第五章 あやかし上司とドキドキお泊まり
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トントントンと包丁で野菜を切る小気味よい音が響く。大根をいちょう切りにして、次は青菜を切ろうとしたところで悠翔がひょこりと顔を出した。
「何作っているの?」
「大根と青菜のお味噌汁だよ。今日は、豚のショウガ焼きとお味噌汁なんだけど、好き?」
「うん、好き!」
悠翔は屈託のない笑顔を見せる。
「僕も何かお手伝いしたい」
「本当? じゃあ、何してもらおうかなー。そうだ、ショウガの皮を剥いてもらおうかな」
「ショウガの皮? 僕、包丁使えるかな?」
「ショウガの皮はね、包丁を使わなくても剥けるんだよ。じゃーん、これを使います!」
陽茉莉はキッチンの引き出しを開け、中からティースプーンを取り出してみせる。悠翔はきょとんととした表情を見せた。
「スプーンで皮が剥けるの?」
「剥けるよ。こうやって、アイスを掬うみたいに当てると簡単。ほらっ」
陽茉莉は洗ったショウガをスプーンで掬い取るように擦る。すると、ショウガの皮は簡単に剥けた。
「わー、本当だ。僕もやりたい!」
「はい、どうぞー」
目を輝かせる悠翔にショウガとスプーンを手渡すと、悠翔は早速夢中になって皮むきをしていた。ショウガの皮はスプーンで剥ける。これは昔、陽茉莉の母親が教えてくれた豆知識だ。
「お兄ちゃんに、僕が剥いたんだよって教えてあげる」
「そうだね。お兄ちゃん、びっくりしちゃうね」
陽茉莉はくすくすと笑いながら、相槌を打つ。そして、壁際の掛け時計へと視線を移した。
(係長、遅いな)
今日、八幡神社で神使の詩乃から指令を受けた高塔と相澤は、陽茉莉達と別れた後にあやかし退治に向かってしまった。今頃、退治するあやかしを捜している、もしくは退治した頃だろうか。
(神力か……)
陽茉莉は醤油とみりんをバッドに入れながら、考える。今日、高塔からは本当に色々な話を聞いた。
──礼也は神力と妖力を両方持っている。
そう聞いたとき、純粋に相澤のことをすごいと思った。けれど、高塔が後からした話に陽茉莉はつと動きを止める。
「ただ、礼也は妖力も神力も中途半端なんだよね」
「どっちも中途半端?」
「そう。見ようによっては最強なんだけど、ある一面を切り取ると弱点にもなるってこと。神力は純粋な神力を持つ人間と比較すると少ないし、妖力も俺に比べれば少ない。なのに両方を使うもんだから、よく力が枯渇して休息が必要になる」
「休息って?」
「狼神の姿になって、休んでない? あの姿のほうが、色々と回復が早いんだよね」
高塔は何でもないことのように、そう言った。
オオカミの姿で休んでいると聞いて、確かに思い当たることはあった。会社の仕事でもないときに夜遅くなる日は、相澤はリビングでオオカミの姿で眠り込んでしまうことが多い。
(あれって、疲れから回復するためだったんだ……)
陽茉莉はそれを、ただ単にリラックスしているだけなのだと思っていた。
(この前も社内商品を持って帰ってコツコツ作戦を練ってたし、オオカミの姿になって回復させないといけないくらいまで無理してるし、本当はすごく努力家なんだろうな)
会社ではバリバリ働き成果を上げ続け、夜もそんな裏の顔を持っている相澤のことを、陽茉莉は半ば〝何でもできるスーパーマン〟のように見ていた。
けれど、彼は彼なりに多少無理しながらも頑張っているのだと、今さらながらに知る。
「あの、神力を持つ人は珍しいって言いますけど、私からはたくさんの神力を感じる言っていましたよね?」
「そうだね。ここまで多くて、しかも祓除師の訓練も受けていないのに今まで無事だったことにちょっとびっくりしてる」
高塔は陽茉莉を見つめ、頬杖をつく。
「訓練? 祓除師って訓練でなれるものなんですか? そうすれば、私も祓除札や癒札を作れる?」
「もちろんじゃ。強要はできぬが、そなたが訓練を受け祓除師になれば、我らは非常に助かる」
高塔の隣に座る詩乃が、静かにそう告げた。
「お姉ちゃん、入れすぎじゃない?」
悠翔の声がしてハッとする。気付けば、計量スプーンからボタボタとみりんが零れ落ちていた。
「あー。いけない! 大丈夫かな……」
陽茉莉は慌ててバットの中の調味液をスプーンで掬って舐める。少し甘みが強いが、醤油を足せば何とかなりそうでほっとした。
「じゃあ、悠翔君の剥いてくれたショウガをすりおろしてこの中に入れまーす」
「はーい」
悠翔は得意げに、剥きたてのショウガを高く持ち上げた。
◇ ◇ ◇
結局、相澤が家に帰ってきたのは夜の九時を過ぎた頃だった。
「ただいま」
「お帰りなさい。ご飯、すぐに用意しますね。ちょっとだけ時間ください」
陽茉莉は手早く肉を焼くと、お皿に盛り付ける。そして、ダイニングテーブルに向かって座る相澤の前に、それを置いた。
「このショウガ焼きのショウガ、悠翔君が剥いてくれたんですよ。手伝ってくれました」
「へえ。俺はあんまり料理しないから、珍しいのかもな」
相澤はそう言うと、立っている陽茉莉を見上げた。
「新山、ありがとうな」
にこりと微笑まれ、茶色の瞳が優しく細まった。なぜか急激な気恥ずかしさを覚える。
「いえ、いつもお世話になっていますからっ」
陽茉莉は慌てて自分の胸の前で両手を振ると、そそくさとキッチンへと戻る。
(明日は仕事だし、夕ご飯の準備をしちゃおうかな)
陽茉莉は冷蔵庫を開けると、人参とジャガイモ、たまねぎを取り出してカレーを作る準備を始める。
一時間ほど経っただろうか。
「うん、美味しい。これで一晩おけば完璧!」
陽茉莉は完成したカレーを試食して、満足げに独りごちる。
(そうだ。係長も味見するかな?)
「係長ー」
陽茉莉はリビングのほうに声をかける。けれど、返事はなかった。
「係長?」
ソファーに近付くと、今日もオオカミ姿のまますやすやと眠っている相澤の姿があった。毛並みが少ししっとりとしているのは、お風呂に入った後にきちんと髪を乾かしていなかったからだろうか。
「こんなところで寝てると、風邪ひいちゃいますよ」
陽茉莉は体長一メートル以上あるオオカミを見下ろす。
「仕方がないなぁ」
相澤の部屋に行き、毛布と布団を取ってくるとそれをそっとオオカミの体にかける。
「おやすみなさい。今日もお疲れ様」
陽茉莉はそう言うと、リビングの電灯の光を最弱まで暗くした。




