028 リデルの異変 1
カノンは一度神の領域へ戻り、そこで準備を整える。
自分のものだけではなく、ダグラスやマリアンヌの分も用意した。
あとで彼らに見せて驚かせるためである。
二頭立ての馬車と旅の資金は、教会や街の住民が用意してくれた。
特にゼランの街の司教が書いた身分証明書は、国境を越えるのに役立つだろう。
こればかりは、カノンでも用意できないものだった。
ダグラスたちは別れを惜しむ人々に見送られて街を離れた。
まず彼らが目指す先は、リデルである。
そこから西方へ向かう。
街を離れたところで、御者を任されているダグラスにカノンが話しかける。
「いやー、馬車って結構揺れるんだな。でも歩かずに済んでよかったよ」
「僕もカノンさんを担いで歩かずに済んでよかったです」
「それは言わないでくれよ」
カノンが笑った。
その表情に世界を救うという重さは見えなかった。
それは二十代半ばくらいの普通の男そのものだった。
「それにしても、御者までできるんだな」
「必要になりそうな技術は一通り仕込まれていますから」
「じゃあ、船とかも?」
「手漕ぎボートなら動かせますよ」
「おおっ、すげぇ! あれってすぐ疲れるから難しいんだよな」
「カノンさんの体力がないだけですよ」
ダグラスは、カノンのテンションの高さが気になった。
おそらく“旅に出る”という事を楽しみにしているのだろう。
旅を楽しみにする気持ちはわかる。
だが、ダグラスには大きな懸念があった。
――このままのテンションで絡んでこられたらどうしよう。
これは重要な問題である。
ウザ絡みしてくる相手ほど、うっとうしいものはない。
カノンのテンションが上がれば上がるほど、ダグラスのテンションは下がっていった。
だが、ダグラスの心配は杞憂に終わる。
しばらくすると、カノンは馬車の揺れに耐えきれなくなって静かになったからだ。
マリアンヌが眠る棺桶の隣に横たわり、息も絶え絶えになっている。
ダグラスは静かな旅ができそうな予感がしていた。
――しかし、それも数時間だけだった。
リデルに近付くにつれて、異常を感じたからだ。
街のいたるところに死体が転がっていた。
中には骨だけであったり、腐っているものもある。
それを街の人々が片付けていた。
(この街でも死者が蘇ったんだ!)
これまでダグラスは、死者が蘇ったのはゼランだけの事だと思っていた。
神の領域が存在する場所であり、マリアンヌが現れたりしていたためだ。
だが、それは思い込みに過ぎない。
周囲の街――いや、それだけではない。
世界中で死者が蘇っている可能性も十分にあったのだ。
(なにしてくれてるんだ、こいつは! 世界を救うどころか、事態を悪化させてるじゃないか!)
ダグラスは、カノンを見る。
個人的には彼を神のような存在だと思ってもいいと考えている。
しかし、それは個人の考えである。
この世界に生きる者としては、カノンの存在が禍々しいものに思えてきてしまう。
カノンが何かに失敗したのを見ていなければ、彼の事を本物の救世主や神だと信じていられたかもしれない。
だが、ダグラスは見てしまった。
さすがに食べ物で釣られるにも限度がある。
あの時、カノンの首を掻っ切ってやらなかった事を後悔し始めた。
「あんた!」
道沿いの家から、見覚えのある女が出てきた。
「ナタリアさん、街の様子は――」
状況を確認しようとすると、話を聞かずにナタリアが御者台に駆け寄ってきた。
何かに怒っている様子ではあるが、ダグラスに危害を加えてくる気配はなかった。
「あの男はゼランに残ったままかい?」
「いえ、後ろに乗ってますけど……。あっ、ちょっと!」
ナタリアは御者台から馬車の中へと入り込む。
馬車に横たわるカノンを見つけると、顔を踏みつけた。
カノンがうめき声をあげる。
「起きな!」
「いったい、なんなんだ? うぉっ」
目を覚ましたカノンの胸倉を掴み、ナタリアが強引に立たせる。
「あんた、あの時言ったよな? あんたがゼランに着いたら世界は元通りになるって!」
「ええ、まぁ……」
寝起きではあるが、カノンはなんとなく状況を察していた。
真っ向から否定すれば激昂されると思い、仕方なく言っていた事を認める。
しかし、それは意味がなかった。
どう答えていても、ナタリアの対応は変わらなかっただろう。
それは――
「ゾンビにケニーが……。ケニーが殺されちまったよ!
――相棒のケニーが死んでいたからだ。
親切にしてくれた相手だけあって、カノンも悲痛な表情を見せる。
お悔やみの言葉をかけようとするが、その前にナタリアの拳が顔面に飛んできた。
折れた歯が宙を舞う。
「よくも騙しやがって、この人でなし!」
「待って、待って!」
カノンは両腕で頭を守る。
ナタリアはがら空きになった腹を殴り始める。
すると、カノンは腹を守り、顔を殴られた。
彼は喧嘩慣れしていないのだろう。
ナタリアにいいように殴られていた。
カノンが邪神である可能性もあるので、この状況を放っておいてもかまわないとも思える。
だが、ダグラスは“カノンが世界に影響を及ぼす力を持っている”という事を知っている。
ただのドジなだけかもしれないのだ。
まだはっきりとわかっていない以上、ここで死なせるのは得策ではない。
仕方なく、ダグラスは止めに入る。
ナタリアの背後から羽交い締めにする。
「ナタリアさん、カノンさんは神の領域に入られました。それはゼランの司教猊下たちも確認しています。本物なんですよ!」
「だったら、なんで世界が元に戻っていないんだい!」
「それは……、悪しき力が邪魔をしているとかなんとか言っていましたが……。僕には説明できません。説明できる人は、今死にかけています。手を離してあげてください」
「くっ……」
ナタリアも怒りに任せて殴っていたが、街中で無実の人間を殺す事がマズイというのを忘れていない。
彼女も、その程度の理性は残っていた。
カノンを殴る手を止める。
「カハッ」
だが、カノンはかなりの傷を負っていた。
出血により鼻呼吸ができず、口の中もズタズタになったのか血を吐き出す。
ナタリアが手を離してくれたので、床に尻もちをつく。
「ひ、癒し手」
息も絶え絶えになっているカノンは、スキルを使って傷を治す。
その光景を見て、ナタリアの体から力が抜ける。
「魔法? まさか……」
「私は神です。ですが、今回は世界を救う事はできませんでした。他のサンクチュアリにも赴かねばならなくなったのです」
「……その事情、説明してもらえるんだろうね?」
「もちろんです。ナタリアさんとケニーさんは、この世界で初めて私を信じてくださった方です。義理は果たします」
カノンは顔をさすりながら答える。
彼の顔はもう元通りになり、歯も生えていた。





