58 リチャードという男
「そのリチャードという画家は、どういう絵を描く人なのですか?」
個人的な疑問から、ダニエル女公爵に質問をする。
フォロワー数が二桁のアカウントではあるが、一応これでもインターネットお絵描きマンをしていた身だ。画家と聞いたら、その人の作品が気になるものだ。
「芸術に興味があるのか?」
「下手の横好きではありますが、創作活動に関しては多少かじっておりまして」
「ほう、意外だな。貴様は仕事にしか興味が無いだろうと思っていたが、そんな高尚な趣味を持っているとは」
「ははは……」
この世界では、芸術なんてものを楽しめるのは中産階級以上の金に余裕がある人だけだ。
現代日本でもそうだが、画材にしても、楽器にしても、金がかかるものだ。だからダニエル女公爵は「高尚」なんて言い方をしたのだろう。
ダニエル女公爵は一度茶を口にするが、少し温度が冷めていたようだ。執事さんに手渡して「淹れ直せ」と一言言い渡し、代わりに渡されたサンドイッチにかじりついた。シャクシャクポリポリ、と小気味良い咀嚼音を終わらせてから、彼女は再び話し出す。
「暇さえあれば少女の絵か殺人の絵を描いているような変わり者だ。特に後者はカルト的な人気があって、貴族の間では高値で取引されている」
「うっわぁ、物騒なブーム……」
「少女画の方だが、こらちは……いや、実物を見た方が面白い反応をしそうだ。言わないでおこう」
「えっなんですかそれは。もしかして、春画的なそういうアレなんです?」
「中にはそういうものもある」
整った顔立ちにニヤニヤと厭らしい嘲笑を浮かべたダニエル女公爵は、含みを持った返答を返す。
彼女の返答から考えると、えっちなロリペド絵はあるにはあるが、それがメインではないのが予測出来る。
……いや、えっちなロリペド絵がある時点で問題だらけな気もするが。
そういえば普通に春画とか言ってしまった。私以外の薬屋組はそもそも「春画」という言葉を知らなかったようで、ようやく意識が戻ってきたラガルがルイちゃんに「しゅんがって何だ」と聞いて、ルイちゃんも「私もわからない」と答えているし、モズはいつも通りの何を考えているのかよく分からない無表情で追加でいただいたスコーンに様々なジャムを付けて食べ比べをしながら私達の話を聞いていた。
しかし教養のあるジュリアは眉間に皺を寄せ、わざとらしく咳払いをする。多分あれは意味を知っているな。
これは芸術的な話だから! 唐突に下ネタ会話挟んだわけじゃないから! 許して!
「安心しろ。少女画の方は基本的に健全だ。人体解剖の絵を描く男が描いたとは思えんような繊細でつまらん絵だから、私の好みではないがな」
「その二面性と、詳細不明の人物という点がミステリアスで惹かれるらしい。王都の令嬢に人気で、彼に肖像画を依頼する家も多いようだが……話を聞く限りだと絵の技術というより、彼と会う事自体が目的のようだと私は感じたな」
ふと、一瞬バズったおかげで有名になったものの、すぐに人気が沈下した数々のネット小説の記憶が脳裏をかすめた。
この世界ではどうなのかわからないが、近年の現代日本における人気なんてものの賞味期限は早くて一週間、長くても一年も経たないくらいだからね……。
そう考えると、絵の方ではなくキャラクター性のおかげではあるが、ある一定の知名度とファンを獲得出来たのは芸術家として成功したと言えるだろう。
羨ましい。
「認識阻害の仮面付けてるし、外見は完全に不審者なのにねぇ……若いご令嬢の趣味は分からないもんですね」
「でもあの人は話し上手で態度も紳士的だし、気遣いの出来る優しい人だから、そういう所が好かれているんじゃないですか?」
「ほう? 私の知っているリチャード・スティーブンと比べると、随分と性格が違うな」
ルイちゃんの言葉に、ダニエル女公爵は意外そうに目を丸くしたが、すぐにニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる。正に、虐めがいのあるターゲットを見つけた生粋のいじめっ子のような表情だ。
まあね、気持ちは分かるよ。ルイちゃんにだけあからさまに態度違うもんあの人。そのネタでいじりたくもなる。
「叔母上、もしかしたらスティーブン男爵とは別人なのではないですか? 私もルイから度々話を聞いていましたが、性格的に、今までスティーブン男爵だとは考えもしませんでしたから」
「さてね。ただ、一般的に知られているリチャード・スティーブンは芸術家らしく、気まぐれで少々神経質な男だと聞いている。が、まあ……好きな女相手なら口も回るし、紳士の皮を被ってもおかしくはないだろうよ。男という生き物は、好きな女の前では格好付けたがるものだ。なぁ、セビィ?」
「不服ながら、当主様の仰る通りでございます」
執事さんは表情一つ変えずに肯定するが、イマイチ説得力が無い。表情が変わらないからだろうか……。
いや、ラガルティハを見ているからかもしれない。こいつルイちゃんの前でも情けない所しか見せてないからな……。
だがそれが良い。だから良い。
一生格好付けなくていいぞラガル。私が許す。
ふと気が付けば、ルイちゃんは茶化すようなダニエル女公爵の言葉に段々恥ずかしくなってきてしまったのか、赤らんだ頬を両手で押さえて俯いてしまっていた。漫画なら、ぷしゅう、と蒸気を立てていてもおかしくない様相だった。
は?
待って? 可愛い。
ねえちょっと何その反応。恋する乙女が好きな人当てられて慌てるシーンのそれだが? 可愛いんだが?
何でそんな顔してるの? 恋愛感情なの? ペストマスク氏のこと、実は異性としてちょっとだけでも意識していた所があったりしたの? 誰にも言わないからおばちゃんに言ってみ?
「うう……どうしよう。今度から常連さんの事、今まで通りに見れないかも……」
「大丈夫? ペストマスク氏と結婚する?」
「どうしてそんな話になるの!?」
「ゴメン今のは素で口が滑っただけだから気にしないで」
うっかり脳直の言葉が口から出てしまってジュリアとラガルティハからすごい形相で見つめられてしまった。
しゃーないやん。だって性癖に刺さるカップリングなんだもの。
勘違いしないで欲しいが、ラガルティハの事を応援しているのは紛れもない本心だ。
だけどそれはそれ、これはこれ。
癖に刺さるモンは刺さるんだよ。
「……ああそうだ。芸術と言えば、変わった絵を描くと話題になっている女画家が居たな。確かそいつがリチャードの絵を所有していたはずだ、一度訪ねてみるといい。私の方から一筆書いてやろう」
「良いんですか!?」
「構わん、面白い話を聞かせてもらった礼だ。すぐにとは言えんが、冬の内に返事は返ってくるだろうから楽しみにしておけ」
「ありがとうございます!」
「セビィ、後で手配しておけ」
「かしこまりました」
棚からぼた餅とはこのことか。まさか芸術鑑賞の機会をいただけるなんて思ってなかったので、つい柄にも無くテンションが上がってしまった。
学生時代は美術館や博物館によく行っていたが、社会人になってからとんと行かなくなってしまっていた。それがまさか、異世界に来てから再びこんな機会に恵まれるとは夢にも思わなかった。
久し振りにそんな機会をもらえた上に、リチャード氏ではないにせよ、現役の画家に直接会えるなんてうれしい限りだ。
ぶっちゃけそんな事をしている暇があるのかと言われたらちょっと考えてしまうが、いつまでもウィーヴェンに居ても進展も無いだろうし、別の土地で聖女や紅燕、それに王都の情報を調べる事も必要だ。
これも必要な遠出だから。そのついでだから。出張みたいなもんだから。
自分への言い訳はこれでOKということにしておこう。
「特徴的な絵を描く女画家と言うと、ネッカーマ伯爵令嬢のことですか?」
ジュリアの口から出た人物について心当たりがあるか記憶を遡ってみたが、一切思い当たる節が無い。多分、完全にARK TALEのストーリーには出てきてないモブの類いだろう。
ダニエル女公爵は頷き、茶を飲み干す。そして大変爽やかな笑顔を浮かべてこう言った。
「然り。そういうわけだ、ルージュ。仕事をくれてやるから、バラットに着いてこい」
「……は?」
突拍子も無いダニエル女公爵の発言に、ジュリアが固まる。私も、ルイちゃん達はともかく、まさかジュリアにも飛び火するとは思ってもおらず、ワンテンポ遅れて「へ?」と間抜けな声を漏らした。
というかジュリア、ダニエル女公爵からは「ルージュ」って呼ばれてるのか……。公式のストーリーでも基本的に「貴様」呼びだったし、ダニエル女公爵の出番は少ないから初めて知ったよ。
「お、叔母上、お言葉ですが私には騎士団の運営が……」
「ルージュが不在の間は他の者に任せる。確かノルトラインの三男坊が居たな。あれにでもやらせておけば良い」
「ですが!」
「二度は言わん。詳細は追って話す」
「…………承知しました」
ジュリアは反論しようとしていたが、すぐに諦めたようにため息交じりの返事を返した。
多分、ダニエル女公爵の気まぐれや思いつきに付き合わされるの、いつものことなんだろう。
巻き込んでごめんな、ジュリア……。
「そうだ、ルイ。大分話が逸れたが、ゼリオン剤を売るのなら一つだけ忠告しておく」
「忠告ですか?」
「羽付きトカゲ……竜人種には気をつけるのだな。あいつらは翼持ちである鳥人種を妙に気に入る傾向がある。特に、貴様のように馬鹿正直で献身的なヒヨコは奴ら好みだ。マトモな人生を送りたかったら関わらないことだ」
ようやく顔の赤みが薄まったルイちゃんは、ダニエル女公爵の発言に、ちらりとラガルティハを見る。
うん、まあ、ラガルティハがルイちゃんに沼っているのは事実だけど、害は無いからね。
忠告を受ける程の厄介さは……いやあるかも……。
他の竜人族は知らないが、ラガルティハに関してはほぼ一目惚れの、出会って一ヶ月も経ってない相手の誕生日にクソ重量感情込みのアクセサリーをプレゼントするような奴だし……。
竜人族の恋愛感情がブラックホールレベルの重力持ちがデフォなら、他の竜人族とは距離を置いておいた方が得策だろう。
「ああ、その白トカゲは別だ。羽を失い尊厳を破壊され、骨すら無くなったトカゲなら害も無い」
骨なしチキンのヘタレって言いたいんですね分かります。
翼について言及されて明らかにラガルティハが落ち込んだ様子を見せる。シワチュウ顔してる……。後でルイちゃんからいっぱい慰めてもらおうね。
しかし、ジュリアへの流れ弾ですっかり聞き流してしまっていたが、バラットといえば、回復役の代名詞こと、シスターのヘレンが居る港町だ。前作「勇者は世界を救うもの」にも登場した街で、私にとっては馴染みのある舞台である。
彼女とコンタクトを取ることが出来れば、もしかしたらラガルティハの翼も元に戻せるかも知れない。
喜べラガル、もう羽無しなんて言わせないぞ。
そんなことを頭の隅で考えながら、私は冷めてしまったお茶を一気に飲み干した。
「そうだ、忠告と言えばもう一つ」
「何ですか?」
「リチャード・スティーブンと恋仲になるのは良いが、結婚は止めておけ。将来性が無い」
「ちゅあー! でっ、ですから! そういうのじゃないんですってばぁ!」
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