4-4 ②
◇ ◇ ◇
「──と言うことは、詩乃さんは神使で、高塔副課長や相澤係長に邪鬼退治の指令を伝えに来る役目を負っていると」
「そうじゃ」
陽茉莉は目の前に座る和風美人改め、神部詩乃をまじまじと見つめる。彼女は人間ではなく神使なのだという。
なんでも、この世に未練が残って成仏できず、悪霊化して邪鬼となった者達を隠世に送るために浄化する指令を各地のあやかし達に送っているらしい。
「じゃあ、恋人ではない?」
「断じて、違う」
詩乃がぴしゃりと否定する。
「新山ちゃん。それ確認するの、もう五回目だから」
高塔がからかうように会話に割り込んでくる。
「それにしても〝清廉潔白な間柄〟って……」
高塔は堪えきれない様子で、肩を揺らしてくくっと笑う。
陽茉莉はそんな高塔をじとっ見た。
「なんか、高塔副課長は会社とイメージが全然違います」
「えー。だって、休日まであんなに堅苦しくしていたら疲れちゃうし」
心底面倒くさいと言いたげに、高塔はひらひらと片手を振る。その姿を見て、陽茉莉は確信した。
この人は相澤と同類──猫かぶりである。間違いない。
「ところで新山ちゃん。もしかして家でも礼也のこと『係長』って呼んでいるの?」
「そうですけど?」
陽茉莉は当然のように答える。
「え、まじで? 俺、ちょっと礼也に同情した」
何を言っているんだ、この人は。
格好よくて仕事もできるイケメン副課長──高塔一馬のイメージは陽茉莉の中ですっかりと消え去った。
「ところで、高塔副課長はなんでここに?」
「え? 礼也のやつ、本当に新山ちゃんに何にも話していないんだな」
「会社に入社する前からの知り合いだって言うのは、噂で聞いていますけど?」
高塔が驚いたような顔をしたので、陽茉莉は首を傾げる。以前に仲良しの同期、若菜から高塔と相澤が旧知の仲であることは聞いている。
「入社する前からも何も、生まれたときから知ってるよ。それこそ、おむつのときから」
けらけらと高塔は笑う。
「おむつのときから?」
高塔の正確な年齢は知らないが、せいぜい三十歳過ぎにしか見えない。
そんな昔の記憶があるのかと陽茉莉は怪訝に思った。
「礼也は狼神と人の半妖だけど、俺は狐神なんだ。わかる? 狐のあやかし」
「狐神?」
初めて聞く言葉だ。陽茉莉は高塔をまじまじと見つめる。
「そ。それで、琴子さん──礼也の母親の元で邪鬼退治をしていた」
「係長のお母さんの元で?」
「ああ。邪鬼を退治してかつ悪しきものを完全に祓うには、〝神力〟が必要なんだ。けど、俺達あやかしが持っているのは〝妖力〟だけ。だから、俺達は邪鬼を力尽くで押さえることはできても、祓って隠世に送ってやることができない。逆に、神力があっても人間は弱い。だから、普通は神力を持つ人間とあやかしが複数人で組んで、邪鬼退治をする」
「神力……」
先ほどから初めて聞くことばかりで、言われた言葉をそのままオウム返しすることしかできない。高塔が話すことは、陽茉莉の知らないことばかりだった。
「係長のお母さんはその神力を持っていたんですか?」
「ああ、そうだよ。琴子さんはここの神社の娘だったんだ。だから、あやかしと神力を持つ人間の子供である礼也と悠翔は、妖力と神力を両方持ってる超貴重な半妖なんだ。神力を持つ人間って、すごく少なくってさ。俺は今、礼也と組んでる」
「へえ……」
思い返してみると、確かに相澤は陽茉莉を助けに来てくれたときにひとりで邪鬼を消滅させていた。
(係長、そんなにすごいあやかし──半妖なんだ……)
それと同時に、ふと疑問が湧く。
「あの……。係長のお母さんは、今どうしているのですか?」
その瞬間、柔和だった高塔の顔が強張った。以前、相澤にこの話題を振ったときと全く同じような反応に、陽茉莉はハッとする。
「すいません。出過ぎたことを聞きました」
陽茉莉は咄嗟に謝罪する。すると、それまで黙ってふたりのやり取りを聞いていた詩乃がほうっと息を吐いた。
「何も知らぬのでは不安にもなるであろう。琴子は、邪鬼に呑まれて死んだ」
「邪鬼に呑まれて?」
相澤の母親が鬼籍に入っていることは、陽茉莉もなんとなく気付いていた。けれど、〝邪鬼に呑まれて〟とはどういう意味だろうか。
「邪鬼っていうのは、この世に未練がある死者のなれの果てなんだよ。つまり、彼らはこの世で何かしたいことがある。けれど、死んだ人間には体がない。神力が強い人間は、そんな邪鬼にとって好都合な相手なんだ」
今度は、高塔が補足してきた。
「好都合というと?」
「簡単に言うと、邪鬼は体を乗っ取ることができる。それが〝邪鬼に呑まれる〟ってこと。神力がない人間だと短時間で死んでしまうけど、ある人間ならある程度耐えられるんだ」
そこまで言うと、高塔は陽茉莉を見つめる。
「俺からすると、新山ちゃんはかなり神力強そうに見えるんだけど、心当たりはない? 礼也が邪鬼から守るためにわざわざ家に住ませている位だし」
心当たりと聞いて、すぐにこれまでの恐怖体験が脳裏に甦った。それに、神力が強いと言われて思い当たることがあった。陽茉莉の母方の実家は元々神主の家系だ。そういうことも、影響しているのかもしれない。
時折陽茉莉の前に現れる人ならざる者達は、一様に「コレイイナ」「モラッチャオウ」と言っていた。
(あれは、私の体を乗っ取ってしまおうとしていたの?)
底知れぬ恐怖心が湧いた。
「邪鬼に呑まれるとどうなるんですか?」
陽茉莉は震えそうになる声を必死に抑えながら、恐る恐る高塔に尋ねる。
「人が変わったようになる。時々、耳にすることがあるだろ? 温厚な人間が、ある日を境に別人みたいに変わったって。中身が変わっているんだから当たり前なんだよな」
高塔は中身が残っていたアイスコーヒーのグラスに手を伸ばすとストローでちゅうっと中身を飲む。
「神力があろうとなかろうと、死んだ人間の意識が別人に入り込むんだから、遅かれ早かれ不具合が起きる。つまり──」
──呑まれた人間のほうが、壊れる。
淡々と語る高塔の言葉に、陽茉莉はヒュッと息を呑んだ。
壊れるというのは、きっと〝死〟を意味しているのだろう。
「琴子さんはすごく優秀な祓除師だった。たくさんの強力な祓除札や癒札を作って、人間なのにあやかしみたいに戦ってさ。優秀だった故に、大丈夫だと過信した俺達が目を離したのが間違いだった」
「祓除師って?」
「邪鬼を祓う力を持った、人間のこと」
神力を持つ人間は、邪鬼を祓うことができるが襲われやすい。だからこそ、何人かのあやかし達がその人を守りながら邪鬼退治を行う。
先ほどまでの軽い調子とは打って変わり、高塔は当時のことを悔やむように唇を噛んだ。
「あの……。係長のお父さんはあやかしの〝狼神〟ってやつなんですか?」
「そうだよ。あの人は強いから、強力な邪鬼が現れると真っ先にそっちに向かう指令を受けるから、滅多に帰ってこないでしょ? 琴子さんが亡くなってからさ、敵討ちに燃えていて依頼を断らなくなったから、余計にその傾向が強くなったよな」
高塔ははあっと息を吐く。
滅多に帰ってこないも何も、一度も会ったことがなかった。




