18 アンシュルス-1
1938年 3月9日
「閣下!もはや猶予はありません!今動かなければ当分併合はできません!」
そう口から泡を飛ばして力説するのはヒムラーだ。
「ヒムラー長官。あなたの意見は分かるが、実際に動くのは軍だ。口出しはやめて頂きたい」
そう言葉を返すのはフリッチュ陸軍総司令官だ。
「総統閣下。いくらなんでも今からウィーン進駐は早計です。軍は全く準備が整っておりません」
ブロンベルク大臣もフリッチュ総司令官に加勢する。
「1月の会議で総統閣下が作成立案を命令されていたであろう。なぜできてないのだ!」
『準備が整っていない』と言う国防軍の二人にヒムラーが食ってかかる。
「ヒムラー長官。軍というのは急には動けないのです。ええ、作戦はすでに立案していますとも。ただ、万単位の人間を一斉に動かすのには段取りというものがあるのです。」
『警察と違い重火器も装備に含まれますからな』などと言ってフリッチュ総司令官はやや小馬鹿にしたような表情を浮かべる。
(ほんとこいつらは・・・)
見ているだけで頭が痛くなるような言い合いを、大の大人が目の前で繰り広げられるは大分ストレスだ。
(まぁ、仕方ないと言えば仕方ないが)
急転直下、軍の出動を命じられた軍部と、どうにかこうにか対外工作を実施していたヒムラーが衝突してしまうのは仕方ないことと言えた。
ことの発端はオーストリア=ちょび髭党の活動活発化である。
もともとライヒとオーストリア統合の発想は前大戦前からあったのでそれ自体は目新しい事ではない。
だが、これまでと状況は大きく変わってきている。
ここまでオーストリア国内で統合を叫ぶ一派が活動するのはここ最近のことだ。
勿論これには裏があり、ライヒがというより我が党が、もっと言うと俺がけしかけている。
民意への工作だけでなく、オーストリア政府にも様々に働き掛けを行なっておりあの手この手でライヒの一部に組み込むべく暗躍していたのだ。
更には国際情勢もアンシュルスの後押しをしている。
これまでライヒと国境を接する事になるのを嫌がってイタリアはアンシュルス反対の立場だったが、近年の関係改善によりその態度は変化している。
英国はライヒに緩和的な姿勢であるし、フランスは国内情勢が混乱しており積極的な外交が出来ない。
全ての要素がアンシュルスに向かっているとさえ思えるほどだ。
それにたまりかねたのがオーストリアのシュシュニック首相である。
どうにか打開策を探るべく、つい先月俺に直談判しに来たくらいだ。
だが当然俺は無理難題を言ってトップ会談での解決の目をつぶす。
シュシュニック首相には申し訳ないがほぼ完全なゼロ回答でお帰り頂いたのだ。
そしてなんの成果もあげられず意気消沈する首相だったが、一つの方法を思いつく。
それは国民投票だけ。
流石の諸外国も国民投票の結果、アンシュルスが否決されればライヒの行動を座して見はしないだろうと踏んだわけだ。
首相から見て国民投票の勝算は十分にある。
国家統合など、そう簡単に多くの国民に積極的に受け入れられないし、キリスト教系の野党ともタッグを組み選挙工作は既に万全だ。
そしていよいよもってオーストリア=ちょび髭党の活動が危険域に達してきた今日この頃、シュシュニック首相はラジオ放送で4日後の3月13日に国民投票を行なう旨を公表したのだ。
まさに電撃的。
ライヒに行動の時間を与えず、一気に片をつけようとしたのだ。
(すまないな首相、だがそこには大きな落とし穴があるんだ)
史実ではちょび髭総統のアンシュルスへの決意の程と、イカれ具合を。
そしてこちらの世界線では、ちょび髭総統である俺がアンシュルスの結果を知っているということ。
前者も後者もどうしようも無いと言えばどうしようもない。
だが、シュシュニック首相に落ち度がないからといって世界は止まってくれない。
「ヒムラー、軍の作戦に口を出すのはやめろ。君は軍の作戦に口出す立場にはない」
そう俺が言うとヒムラーは悔しそうに俯き、フリッチュ総司令官は『当然だ』とでも言いたげに小さく頷いた。
「だが、フリッチュ総司令官。軍は動かしてもらう。3日後には軍を出動させろ。」
「それは閣下・・」
「フリッチュ!私は君に命令していたはずだ!オーストリアへの侵攻計画を立てよと。しかもその際伝えたはずだぞ、命令から3日以内に1個師団は動かせる態勢を半年は維持するようにと!」
(ちょび髭総統が軍を直接掌握したくなるわけだ・・・)
この場にいるメンツにとって、今回のオーストリアでの国民投票は寝耳に水に近いのイベントだ。
俺を除いて。
前世と同じ流れをたどるのであれば、電撃的な国民投票の実施をシュシュニック首相が目論むことは分かっていた。
史実では無理やり軍を出動させたが、わざわざ同じことをこの世界線で行う必要もない。
予め軍の待機レベルをあげておき、史実よりも余裕をもって展開できるようわざわざフリッチュ総司令官に伝えておいたのだ。
(だと言うのに・・・)
口では『分かりました』などと言っていたが、『また、ちょび髭伍長が意味わからん事を言っている』と半分流していたに違いない。
「確かにおっしゃっていましたが、軍を臨戦態勢に留めるのは大変なのです。ましてや命令から数日以内に展開できる態勢を保持するなど無理です」
あたり前だが臨戦態勢を維持するのは金銭的にも、マンパワー的にもコストが掛かる。
軍としては出来たらやりたくない部類ではあるのだろう。
(だが、それでは困る)
「どうやらフリッチュ総司令官。君は勘違いしているようだ」
俺はフリッチュ総司令官の目をじっと見ながら告げる。
「これからの戦いは先の大戦とは違うものになる。戦術面においても戦略面においても機動力が重視されるようになるぞ。それにだ、今のライヒが英仏に対し優位な点は意思決定の早さだ。議会だなんだを通さなければならない彼らと違って我々は迅速な対応が出来る。それなのにだ!意思決定は早いが、実動部隊がそれに対応出来ませんでは話にならん!」
「しかし閣下。軍を移動させるに列車の手配が」
「だからその発想が遅れているといっているのだ!」
この時代の軍の移動は列車が基本だ。
そういう意味ではフリッチュ総司令官の言っていることは正しい。
(だがそれはすぐに時代遅れになる)
「何のためのトラックだと考えている!私は1個軍団の進駐を命令しているのではない!1個師団の進駐を命令している!」
そこまで一気に言って俺は一口水を飲む。
「フリッチュ総司令官。私はなにも戦争をしてこいといっているのではない。もしオーストリア軍が発砲してくるようなら即後退して構わん。ライヒの本気度を示すための行動だ。現時点でオーストリア軍との全面衝突は作戦に含める必要はない」
「・・・承知いたしました。そういうことでありましたらグデーリアン将軍に命じ自動車化部隊を動かします。」
不承不承フリッチュ総司令官が頷く。
戦車などにも一定の理解を示しているフリッチュ総司令官だが、やはりどこか近代戦への理解が今一歩及んでいないという様子だ。
「それでよい。あと今回は私も動く。SSと共にベルリンから直接ウィーンまで向かうこととする」
「か、閣下?!」「承知いたしました。」
俺の言葉を受け、と素っ頓狂な声をあげるヒムラーと、『もう好きにしてくれ』という諦め顔の陸軍高官の表情は見事なまでに対照的であった。




