向かっては言えなかった、あの日の感動が蘇る。穏やかに微笑み合い寄り添うセレナとヘレンのイラストを見た瞬間の、脳を直接焼かれたような衝撃を。

 あの美しい絵が半日以上前に投稿されたにも関わらず、ふぁぼもリツブヤキもついていなかったと気付いた時の、あの喪心を。


 私は初対面だからと、ネット上だからと気軽に絡みに行ける程陽キャじゃない。昔から人間関係に関しては浅く狭く表面上をなぞる程度に交流するタイプで、少々不器用であった。

 けれどこの感動を伝えられずにはいられなくて、もっとこの感動が広がって欲しいと思わずにはいられなくて。


 だから、私は。


「あれは、あなたを応援するために書いたんです。ここに、あなた以外にもセレとヘレのカプが好きな人がいるんだって、伝えたくて」


 いざ言葉にすると、じんと目元が熱くなって、視界が少し歪む。嬉しさと感激が今になって押し寄せてくる。

 私は嬉し涙を堪えて、ずっと匿名でしか伝えられなかった言葉を、私という存在として伝えた。


「こちらこそ、私に『好き』を増やしてくれて、ありがとうございます」

ご清覧いただきありがとうございました!

フォロワーの推しカプに好感を抱き、そのままじわじわと性癖開拓されてそのまま推しカプになること、ありますよね。


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