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【書籍化】今宵、狼神様と契約夫婦になりまして【コミカライズ】  作者: 三沢ケイ


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6-2 ②

「はい、何か?」


 陽茉莉はその男性を見上げて首を傾げる。さっきまではいなかったのに、いつの間にこの人はこんな近くに現れたのだろう?


「探し物をしているのですが、見つからないのです。困っているので、貸していただけませんか?」

「貸す? でも、今、私もほとんど何も持っていないんです」


 陽茉莉は突然の申し入れに面を食らった。今、陽茉莉は財布とスマホ、ティッシュくらいしか持っていない。


「ああ、それなら大丈夫です。あなたの持っているものなので」


 男性はにこりと微笑んだ。


「はあ……」


 お金を貸してほしいと言うことだろうか?

 確かに、目の前の男性は奇妙なほどに何も持っていなかった。それこそ、鞄のひとつすらも──。


 男性が陽茉莉へと手を差し出す。その手が首元へ伸びてきたとき、陽茉莉はヒュッと息を呑んだ。


 手はとても冷たかった。

 寒い中を外にいただけが原因とは思えないほどに冷えた、氷のように生気のない感触。


 ぞくりと寒気がして、急激に肩の辺りが重くなるのを感じた。


(──これ)


 この感覚を知っている。

 忘れたくても、忘れられるはずがない。あれは、相澤に恋人がいると聞いてなぜかむしゃくしゃして、やけ酒した挙げ句に邪鬼に襲われたときだった。


「嫌っ!」


 陽茉莉は咄嗟にその手を振り払い。後ろに後ずさった。

 踵を返して走って逃げようとすると、右の足首を何かにぐっと掴まれるようか感覚がして陽茉莉は前に倒れる。


(何?)


 振り返って、見るのではなかったと後悔した。

 青白い手が、自分の足首を掴んでいる。体はなく、手しかなかったのだ。


 慌てて祓除札をショルダーバッグから取り出し、その手に投げつける。命中したそれはパチンと弾け、足首を掴まれている感覚が消えた。


「随分と物騒なものを持っていますね」


 男性が悠然した様子で微笑み、こちらに近付いてくる。


 背筋に冷たいものが流れ落ちるのを感じた。

 この男の人──恐らく邪鬼の一種だ──は、自分はこんなものでは倒せないという絶対的な自信を持っているのだ。


 そして、さっきのおかしな手も、きっとこの人の仕業で──。


(この邪鬼、普通じゃない……!)


 これまで見たどの邪鬼とも、明らかに違う。

 相澤が妖力を使い尽くすまで追い込まれたのだ。陽茉莉の祓除札ごときで祓えるはずがない。


(どうしよう。このままだと、この邪鬼に呑まれる)


 すぐにそう悟ったけれど、きっとまた不思議な力で逃げるのを阻まれるだろう。


「礼也さん!」


 陽茉莉は力の限り、大きな声で叫んだ。

 男が近付く。視界の端に、使い古したような黒い革靴が映った。


(あと一歩。もう少しだけ)


 そして、男の手が再び伸びてきた瞬間、持っていた祓除札を四枚まとめて男の顔に向かって投げつけた。


「うわっ!」


 まさか四枚も持っていて、しかもそれをまとめて投げつけてくるとは思っていなかったようで、男は苦しげに顔を覆った。


(今だ!)


 完全に祓うことはきっとできない。けれど、弱らせること、もしくは時間稼ぎくらいにはなるかもしれない。

 陽茉莉は立ち上がると、全力で先ほど相澤達が消えた方向へと走る。


「待ちなさい!」


 先ほどまで気味が悪いほど穏やかだった男の口調が、荒々しいものへと変わる。


 今度は右足首に違和感を覚え、陽茉莉は再び体のバランスを崩した。


(四枚使っても、だめなの!?)


 冷たい手が肩に触れて、陽茉莉はもうだめだとギュッと目を閉じた。


「陽茉莉!」


 自分を呼ぶ叫び声と共に、ザッと強い風が吹く。

 肩に触れていた冷たさが消え、代わりに陽茉莉の体を包み込んだのは優しい温もりだった。


 ギャアアと叫び声がして恐る恐る目を開けると、視界の端に先ほどの男の人が地面に倒れているのが見えた。


「間に合ってよかった」


 苦しいほどに、強く抱きしめられた。


「礼也さん……」


 けれど、その力強さが今は安心できた。

 もっと強く、痛い位に抱きしめてほしい。


 陽茉莉はそう伝えるように、相澤の背中に両手を回すとぎゅっと力を込めた。陽茉莉の腕に答えるように、相澤の腕にも力が籠もる。


「礼也さん、私、少しはお役に立てましたか」

「ああ、とても。でも、もう二度とこんなことはやめてくれ。陽茉莉が襲われているのを見たとき、心臓が止まるかと思った」

「私は大丈夫ですよ」


 陽茉莉は相澤に回していた腕を緩めると、代わりに少し胸を押した。それに合わせてふたりに少し距離が生まれ、陽茉莉と相澤の目が合った。


「だって、絶対に礼也さんが守ってくれるんでしょう? それに、仕事はチーム戦じゃないですか」


 いつだかに相澤が言った言葉をそのまま返すと、相澤の目が大きく見開かれる。

 そして、参ったと言いたげに微笑んだ。


「ああ、もちろん。陽茉莉のことは、俺が守る」


 大きな手が頬を包む。

 こちらをじっと見つめる焦げ茶色の瞳に、トクンと胸が跳ねるのを感じた。


 ゆっくりと近付く秀麗な顔から、目が離せない。


 しかし、相澤は鼻先が触れるか触れないかのすんでの所でぴたりと動きを止めた。

 そして、険しい表情で斜め後ろに視線を投げる。


「ウウウ……」


 甘さの乗せた空気にそぐわない呻き声に、陽茉莉はびくりと肩を振るわせた。その声は、先ほど退治した邪鬼のほうから聞こえた。

 這いつくばるそれは既に人の姿を成しておらず、陽茉莉が時折見かける邪鬼と同じようにぼっかりと空いた黒い穴がこちらを見つめていた。その人ならざる者が、なおもこちらに近付こうとする。


「まだだめだったか。さすがに強いな」


 あからさまに不機嫌そうに、相澤がチッと舌打ちするのが聞こえた。


(まだ祓いきれてないの?)


 陽茉莉が怯えるように震えると、相澤は大丈夫だと安心させるように陽茉莉の背中を撫でる。


「これで終わりだ」


 相澤がその邪鬼に向かってとどめを刺そうとしたそのとき、視界の端から何かが走ってくるのが見えた。一瞬の間に白っぽいそれは黒い人ならざる者の上に馬乗りになると、カプリと噛みつく。


 その瞬間、黒い人影が悲鳴と共に煙のように消えた。


 銀色の子狼が、ポンっと人の姿に変わる。


「やったー! 僕、とどめを刺したよ」


 陽茉莉はその姿を見て、ぽかんと口を開けた。


「え? 悠翔君?」

「うん。あの邪鬼、まだ祓いきれてなかったから最後のとどめを刺したんだ。すごいでしょ?」


 悠翔は得意げに笑うと、褒めてくれと言わんばかりに相澤と陽茉莉を見つめて目を輝かせる。


 陽茉莉と相澤は呆気に取られ、顔を見合わせる。

 そして、どちらかともなくふふっと笑みを漏らした。


「ああ、すごかった。助かったよ。でも、あれだけ完全な人型の邪鬼が現れたときはまだ近付いちゃだめだ」


 相澤は褒めるのと同時に、悠翔に危険だと諭すのを忘れない。悠翔は少し不満げに口を尖らせた。


「わかってるよ。僕でもやっつけられるくらい弱っていたから、とどめを刺したんだ」

「そうか。じゃあ、今のは兄ちゃんの余計なお世話だったな。悠翔、ありがとう」


 相澤は口元を綻ばせると、片手を悠翔の頭を撫でる。


「えへへっ」


 悠翔はそれはそれは嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。





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