56 アフタヌーンティー
ゼリオン剤を飲み干し、小瓶から口を離したダニエル女公爵は一度深呼吸をすると、口元に満足そうな笑みを浮かべた。
「驚いた! ここまで呼吸が楽になるとはな!」
先程より気持ち通りが良くなった声で明るくそう言うが、私を含めたほぼ全員が、予想外の光景に目を丸くした。
「叔母上、髪が……!?」
「髪? ……ふむ、色が抜けたな」
美しい薄青だった髪から色が抜け落ち、雪のように真っ白に変わったのだ。
ジュリアの声に疑問を持ったダニエル女公爵は、もみあげを一房すくい取ってそれを見る。特に驚いた様子は無く、ただ淡々と事実を受け止めているようだった。
「副作用は無いという話だったはずだが?」
「先日私も使いましたが、少なくともこんな風に髪が脱色することは無かったです!」
つい言い訳を口走ってしまった瞬間、ふと、人族に対する臨床実験はラガルと私の二件だけだった事に気が付く。
通常の薬やポーションも人族という広い枠組みで共通で使われる事が殆どなので、細かい種族別に効果の違いを実験した訳ではない。
ハッキリ言って、データ不足なのである。ちゃんと臨床実験のデータを取っておくべきだった……!
どう弁明するべきか、と必死に考えを巡らせたが、そうこうしている間にダニエル女公爵の髪が元の薄青に戻っていった。
何事も無かったかのように元の髪色に戻ったのを自身でも確認したダニエル女公爵は、ふむ、と小さく呟く。
「なんだ、一時的なものだったか。原因に心当たりは?」
「ゼリオン剤の効果が作用する時に、一時的にでも全属性の魔力が均衡な状態になるのなら、魔力属性が髪色に現れる妖精種の人はこうなるんじゃないかなって思いますが……ちょっと、自信が無いです……」
ルイちゃんの推測に、ああなるほど、と合点がいく。
PCやスマホに置き換えれば分かりやすい。
ゼリオン剤はデータサルベージとリカバリー、オマケに各アプリケーションの更新や追加を一度に行うソフトのようなものなのだ。必要なデータを先に保存してから初期化して、サルベージしたデータを元に溜まっているキャッシュを削除したり、アプリをアップデートしたり、必要に応じて追加データを導入するものだと考えれば良い。
この初期化の段階で、魔力という各種アプリケーションが一時的に削除される。そうすると、妖精種特有の体質である「保有する魔力によって髪色が変わる」という特性上、髪から色が失われる。そしてサルベージしたデータを元に復旧した所で、再び髪に色が戻るのだろう。
「肉体の初期化を行い、その後最適化を施すと考えるのならば、辻褄は合います」
「副作用ではあるが、数秒程度で治るなら無きに等しいか。この程度の副作用でこれ程の治癒力があるなら問題あるまい。……しかし初期化だの最適化だの、まるでゴーレムの人工知能の話のようだな。ああ、嫌なことを思い出した」
ルイちゃんの説を補強するために個人の見解を伝えるが、それでゴーレム関連の事を思い出させてしまったらしい。眉間に皺を寄せているが、そんな表情も顔が良いから映える。
いやマジで顔が良いなこのロリババア……流石ジュリアの血縁者。黙って微笑んでいればお人形さんと見間違えてもおかしくない。
再びルイちゃんに魔眼の刻印を施してオドの状態を診察してもらい、呼吸音も確認してもらう。
どうやら問題無いらしく、ルイちゃんは表情を和らげて微笑み聴診器等を片付け始め、代わりに持ってきた薬をいくつか並べ始めた。
「ほぼ問題無いと思いますけど、一週間は処方する薬を飲んで様子を見て下さい。また来週に診察に来ますから、それまでは出来るだけ安静にしていて下さいね」
「不本意とはいえ久々の休暇だ、そうするとしよう」
ルイちゃんが続けて薬の説明をしている間、本題であるゼリオン剤の売り込みをどう切り出そうかと考えていると、ダニエル女公爵が何かを思い出したように説明を中断させた。
「そういえば、ゼリオン剤とやらを開発した褒美をくれてやらんとな。セビィ、アレを持ってこい」
「すぐにお持ちいたします」
微動だにしてなかった執事さんが一礼し、部屋を退室する。
私やジュリアと同様に疑問符を浮かべているルイちゃんに、ダニエル女公爵は「どうした、話を続けろ」と言い放ったので、気にはなるものの説明を続ける。
そして説明が終わる頃に、執事さんは人数分の椅子を持ってきた使用人を引き連れて、ティーセットを持って戻って来た。ティートローリーは折りたたみ式でテーブルにもなるタイプで、ティーカップとポッド、それにケーキスタンドがあり、茶菓子が美しく並べられている。
シンプルなプレーンのスコーン、一口サイズにカットされたパウンドケーキ、冬だというのに色鮮やかで瑞々しいフルーツをふんだんに使用した何種類もの小さなタルト、それと濃い緑色の野菜や何かしらの葉っぱを挟んだ薄いサンドイッチ。脇に並べられた瓶には、花や葉っぱの形をした砂糖やキャンディスが入っているもの以外に、ミルクピッチャーがある。スコーン用にか、クロテッドクリームや数種類のジャムが入っているものもあった。
本格的なアフタヌーンティーセットを初めて見た私は思わず、「これがヌン茶……!」と呟いてしまっていた。
「貴様らには一生かかっても見ることすら出来ぬ茶だ、心して味わえ」
「今回のお土産は茶葉だったんですね、ありがとうございます」
「ありがたく頂戴します。……ほらお前らも」
私が促して、ようやくモズとラガルはぺこりと頭を下げた。礼の言葉は言っていなかったが、ダニエル女公爵は彼等に意識すら向けていなかったらしく、機嫌を損ねることはなかったようで一安心だ。
テーブル部分を展開し、執事さんが慣れた手つきで全員分のお茶を用意し始める。
ティーカップに注がれたのは、透き通った濃い青紫の液体。ふわりと爽やかで甘い香りが広がり鼻腔をくすぐった。
茶と言うには奇抜な色だが、バタフライピーやブルーマロウの水色を知っている身としては、そういうフレーバーティーか、程度にしか思わなかった。
が、何となく気になってモズとラガルの反応を見てみると、「え? これ飲めるの? 本当に?」と言いたげな顔をしていた。
そりゃあ水色が紫のグレープソーダとか真っ青に着色されたソーダなんかをガバガバ飲んでいる現代人とは感性が違うよな……こっちだとこれが普通だよね。
「ほぁ~、水色が紫とは珍しい。レモン汁を入れたバタフライピーより青みが強いですね。青紫って感じだ」
「アメジスト・ロイヤルという。本来なら王家に連なる者しか口にすることが出来ぬ茶だ」
「そんな貴重なものなんですか!? い、いただいちゃって良いのかなぁ……」
「喜べ、恵んでやる。ついでだ、座して楽しむ事を許可しよう」
「ははー! ありがたき幸せ!」
貴重どころかほぼ王家専用茶葉という事実にルイちゃんが戦々恐々としているが、私はその逆で、むしろテンションが上がってワクワクした。
だって普通なら絶対飲めないようなお茶だぞ? どんな味がするか気になるじゃん。
席についてカップを受け取る。執事さんから「お茶請けは何がよろしいですか?」と聞かれたので、確かヌン茶では最初にサンドイッチをつまむのが基本だったはずだと思い出し、そう答えた。
まあ、基本ではあるが、別に必ずそうしなければいけないわけではない。ルイちゃんとラガルティハはケーキを選んでいたし、ジュリアはスコーンを頼んでいた。
近くで見ると分かったが、サンドイッチの具材には、キュウリとミントが使われていた。
「き、キュウリのサンドイッチ……これが貴族のステータスと言われる……!」
つい心の声が漏れてしまう。
舌の肥えた現代人としてはしょぼいと思いがちだが、現代より栽培や流通が発展していないこの世界では、超高級品と言っても過言ではないものなのだ。動揺して心の声が漏れてしまっても仕方がない。
金のかかる温室を有していて、キュウリを栽培出来る専門知識を持つ使用人を雇っているからこそ年中新鮮なキュウリを食べられる。
そして、その条件を満たせるのは貴族くらいだ。
それにミントは育てるのが簡単ではあるが、その清涼感のある風味を楽しめるのは若い葉だけで、育ちきってしまうと風味が飛ぶ上に固くなってしまう。キュウリほどではないが、この時期に新鮮な生のミントを使うということも貴族としての格を表している。
普段ジュリアと仲良くしている時はあまり感じてなかったけど、ローズブレイド家って本当に超金持ちなんだな……いや貴族の中でも最高位の公爵家なんだから当たり前なんだけど。
「ふむ、ただ茶を飲むだけではつまらんな。余興でもしよう。私の出した問題に正解したら、追加で何か褒美をくれてやる」
褒美、という言葉に、これだと心の中でガッツポーズをとる。ルイちゃんに目配せすると、小さく頷いている。
チャンス到来だ。上手くいけば、面倒なプレゼンをある程度省略することが出来る上、好条件でスポンサー契約を結んでくれるかもしれない。
褒美という大義名分があるのならば多少の無茶でも通るだろうし、彼女もそう言った手前、後ろ盾になるという条件を拒否することはプライドが許さないだろう。
だからこそ、この褒美を何としてでも掴み取らなければならない。
「この中で一番食い意地が張っているのは誰だ?」
「あ、多分それ私です」
「なら代表として貴様が答えろ。……この茶には、何が入っていると思う? ああ、ベースとなる紅茶の品種までは答えなくても良い。それ以外に含まれているものを当ててみろ」
予想以上に難しい問題に頬が引きつる。恐らく、社会人スマイルも崩れてしまったのだろう。ダニエル女公爵は愉悦由来の良い笑顔をしていた。
こんなの当てられる自信が無い。私は茶師じゃねえんだぞ!
一応、私は一度食べたものを八割程度のクオリティで再現出来る程度には味覚が鋭い方ではある。が、ファンタジー世界特有の材料が使われていたら絶対分からない。
とはいえ、こんな千載一遇のチャンスは逃せない。
やるしかないのだ。
いただきます、と一言言ってから、芳しい香りのそれを口に含む。
しっかりと感じる上品な紅茶の香りの中に、ふくよかな甘い香りが内包されている。しかし甘い香りに反して水自体には甘みは少ない。しかし決して甘くない訳ではなく、さっぱりとした甘みが確かに存在し、程良い酸味が感じられる。
甘い香りには心当たりがある。お菓子作りでもよく使われているバニラエッセンスが似たような匂いをしていたと思う。
だが、それだけではないだろう。フレーバーにはフルーツのような爽やかな酸っぱさに隠れてほろ苦さも感じるので、少し大人っぽい印象がある。ただこの上品だが複雑な香りから察するに、少なくとも別のフルーツが入っている事は間違いない。
水に甘みが感じられるが、砂糖にしては甘さが控えめだから、多分これは果汁由来のものだ。
しかしそこそこ酸味があるが、これはローズヒップだろうか? しかしローズヒップティーの酸味はハイビスカス由来で、ローズヒップ自体の酸味は控えめだと聞いた事がある。
そもそも私はローズヒップティーなんて洒落たものをあまり飲まなかったから味と香りを覚えてない!
うーん、分からん。アイスティーにしても美味しいだろうことしか分からない。が、答えないわけにもいかない。
とりあえず分かった分だけ答えることにした。
「バニラとライチ、ですかねこれは。後は……カシスも入って……ますか?」
「バニラとライチは正解だ。カシスは入っていないが、風味が似ていると言われている果実を当てるとは、庶民にしては良い鼻と舌だな」
「お褒めにあずかり光栄です」
「それなりに学があるようだが、商家の出か?」
「人より食い意地が張っているだけでございます」
「ハッ、違いない」
「それと……多分、ハイビスカスが入っていると思うのですが……」
「不正解。しかし花である事には違いない。さて、これの正体が何なのか、貴様に分かるかな?」
「うーーーーー美味しいことだけは分かるのですが……!」
わかんないから悩んでいるんだが!?
一口飲んで悩んではもう一口、と悩んでいると、ジュリアが深くため息をつく。
そして眉間に皺を寄せて、ダニエル女公爵に避難するような視線を向けた。
「叔母上、意地悪が過ぎます。正解できない問題を出すなど……」
「へ? どういうこと?」
「その茶葉には、我がローズブレイド家が独自に栽培している、特殊な薔薇を使っているんだ。酸味はローズヒップから、水色は花弁から出ている。この薔薇の存在を知っているのは、王族とローズブレイド家、それとローズブレイド家に代々仕え、薔薇を守っている一族のみだ」
「そりゃ分かりませんわ」
なるほど、ローズブレイド家の名の通り、薔薇を使った産業もやっているのか。ちょっと考えればヒントになっていたかもしれない。これは迂闊だったな……。
「茶葉の方も少々特殊でな、一般的に流通しているものより茶葉の水色が薄いものを使って、薔薇の青をより強く出しているんだ」
「他にも茶葉の見た目を良くするために、ヤグルマギクを入れているな」
「それは味や香りには関係無いでしょう」
「だが問いは『茶に含まれているもの』なのだから、当然回答の一つにはなる」
茶葉なんて見せてもらってないからヤグルマギクの花弁が入っていたなんて流石に分からんが!?
どう足掻いても満点回答は出来なかったという事実に多少なり怒りを感じる。理不尽極まりない!
が、ダニエル女公爵はこういうことをするタイプのキャラだ。仕方が無いと言えばそうなのだが……いややっぱり理不尽だわ。
「庶民にしては中々に良い鼻と舌をしていたな、特別に合格ということにしてやろう。それなりに尻尾の振り方も分かっているようだしな。礼儀を弁えている者は嫌いではない」
「寛大な処置、誠にありがとうございます」
一瞬焦ったものの、正解とはいかなかったが、温情で合格判定をもらうことに成功した。
お行儀良くしていて良かった……。
ご清覧いただきありがとうございました!
前回はおもっきし風邪を引いてしまったせいで更新出来ず、申し訳ありませんでした。
まだちょっと具合悪いですが、今回の更新は何とかなりましたᕙ( ˙꒳˙ )ᕗ
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