エディンバラ戦役
レナトゥスの旗艦であるビスマルク級宇宙戦艦サンクトペテルブルクの艦橋では今、ネオヘル軍元帥ヘンリー・ガウェインがネオヘルの首都ジテールのクリムレン宮殿と通信回線を開いていた。
通信相手は、ネオヘル軍実戦部隊の最高司令官ヴォルフリート・デーニッツである。
「それで緊急の用件とは一体何ですか?」
ガウェインのすぐ手前の空間に浮かぶ四角い3Dディスプレイの画面上に映し出されているデーニッツの表情には、やや不安のようなものが感じられた。
それも無理はない。
エディンバラ大公国を味方に引き込むための交渉に出立したレナトゥスとガウェインから、その交渉の最中に通信が来たのだ。
デーニッツにしてみれば、交渉の結果が出たのかは分からないまでも、あまり芳しくない状況にあるのは容易に想像できる。
「今まさに共和国もエディンバラを味方に引き込もうと出てきている」
「な、何ですと!? ……やはり考える事は同じのようですね」
驚きこそしたが、どこかで納得している部分もあるデーニッツはすぐに落ち着きを取り戻す。
「まったくだ。しかもエディンバラの女狐は我等と共和国を天秤に掛けて、より旨味のある方に付こうと目論んでいる節がある」
「それは厄介ですな。で、私に何をせよというのですか?」
「可能な限りの戦力を率いてエディンバラ大公国の国境ギリギリにまで艦隊を展開させろ」
「え? 大公国を武力制圧するおつもりですか?」
スバロキアの戦いで大敗を喫した今のネオヘルには、エディンバラ大公国を真正面から敵に回す余裕は無い。
仮に戦争になったとして敗れるという事は無いが、それに共和国が介入してくる可能性も考えると苦しい戦いを余儀なくされるだろう。
「状況によってはな。共和国に味方されるくらいなら、いっそ攻め落とした方は良い。ただし、当面の貴官の役目は示威行動だ。あの女狐を少し脅かして揺さぶりを掛ける」
「……それはレナトゥス書記長のご指示ですか?」
「無論だ」
まったくの嘘であったが、ガウェインは眉一つ動かさずに言い切った。
「では書記長は、一体どちらにおられるのです?」
ガウェインの言葉を疑っているわけではないのだが、隠居したはずの老将と陰で蔑んでいた相手に一方的に指示を出される事に不満を覚えたデーニッツ。
せめて敬愛するレナトゥスからの命令であれば、もっと乗り気で動く事ができるのだが、と考えたのだ。
「書記長は今も大公夫人と交渉中だ。しばらくは戻られないだろう。私だけはこの命令を貴官に伝えるために席を外したというわけだ。分かったら早々に行動を起こせ。事は一刻の猶予も無いのだからな」
「……承知しました、元帥閣下」
デーニッツはそう言うと敬礼をして通信を切った。
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ガウェインが交渉決裂時に備えて動いている頃。
ジュリアスとクリスティーナは会談を切り上げて、港に入港している旗艦インディペンデンスに戻っていた。
ジュリアスとクリスティーナは今、自室に設置されている超高速通信機で首都マルガリータの留守を預かっているトーマスと連絡を取っている。
「まさかエディンバラでネオヘルの書記長と鉢合わせになるとはね。じゃあ交渉はどうなったの?」
3Dディスプレイに映し出されているトーマスが真面目な表情を浮かべながら問う。
「ひとまず中断って感じかな」
「ジュリーがあんな事をするものですから」
クリスティーナが茶化すような口調で言うと、トーマスが鋭い視線をジュリアスに向ける。
「ジュリー、今度は一体何をやらかしたんだい?」
「く、クリス、誤解を招くような言い方は止めろ! それからトム、何だよその目は? もう少し親友の事を信頼してくれても良いだろ!」
「勿論信じてるよ。ジュリーはいつでもどこでも問題を起こすってね」
「む~。それは心外だぞ」
頬を膨らませて露骨に拗ねるジュリアス。
「ふふふ。ごめんごめん。それで実際のところ一体何があったの?」
トーマスが改めて問うと、ジュリアスとクリスティーナは会談であった出来事を彼に伝えた。
「何だか奇妙な話だね」
「本当だよ。まったく。レナトゥス書記長との対面自体が想定外だってのに」
「ですが、あれではっきりしたではありませんか。少なくともレナトゥスはローエングリン総統本人またはそのクローンではない事。そして正常な人間ではない事。あのような錯乱は普通ではありませんからね」
「ああ。そうだな」
ジュリアスの表情は険しくなる。
総統本人かそのクローンではない。ただ、彼本人の意思にせよ、他者の思惑があったにせよ。死者の亡霊を呼び出すために1人の人間の命と人生を弄ぶ。
その行為に、ジュリアスは深い嫌悪感を示したのだ。
「もし、あの時にトムとクリスが来てくれなかったら、俺もあんな風になっていたのかもな」
ジュリアスは不意にそんな事を考えた。
今のジュリアスがジュリアスとして在れるのは、トーマスとクリスティーナがいてくれたからに他ならない。
「ジュリー、また1人で思い詰めてるんじゃないだろうね?」
ジュリアスが1人で感傷に浸っていると、通信越しにトーマスが叱りつけるかのように少し強めの口調で問い掛ける。
「え?ち、違う。そんなんじゃないよ。あはは」
「本当に? 何だか元気が無いようにも見えるけど」
何とか笑って誤魔化そうとするジュリアスに、トーマスは追求の手を緩めない。
そこへ助け舟を出したのはクリスティーナだった。
「ふふ。トム、ジュリーはお腹が空いてるんですよ。だから力が抜けて元気が無いように見えているんです」
「え?あ、ああ。そうそう! 船に戻ったばっかだったから、腹が減っちまってよ!」
クリスティーナの出した助け舟に、ジュリアスは藁にも縋る思いで掴みかかった。
「さて。冗談はここまでにしてジュリー。そろそろ本題をトムに伝えてはどうですか?」
「あぁ、そうだな。トム、実は艦隊をこっちに送ってほしいんだ。勿論、大公国領の国境沿いギリギリのライン上にな」
「え? ど、どうして?」
「ネオヘルは無警告でキャメロットを破壊するような奴等だ。エディンバラに対しても何をしてくるか分からない。それに備えておこうと思ってな」
ジュリアスは、ネオヘルのガウェインがエディンバラに艦隊を呼び寄せた事をまだ知らない。
しかし、直感的にそのような危険性を感じ取り、それに備えておいた方が良いだろうと判断したのだ。
「でも、艦隊を派遣したらエディンバラ側に悪い印象を与えちゃうんじゃないかな。交渉に悪影響が出ないかが心配だけど」
トーマスの疑問は尤もだ。
エディンバラ大公国を武力制圧しようと目論んでいるのか、と疑われては相手方はこちらに対して疑心暗鬼になってしまうのは当然。
そうなっては、交渉も腹の探り合いが長々と続いて、スムーズに会談を進める事は難しいだろう。
そもそもネオヘルも混じって三勢力による会談で、ただでさえ混沌とした状況なのだから。
「だから、あまり刺激を与えないように数は抑え目にしないとな。2個艦隊くらいなら大丈夫だろう」
ジュリアスの言葉にクリスティーナも同調する。
「それに多少は強引な方がこちらの本気度も見せられるので、交渉を優位に進めやすくなるものですから。急な事で苦労を掛けますが、艦隊の手配をお願いします」
「……まあ2人がそういうなら僕に異論は無いよ。分かった。じゃあ2個艦隊を用意してそっちに送るから。少しの間、待っててね」
そう言ってトーマスが通信を切る。
これにより、共和国軍とネオヘル軍はそれぞれ相手方の動きに勘付く前から動き出し、実戦部隊をエディンバラに集める事になる。
それは結果として新たな戦いの下準備となるのだった。




