5-3 ①
◆ ◆ 3
高塔と別れた後、陽茉莉は駅前のレストランで食事を取り、そのままハーフムーンへ向かった。
ドアを開けるとカランコロンとベルが鳴る。
「いらっしゃいませー」
久しぶりに聞く声に、なんだか安心する自分がいた。
「お久しぶりです!」
「あらー、陽茉莉ちゃんじゃない。久しぶりねー」
こちらを向いた潤ちゃんは目が合った瞬間ににこりと微笑む。ここ、ハーフムーンに訪れたのは実に三週間ぶり、悪酔いして相澤に迷惑をかけた日以来だ。今日は夕ご飯まで用意してきたので、羽を伸ばしても許されるだろう。
心配するかもしれないと思って、先ほど『遅くなる』とだけメッセージを送った。すぐに既読マークは付いたものの返信はない。
いつものようにカウンター席に座ると、ジントニックが置かれる。陽茉莉はこのミントの香りと爽やかなのどごしが好きだった。
「元気にしていたの?」
「はい」
「そう。仕事はどう?」
「今、上司が大きな案件を担当しているから、私も補佐役で入っているんです」
「へえ。上司って、猫な彼かしら?」
「はい。猫な彼です」
陽茉莉はくすっと笑いを漏らす。
相澤の猫かぶりは未だ健在だ。
先日、営業案件でバッティングしたライバル会社を打ち負かしたときには「口ほどにもない」と酷評していたのを陽茉莉は知っている。
けれど、周りからすごいと言われても「たまたま運がよかっただけですよ」と謙遜して爽やかな笑顔を振りまくのはお約束である。
以前ならそんな相澤を見て、陽茉莉は「この猫かぶりが!」とドン引きしていた。
けれど、すっかりと慣れてしまった今では小学生男子みたいなお調子者にしか見えず、むしろなんだが微笑ましくすら見える。
「なんか最近、上司の仕事に取り組む姿勢を近くで見ていて、すごいなぁって。猫かぶりは相変わらずなんですけど」
「ハンサムで仕事ができそうな人だったわ」
「あれ? いつ──」
そこまで言いかけて、ハッとする。
そうだ。あの日の夜は、相澤が陽茉莉をここまで迎えに来てくれたのだった。忘れていた羞恥心が甦る。
「あの日はご迷惑をおかけしました」
「いいえ、いいのよー。イケメンを見られて、こっちも眼福だったわ」
潤ちゃんは右手を口元に当ててけらけらと笑いながら、左手を振る。
「猫な彼に聞いたけど、一緒に住んでるんですって?」
「あ、はい。でも、居候なんです」
「居候?」
潤ちゃんが不思議そうな顔をする。
「変な人に襲われそうになったところをたまたま彼に助けてもらいまして。彼の家はセキュリティがしっかりしているから、一時的に置いてもらっているって言うか……」
陽茉莉は邪鬼のことはぼかして、ことのいきさつを話す。
「変質者かしら? 嫌ねえ。何かある前に警察に相談したほうがいいわよ」
潤ちゃんは大袈裟に顔を顰めて、嫌だと言いたげに片手を振った。
「うん、ありがとう。大丈夫」
陽茉莉はにこりと笑ってお礼を言う。
「今度、ふたりで遊びに来てね」
「そうしたいところなんですけど、子供の世話があるから無理なんですよ」
陽茉莉はありがたい申し出に、眉尻を下げる。
「子供? 彼の?」
潤ちゃんは驚いたように目を見開く。
「いえ、彼の弟です。まだ八歳なんですよ。実は、居候する代わりに普段は私が面倒見ています」
「ああ、驚いた。でも、随分と歳が離れているのね?」
「そうですね。若いときの子供と、年取ってからの子供みたいですよ」
答えながら、陽茉莉も確かにそうだなと思った。二十七歳の相澤に対して、悠翔はまだ八歳。滅多に見かけないレベルの歳の差だ。
陽茉莉も最初は、母親が違うのだと思っていた位だ。
「それなら仕方がないわね。残念」
潤ちゃんは陽茉莉の空になったグラスを下げると、静かに別のグラスを差し出した。
「これ、何?」
「これはね、〝ミモザ〟っていうカクテルよ。オレンジジュースとシャンパンベース」
「ふーん」
陽茉莉はグラスの長い脚を持ち上げて、逆三角錐になった部分に満たされた液体を見つめる。
黄色くて、シュワシュワと気泡が上がっている。
トッピングに缶詰のサクランボが乗っていた。
「もうすぐいい知らせが聞けそうな気がするから、私からサービス。上から見ると満月みたいで、今夜にぴったりでしょ?」
「いい話?」
「そ。私の女の勘、意外と当るんだから」
潤ちゃんは意味ありげにウインクする。
陽茉莉はおずおずとそのカクテルを口に含む。
オレンジジュースの甘さとシャンパンのシュワシュワが混じり合い、大人向けのオレンジソーダのような味わいだった。
「ありがとう。また来るね」
「ええ、いつでも大歓迎」
潤ちゃんはひらひらと手を振る。エレベーターの中に消えた陽茉莉の後ろ姿を見送り、ひとり口の端を上げた。
黄色のミモザの花言葉は〝秘密の恋〟。
まさに、今の陽茉莉に贈るにはぴったりのカクテルだ。




