5-2 ①
◆◆ 2
こんな秋晴れの日は、ランチタイムに外でご飯を食べるのも悪くない。そして、この人とふたりきりでランチをするなら、外で食べるの一択しかない。
「いやー、こんな完全個室のお店に連れ込まれちゃうなんて、新山ちゃん、見た目に寄らず意外と積極的だねー」
「高塔副課長、どれにします?」
陽茉莉は目の前の男、高塔一馬のふざけた発言を完全に無視して、お店のランチメニューをずいっと差し出した。
「俺、新山ちゃんと二人っきりで密室デートしたって言ったら礼也に嫉妬されちゃうかも」
「嫉妬はされないと思います。そもそも、デートじゃないです」
「なんなら、午後はこのままふたりで出かけちゃう? あそこに戻ると、仕事ばっかりだし」
「会社は仕事をする場所です。それより、さっさと選んでください」
二度目ともなると、この猫が剥げた様子にも慣れた。
「社内チャット使って『ふたりきりで会いたい』だなんて送ってくるから楽しみにしてきたのに、つれないねぇ」
高塔は陽茉莉のにべもない態度に、苦笑する。
「週末に八幡神社でお会いした際に聞いた件で、聞きたいことがあったんです」
「まあ、そんな気はしてた」
高塔はようやく注文するメニューを決めたのか、店員を呼び出すボタンを押す。
すぐに注文を伺いに来た店員に、高塔は「天ぷらそば」と注文していた。陽茉莉は日替わりランチセットを注文する。狐のあやかしなのにきつねそばじゃないんだなと、どうでもいいことを思った。
「あのとき、祓除師には訓練すれば私もなれるって言っていましたよね? 祓除札を作ったり、癒札を作ることができるって」
「言ったねえ」
「あれ、私も訓練したいです」
陽茉莉は意を決して、高塔にそう告げた。
祓除札は邪鬼を祓うためのお札、癒札はあやかしの妖力を回復させることができる札だ。
高塔は柔和な表情から笑みを消すと、探るような目付きで陽茉莉を見つめる。そのまっすぐな眼差しに居心地の悪さを感じたが、自分を奮い立たせてしっかりと見返す。陽茉莉は緊張して、こくりとつばを飲み込んだ。
「失礼しますー」と明るいかけ声と共に個室のドアががらりと開く。
「天ぷらそばと、日替わりランチをお持ちしました」
食事が目の前に置かれる。だし汁のいい匂いが鼻孔を掠めた。
店員が退室すると、高塔ははあっと息を吐く。
「やめたほうがいいと思うよ。祓除師になるっていうことは、邪鬼がいるところに自ら赴くってことだ。今のように礼也の元で守られていれば遭遇しなかったような危険に遇う可能性がある」
「でも、神力が強い人間が少なくて困っているんですよね?」
「それはそうなんだけど、新山ちゃんがこっちの世界に足を踏み込むことに礼也は反対すると思うんだ。ほらっ、琴子さんのこともあるから……」
高塔は言いづらそうに言葉尻を濁す。
きっと、礼也は自身の母親のように陽茉莉が邪鬼に呑まれて壊れてしまうことを恐れて反対する。
そう言いたいのだとすぐにわかった。
「そんなことなら、もう片足突っ込んでいます! だって、普通の人間なのに変なお化けは見えるわオオカミ兄弟と同居するわ、今はこうやって狐のあやかしとランチしているし。手遅れです!」
陽茉莉は両手をテーブルに突くと、ずいっと身を乗り出して高塔に迫る。
すると、高塔は陽茉莉を見つめたままふっと表情を和らげた。
「わかったよ。そこまで覚悟があるなら、修行すればいい。ただ、本当に祓除師になるかどうかはその修行の結果次第だ」
「本当ですか?」
陽茉莉はパッと顔を明るくする。
「ああ。今週末の土曜日、この前来てくれた八幡神社のカフェで待ち合わせでどう? 時間は……二時くらいがいいかな」
「今週末の土曜日、二時にこの前のカフェですね」
陽茉莉はこくこくと頷くと、スマホのスケジュールにそれを記録した。
話が終わると、陽茉莉と高塔は向かい合ったままお昼ご飯を食べ始める。サツマイモの天ぷらを頬張っている高塔が、しみじみとこちらを見つめていることに気付き陽茉莉は首を傾げる。
「どうしたんですか?」
「いやー。新山ちゃん、礼也のことすっごく心配しているんだなって思ってさ。わざわざ自分から危険地帯に足を踏み込むなんて」
「だって、私ばっかりがお世話になりっぱなしだと申し訳ないじゃないですか」
陽茉莉はなんとなく気恥ずかしさを感じて、口を尖らせる。
「まあ、それはそうなんだけど。礼也は別に気にしてないと思うよ。悠翔の面倒見たり、ご飯作ったりしているんでしょ? それに、そもそも相手が新山ちゃんだし」
高塔はひとりでうんうんと頷いている。
なんだ、その『そもそも相手が新山ちゃんだし』って。
上司が部下の面倒を見るのは当然ってことだろうか。この猫かぶりな人からそんな殊勝な台詞が聞けるとは驚きだ。
「今はそうかもしれませんけど、係長だっていつ恋人ができるかわからないし、私は最低限の身を守る術を得て早く出ていかないといけないじゃないですか」
「え? うーん、それは心配しなくても平気じゃないかな」
高塔はなぜか何かを哀れむように、苦笑したのだった。
◇ ◇ ◇
高塔と約束した週末、陽茉莉は午前中に洗濯や部屋の掃除を終わらせ、お昼ご飯を作るタイミングで夕ご飯の鍋の準備をした。
「お姉ちゃん、どうしてこんなに早くから夕ご飯作ってるの?」
キッチンに来た悠翔が、不思議そうに陽茉莉の手元を覗き込む。
「んー。今日は午後からお出かけするから、お姉ちゃんがいなくても食べられるように準備しておこうと思って」
「お出かけ? 僕も行く?」
「ううん。お姉ちゃんだけ」
「ええー!」
悠翔は不満げにぷくりと頬を膨らませる。
「その代わり、今日はお兄ちゃんが一日悠翔君と遊んでくれるよ」
「え? 本当?」
悠翔は途端に表情を明るくする。トタトタとリビングのほうに向かうと、ソファーに座って録り溜めていた刑事ドラマを見ていた相澤の膝に両手を乗せる。
「お兄ちゃん、今日は一日いる?」
「ああ、そのつもり」
「やったー。じゃあ、公園にサッカーしに行こうね」
「いいよ」
悠翔に向かってにこりと笑いかける相澤の横顔が、キッチンカウンター越しに見えた。弟思いの相澤が悠翔を見つめる眼差しは、いつも優しい。
(やっぱり、お兄ちゃんが一番好きなんだなぁ)
陽茉莉はふたりのやりとりを微笑ましく思いながら眺める。
先日のように自分も行きたいと駄々を捏ねられたらどうしようかと思っていたけれど、それは杞憂だった。安心したような、なんとなく寂しいような。
お昼ご飯のチャーハンを食べて後片付けを終えると、陽茉莉はすっくと立ち上がる。
「じゃあ、私出かけてきますね。夕食は、キッチンに置いてあるお鍋をたべてください」
「ああ、わかった」
相澤はこちらを振り返る。
「あんまり遅くなるなよ」
「はい」
「お守り持ったか?」
「持っています」
陽茉莉は鞄に入れていたお守りを取り出して、相澤に見せる。
「よし。何かあったら連絡して」
陽茉莉はソファーに座ったまま上半身だけ捻ってこちらを見る相澤を見つめ、目を瞬かせた。
「ふふっ……」
思わず笑いが込み上げる。
「何?」
突然笑い出した陽茉莉を見つめ、相澤が怪訝な顔をする。
「なんか、係長ってお父さんみたい」
相澤は驚いたように目を見開いたが、次いでふてくされたようにふいっと目を逸らす。
(あれ、怒っちゃったな?)
今二十五歳の陽茉莉に対し、相澤は二十七歳。お兄ちゃんならまだしも、お父さん呼ばりして気を悪くしてしまったかもしれない。
悠翔とあまりに歳が離れているので、先日陽茉莉はそのことを相澤に聞いた。なんでも、相澤は琴子さんが二十歳過ぎの頃の子供、悠翔は四十歳を過ぎて授かった子供なのだと言っていた。そう考えると相澤と悠翔の歳の差も〝親子〟なのだが。
「係長、冗談ですよ。機嫌を直してください」
「別に、機嫌は悪くない」
謝罪する陽茉莉に、相澤がぶっきらぼうに言い放つ。以外と子供っぽいところもあるのだと、妙に可愛らしく見えてニヤニヤしてしまう。
「そうですか? じゃあ、行ってきます」
「ああ。気を付けろよ」
「はーい」
陽茉莉は元気よく答えると、玄関へと向かう。
やっぱり、お父さんみたいだなと思ってしまった。




