9ノモンハン事件-それぞれの衝撃
ジューコフ視点
「・・・この被害報告は本当なのかね?」
ジューコフは各師団から上がってきた報告の内容の酷さに思わず問い返さずにはいられなかった。
戦局が安定(膠着とも言う)したこのタイミングで、ジューコフはソビエト極東軍が被った被害について報告を受けていた。
「はい、同志ジューコフ。前後はありますが、概ね正確な数字です」
(なんという事だ・・・)
今回の作戦の為にソビエト極東軍は多くの戦力を準備した。
戦車は300両近くを揃え、航空機も戦闘機や爆撃機を合わせて400機以上揃えた。
『国境紛争』で用意する戦力としては過剰すぎるほどの戦力。
『圧倒的戦力を誇示し日本に抵抗を諦めさせる』という目的のもとモスクワが送り込んできた戦力だ。
2か月に及ぶ国境紛争の末、確かに戦果は上がった。
ハルハ川東岸に橋頭堡を築くことに成功し、戦線を押し上げる事は出来た。
だがその代償は大きかった。
『昼に押し込んでは夜橋頭保に夜襲を受ける』といういたちごっこに業を煮やしたシベリア極東軍は、モスクワから送られてきた機甲部隊を日本軍に叩きつけることにしたのだが、その機甲部隊は大損害を被ることになったのだ。
300両の戦車のうち200両以上が撃破される壊滅的損害だ。
シベリア極東軍が今回装備していたBT戦車をはじめとする快速戦車は雪崩のように日本軍陣地を襲撃し、対戦車砲により大損害をこうむることになった。
日本軍歩兵による肉薄攻撃でも被害がでたし、日本側の戦車部隊との戦闘でも被害はそれなりに出たが、対戦車砲による被害はそれの非ではなかった。
(いや、日本が機甲部隊を整備していたこと自体が驚きではあったがな)
赤軍の機甲師団と比べると小規模なものだったが、自動車化歩兵と高速けん引可能な砲兵を備えるれっきとした機甲部隊であった。
装甲の薄さ、武装の貧者さの割には機動力にも欠ける強力とは言いかねる部隊だったようだが、その部隊の機動防御のせいで敵師団を包囲する目論見は頓挫したのだった。
報告では敵戦車を多数撃破したのは間違いないそうだが、こちらの機甲師団にも無視できない大きな被害が出たそうだ。
出たそうなのだが、その被害報告すら正面から敵陣地に突っ込んだ機甲師団の被害の大きさからすると霞んでしまう。
敵陣地に据えられた対戦車砲はソビエトの快速戦車の正面装甲を易々と貫通。
当たり所が悪ければガソリンエンジンが易々と引火し、ソビエト自慢の快速戦車は時速40キロで爆走する赤軍兵士BBQコンロへとその役目を変えた。
歩兵部隊の被害も馬鹿にならず、2万名近い兵士が死傷した。
(それでもまだ戦果があがっただけ地上軍はましだ)
さらに悲惨だったのが航空部隊だ。
地上軍は甚大な被害を出しながらも、前線を西に押し上げ橋頭保を確かなものにすることが出来たが航空部隊はただ大損害を被っただけであった。
爆撃機部隊はまだましだったが、戦闘機部隊は全滅する中隊が出る程の大損害を受けた。
爆撃機隊も撃墜される機体こそ少なかったものの、目の前で護衛の戦闘機部隊が掃討されたこともあり、どことなく腰が引けた攻撃で思うような打撃を与えれなかった。
そればかりかこちらの橋頭保への敵航空部隊の攻撃を阻止できず、敵師団の包囲作戦の断念を間接的に招いたほどだ。
(まぁ、取り敢えず橋頭保の確保でモスクワへの顔はたったがな)
こちらの攻撃をしのぎ切った日本側も反撃に出るだけの余裕はなかったようで、両翼に展開した機甲師団がハルハ川西岸に引き返すのを黙って見送るのみであった。
また、日本側はこれ以上事を大きくしたくは無いようで、こちらからの攻撃を手控えると日本側も同様に部隊の活動を鈍らせた。
今はお互い塹壕の強化や、ピアノ線などの対戦車障害物の設置や追加の砲兵陣地の設営など、防衛能力の強化に勤しんでいるのだった。
これだけの戦力を集めて『なんの成果もあげられませんでした!』ではいくらジューコフでも粛清を免れ得なかっただろうが、取り敢えずは橋頭保の確保という分かりやすい戦果をあげることができた。
それに当初の目的の『日本に力を見せつける』という点においても、及第点の結果でおわることが出来たとジューコフは考えている。
『被害より戦果』を重視するソビエトにおいてひとまずジューコフの首は安泰と言えるだろう。
(完全な戦果でもなかったが・・・あとは政治屋共にまかせるか)
想定以上の被害に日本軍の手ごわさを実感するも、今回の作戦の『成功』を改めて実感したジューコフはひとまず胸をなでおろすのだった。
--------------------------------------------------------------------
石原莞爾視点
関東軍参謀本部第一作戦室は重苦しい空気に包まれていた。
ソビエト極東軍の攻勢がひと段落した後、今回の紛争の詳細な報告が各部隊からあがってきたがその内容は惨憺たるものだった。
「ソビエトがまさかこれほどとは・・・」
参謀の一人がうめき声をあげるが、誰もそれを止めなかった。
誰しも同じことを思っていたからだ。
今回の紛争で関東軍は航空戦を除く全ての部隊がソビエトに圧倒された。
航空部隊も負けこそしなかったが、甚大な被害を被った。
撃墜報告によるとこちら以上の損害をソビエト側に与えたのは確かだが、恐らく損耗率でいうといい勝負をしているのではないかというのが関東軍の見立てだった。
決して関東軍も油断していたわけではない。
本土から増援を得ていたし、手堅い作戦行動をとったはずだ。
だが、ソビエト地上軍は関東軍の予想を上回ってきた。
夜襲や歩兵の肉薄攻撃など関東軍側にも所々見るべきところはあったが、総じて圧倒された。
砲兵の破滅的な制圧射撃と、洪水のような歩兵部隊の攻撃に前線は主導権を握られたままであった。
そして極め付けはソビエト戦車部隊の戦線迂回からの両翼包囲であった。
関東軍の前線部隊が砲撃と歩兵部隊の攻撃で釘付けにされている間に、ソビエトの快速戦車部隊は戦場を大きく迂回し関東軍第二師団を丸ごと包囲する動きを見せたのだ。
独立混成旅団の活躍と、航空部隊の連続出撃でなんとか敵の目論見を頓挫させる事はできたが、それぞれ甚大な被害をうけた。
特に独立混成旅団の各戦車連隊は無事な戦車が数えるほどしか残らない程の大損害を受けた。
連絡将校として戦地に同行した面の皮の厚さでは定評がある辻少佐も、流石に言葉少なになってしまうほどだ。
連絡将校として出向いた直後は『敵機甲師団など撃破の上、逆侵攻してやる!』と息巻いてようだが、撃破どころか自らが乗車した戦車を破壊されるという命からがらな目にあったそうで、それからは火が消えたように大人しくなってしまったそうだ。
(これはいかんな)
ソビエト極東軍の圧倒的な戦力と、自軍の甚大な被害に茫然自失となっている将校達をみて石原はそう思った。
トップの動揺は末端に伝播する。
ソビエトを過小評価するわけにはいかないが、一方で苦手意識を末端の兵士に植え付ける訳にはいかない。
「諸君。そう暗い顔をするもんじゃない。むしろ必死に敵の攻撃に耐え跳ね返した兵達を誇り給え。我々は数倍する敵の奇襲攻撃を退けたのだ。」
『それも敵に甚大な被害を与えてだ』と付け加えながら石原は将校達に語り掛けた。
「ソビエト極東軍は強大であった。それは間違いない。だが、無為に臆することは誤りだ。我々がなすべきことは今回の戦いの結果を分析し、帝国陸軍をより精強なものにすることだろう。違うかね?」
「・・・その通りです閣下。」「おっしゃる通りかと」
など、将校が口々に返事する。
お通夜になっていた表情も、少しマシなものになっていた。
早速、今回の紛争を踏まえた新しい戦術の議論を始める者すら出てきた。
そんな活気を取り戻した将校達の背中を押すため、石原は将校達に満足気な表情を向ける。
参謀長が沈んだ顔をしていてはいつまでたっても淀んだ空気を払拭できないからだ。
(とは言え・・・だ。手痛い授業料だったな)
並みいる将校にあぁはいったものの、万に近い数の死傷者と多くの機体・車両を失う大損害を被ったことに石原も内心ではため息をつかざるを得なかった。




