15 アンシュルスに向けて
1938年 1月 ウィーン
「我々ドイツ人が分断されているのはおかしい!」
「そうだ!」「間違いない!」「我々は一つだ!」
ホイリゲ(オーストリア版居酒屋)で怒号が飛び交う。
オーストリア=ちょび髭党員達が気勢をあげているのだ。
「ベルサイユ条約では民族自決が謳われた。ドイツとオーストリアは統合され、強いライヒになるべきだ!」
パチパチパチパチと万雷の拍手が響きわたる。
こんな光景が、このホイリゲだけでなくこの時期ウィーン中、オーストリアで繰り広げられていた。
オーストリア人の皆が皆、ちょび髭党に熱狂しているわけではないが、血気盛んな若年層を中心に多くの賛同をオーストリア=ちょび髭党は得ることが出来ていたのだ。
「ドイツを率いるちょび髭党と総統閣下は見事に経済を立て直している!それに比べてシュシュニック(オーストリア首相)の野郎はなんだ!能無しじゃないか!」
「そうだ!」「あんな奴に祖国は任せておけん!」
「いまこそ、ちょび髭総統閣下に我々オーストリアも率いてもらおうではないか!大ドイツ万歳!ハイルちょび髭!」
「「「ハイルちょび髭!」」」
酒の勢いで酔っ払い共の気が大きくなったこともあり、ホイリゲ中にローマ式敬礼が溢れかえるのだった。
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「というわけだ、諸君。ライヒはもとよりオーストリアでもアンシュルスの勢いが増してきている。今年中に好機が訪れると私は踏んでいる」
俺はそう言うとこの場に集めた人間を見回す。
ブロンベルク国防大臣、シャハト大臣、ノイラート大臣といったいつもの高官連中に加え、今回はフリッチュ陸軍総司令官、ベック参謀総長といった陸軍上層部も招集している。
「閣下。それはオーストリアに対しての軍事作戦を意味するのでしょうか?」
そう発言するのはブロンベルク国防大臣だ。
(まぁ、その辺は察するわな)
今回は陸軍の人間が多く参加している。
これで察しない人間はここまで地位を上り詰めてこれない。
「そうだ大臣。場合によっては軍事作戦も選択肢に入る。陸軍は侵攻計画を立案するようにせよ」
「お言葉ですが、英仏は大丈夫なのでしょうか?現時点で我々は英仏いずれの国にも抗しえないと陸軍は考えております。」
そう言葉を返してくるのはベック参謀総長だ。
(まぁ、これも妥当な判断だ)
「それは心配ない。英仏はオーストリアの為に開戦はしてこない。これは断言できる」
俺は自信満々に言い放つ。
あまりに俺がハッキリと断言するものだから一瞬ベック参謀総長は気圧されたようだが、重ねて発言する。
「それは何を根拠にでしょうか?我々陸軍ではそのような確証が得られておりませんが、外務省はなにかつかんでいるのですか?」
ベック参謀総長はノイラート外務大臣に話をふる。
「外務省としては開戦の可能性はおそらく低いと考えている」
「おそらくでは困る」
「そう言われても、軍事的な観点もあるだろう?我々はあくまで現状の英仏の外交姿勢の話をしている。軍事的な要素が絡むならまた別だ」
「そこを加味して判断するのが外務省の仕事だろう!」
(うわぁ、正面からやりあってやがる)
オーストリアに対し軍事作戦をした際、英仏がどう出るか。
そこに明確な答えなど陸軍も外務省も持ち合わせているわけがない。
その結果、醜い責任の押し付け合いを演じることになってしまっている。
「もういい!諸君らの醜い言い合いを見るために呼んだのではない!」
そう俺は彼らを一喝する。
「オーストリアの国内情勢を睨みながら、好機がくれば一気に仕掛ける。これは国家方針だ。これは国家元首たる私の判断。もし英仏が開戦してくるなら仕方ない。その時は陸軍がちょっと遠足しただけですといって謝って撤退だ。その時必要であれば私は大統領・首相・党首の座をおりようではないか!」
「・・・そこまでおっしゃるのでしたら、陸軍は腹をくくります」
「大臣!」
「くどいぞベック!これは政治判断だ。全てを理解したうえでリスクをとるというなら我々軍は従うまでだ。」
(まぁ、ライヒ自体にはそこまでのリスクはないがな・・・)
万が一、億が一、英仏が史実と異なる判断をしたとしても一滴も血が流れていないのであれば事態の収拾がおそらく可能だ。
英仏が前大戦のトラウマで戦争を望んでいないのはこの世界線でも変わらない。
『ごめん!おれが悪かった!調子乗ってすんませんした!』と平謝りに謝ったらなんとかほぼ白紙条件で手打ちにしてくれるだろう。
(俺の政治生命と、場合によっては物理的な命も断たれるかもしれんがな)
英仏は収まってくれるかもしれないが、英仏に脅されたからといって引き下がる指導者をちょび髭党とライヒは受け入れないだろう。
間違いなく俺は失脚する事になるし、おそらく俺が失脚したタイミングでMEFO手形の悪影響がライヒ経済を直撃し、詐欺まがいのこれまでの手法が明るみにでてくることになる。
過去数年の経済復興で熱狂した党員と市民たちの反動は恐ろしいものに違いない。
(その時は日本でも亡命するか)
ライヒという同盟国がなければ日本も史実のように無茶をすることもないだろう。
「そうだ、ベック参謀総長。これは政治判断だ。君は作戦立案を急ぎたまえ。」
『オーストリア軍との衝突は極力避けるように。ゲッペルスと協力して事前にプロパガンダを積極的に行うように』と重ねて指示すると、『承知いたしました』と言ってベック参謀総長と他の陸軍関係者はブロンベルク国防大臣とフリッチュ総司令官をおいて退出していった。
で、シャハト大臣。オーストリアを併合すればライヒ経済を軟着陸させることは可能かね?」
「おそれながら、それ単体では難しいでしょうな。ですが、軍事支出を抑えて頂ければかなりマシな墜落に収まると思いますが」
『アンシュルスを成し遂げた事で急進派のガス抜きはある程度できるでしょう?』とも言いながらシャハト大臣が答える。
「そうか、ではズデーテン地方の併合も行ったらそれはどうかね?」
「か、閣下!流石にそれは英仏が黙っていないのでは?!」
あわてて口を挟むのはブロンベルク大臣だ。
「うむ、それについてだが、ズデーテン併合までは英仏は認めると私はみている。で、どうなのだシャハト大臣?」
「・・・そこまでの試算はしておりませんが、しかし閣下本気ですか?オーストリアはライヒと同じ民族で国全体が成り立っていますが、チェコスロバキアは違いますぞ。国を割る事になります。これは英仏にアンシュルスより遥かにストレスをかけることになるのと違いますかな?」
「あぁ、そうだ大臣。その通りだ。だからこそ私もズデーテンまでがギリギリのラインだと考えている。」
(この辺は本当に知識チートだよな)
高官達が反対するのも無理はない。
国ごと併合になるのと、国の一部を切り取って併合するのとでは諸外国に与えるインパクトが違う。
前者の方が一見過激に見えるが、国全体が皆の賛成のもと他国に併合されるなんていうのはあまりあり得ない。オーストリアがかなりの特殊ケースなのだ。
例えば、フランスがまるごとライヒへの併合を望むなんてことは考えにくいしありえないだろう。
だが、これが一部地域だとどうだろうか?
アルザス、ロレーヌ地方はライヒの一部だった期間があるのだ。
いまでもドイツ系の人間は一定の割合を占めている。
そんな地域がライヒへの併合を望むということは、それなりの現実味をもって捉えることができる。
だからこそライヒがチェコスロバキアの一部を切り取って併合するのは諸外国に非常な危機感を植え付ける行為となるのだ。
「陸軍は反対です。やるとしてももっと後です。閣下も第2次4か年計画を推し進めていたではありませんか!現時点ではとても英仏と戦うことなどできません!」
そう言い募るのはフリッチュ陸軍総司令官だ。
「大臣。英仏と戦うとは一言も言っていないだろう!英仏が出てくれば勿論軍を引く。これはあくまで外交で片をつける!軍はあくまで脅しだ、ズデーテンではつかわん!」
『か、閣下?』驚いた声をあげるのはノイラート大臣だ。
『安心しろ、強気でいけば英仏は必ず折れる』と、俺はノイラート大臣に発破をかける。
「・・・それは確約して頂けるのですか?」
そんな俺とノイラート大臣のやり取りを横目で見つつフリッチュ総司令官が重ねて問うてくる。
「くどいぞ!私の進退をかけようではないか!」
「・・・承知いたしました。あくまで脅しということでしたら最大限役割を果たしましょう」
「あぁ、そうしてくれ。ただし、脅しというのは下の者に知られてはならんぞ。脅しが脅しとばれたらなんの意味もないからな。シャハト大臣もオーストリアとズデーテンを併合したときに備え、経済政策の見積りをすすめるように!」
「「承知いたしました」」
そう言って皆は出ていった。
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と思っていたのだが・・・。
一緒に部屋を出ていくと思っていたブロンベルク大臣が部屋に残っているのに気づき、俺は声をかける。
「ん?どうしたブロンベルク大臣?」
「えっと、閣下。私の結婚の話なのですが・・・」
「知るか!お前が二回りも若いタイピストに懸想していることは私も聞いている!自分でどうにかしろ!まわりの説得に私をつかうな!」
「そうおっしゃらずに、閣下も口添えを・・・」
(なんでそんなしょーもない話に俺が巻き込まれないとならんのだ)
この国防大臣。妻がいる身でありながら、自分より30歳も年下のタイピストと恋仲になっているのだ。
圧倒的コンプライアンス違反である。
未来よりはるかにその辺が緩い今の時代でも、流石にヤバい。
「勝手にしろと言っている!私は忙しい!出ていきたまえ!」
(頼むからこんなことで失脚して足をひっぱるなよ)
そう祈りながら、俺は好色大臣を部屋から追い出すのだった。




