35 帰郷
「御覧ください、これが日本初。いや東洋初の公営地下鉄でございます!」
そう俺に胸を張って説明してくれるのは大阪市長だ。
(見覚えのあるドーム型天井・・・懐かしい!!!)
俺は今、未来で言う所の大阪メトロ御堂筋線梅田駅に来ている。
東京で主だった人物との会談を無事終えた俺は帰国の途についていた。
ライヒの外務省がたてたスケジュールでは東京から汽車で京都までいき、京都の街並みを視察(ほぼ観光)した後、神戸港から帰りの船に乗る手筈であった。
だが、そこに俺は待ったをかけた。
『せっかく日本まで来たのだ、東洋一の軍需工場を見ないでどうする!』と、いつものちょび髭節を外務省の担当者にかましてやったのだ。
(これくらいは独裁者の役得だろう・・・許せ!!)
と、心の中で外務省の担当者に頭をさげつつ、無理やり大阪市の視察をスケジュールに潜りこませたのだ。
勿論目的は軍需工場の視察などではない。
ただ単純に故郷に帰りたかったのだ。
(まぁ、軍需工場を見たいというのもある程度は事実だがな)
俺が視察を希望(建前上)したのは、大阪砲兵工廠だ。
大阪市の中心部に位置するこの工場は、東洋一の規模を誇っており、またその技術力に関してもトップクラスを誇っている。
現時点でもかなりの規模を誇っているが、今後前世と同様の歴史をたどるのであれば更に拡張され大阪府内に点在する各施設を合わせると600万平方メートルにも及ぶ敷地面積を誇ることになるのだ。
勿論、戦後はその工場の全ては解体され(正確に言うと解体したのはアメリカ軍のB29だが・・・)大阪城ホールや、大阪ビジネスパーク、大阪公立大学森ノ宮キャンパス等にその形を変えていくことなる。
昭和生まれとは言え、戦後しばらく経ってから生まれた俺も大軍需工場の生の姿は勿論見た事はない。
だが、令和を迎えた前世の世界線でも砲兵工廠の痕跡は大阪城近辺にちょくちょく残っており、俺自身も父親から『昔は砲兵工廠の敷地から屑鉄を持って帰って闇市で売ったものだ』等といった話を聞かさたりもしていた。
そんな訳だから大阪砲兵工廠に興味があったことも一応事実ではある。
「いやぁ、素晴らしいですな!流石は東洋一の先進国の商都だ。秀吉公もさぞ草葉の陰で満足しておられるであろう!」
「・・・え?」
思わずといった形で市が手配した通訳が声をあげる。
ちょび髭総統の口から『秀吉』というワードがでたことに驚きを隠せない通訳。
それに対し『またか』という顔をするライヒの随行員達。
(こいつらそろそろ慣れてきやがったな)
俺の奇行や奇天烈な発言にも流石に彼らも慣れてきたようだ。
それに対してどことなくつまらなさを感じるのは中島勝が凡人である故だろう。
『は?』という視線を日本側の人間から向けられた気の毒な通訳の彼は、慌てて俺の言葉を日本語に通訳する。
「え、ええ。そうですね。秀吉公も新しもの好きだったようなので、地下を走る鋼鉄の塊にさぞ夢中になられるでしょうね」
『ひ、秀吉?!』と言いたげな顔をしつつ、なんとか大阪市長が言葉をつなぐ。
「そうでしょう、そうでしょう!いやぁ、しかし關市長がお亡くなりになっていたとは・・・。市の南北を繋ぐ大通り、『御堂筋』の整備は実に先見の目がおありだ。是非とも都市計画について語り合いたかった所ですな。実に残念ですな」
「は、はぁ」
ことここに至ってはもう大阪市長は言葉に力を失っている。
(『かまし』ではなく關市長とは本当にお会いしたかったな)
關市長といえば、大阪人にとって特別な市長だ。
(※これは個人の感想です。)
パリのシャンゼリゼ通りを参考とした御堂筋の整備にはじまり、大阪市立大学の設立や、大阪城公園の整備など多くの都市計画を推進した、まさに大阪市の青写真の多くを描き出した市長なのだ。
ある意味、シュペーアと同じ様なテクノクラートととも言えるだろう。
そんな現代大阪の父とも言える市長に会ってみたかったのだが、どうやら關市長はおととし亡くなっていたらしい。
実に残念な事である。
「是非完成した電車にも乗りたいところだが、市民の皆様にご迷惑をおかけするのも忍びない。市長、次の目的地にいきましょうぞ」
「そ、そうですね。では、次はいよいよ大阪砲兵工廠にご案内させて頂きます。」
フリーズ状態になっていた市長に助け舟をだすと、ようやく案内が再開されたのだった。
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「これが帝国陸軍の誇る最新鋭戦車です!」
どこか既視感のある文句と一緒に、陸軍の技術士官が口をひらく。
大阪砲兵工廠に移動した俺は、なぜか頼みもしていない新兵器のデモンストレーションを受けていた。
どうやら大陸軍国の国家元首に新兵器の自慢をしたいらしい。
(チハたん・・・なのか?)
俺の目の前には帝国陸軍最新鋭戦車が鎮座している。
いや、正確に言うと目の前の鉄の塊は制式採用すらまだの試作戦車である。
おそらく時期的にはチハたんだと思うのだが、砲塔の大きさなどが異なる。
その辺の差異は試作型故といったところだろう。
(ん~、ただ。まぁ・・・なぁ?)
目の前の戦車を見て俺の心に湧き上がる感情は複雑なものだ。
率直に言って、戦艦や航空機と比較し帝国陸軍の戦車は戦時中とうとう『列強級』のレベルに達する事はなかった。
これは島嶼部での戦闘を予定していたとか、陸軍の主な戦闘相手の中華民国軍がまともな対戦車兵器や装甲兵器をもっていなかったなどといった事から、『そもそも重量級の戦車の開発に重きが置かれなかった』という技術面以外の要因が勿論ある。
そういった当時の帝国陸軍が置かれていた環境からして仕方がない側面は大いにあったが、結果として30トン級以上での争いとなった第二次大戦に帝国陸軍の戦車はついていくことが出来なかった。
(ん~・・・、どうすべきか・・・)
チハたん自体が問題ではないのだ。
チハたんはチハたんが戦うことを想定された戦場では、期待通りの働きをしているのだ。
軽量故に工業基盤が貧弱な日本でもそれなりの数を揃える事ができ、軽歩兵が中心の中華民国軍や各国植民地軍に対しては十分な性能を持ち合わせていた。
だが、時代の進展がチハたんを置いて行ってしまったのだ。
(これはもしかしたら間接的にライヒにとってとんでもないマイナスになる可能性もあるが・・・)
俺の前世の知識の中にはチハたんを第二次大戦末期まで戦い抜かせる秘策がある。
秘策があるのはあるのだが、この情報がソヴィエトや合衆国にもれるとライヒにとって非常にマイナスとなる可能性がある。
(うーん、どうしたものか・・・)
俺はペラペラとスペックを喋る技官の言葉を聞き流しながら、考え込んでしまうのだった。




