3 幕間 とある工員のとある一日
ユンカース社 マルデブルク工場
時はやや遡り1938年8月
「オットー!隅々まで清掃したんだろうな!」
職長の甲高い耳障りな声が響く。
図体はデカいが、よく言えば細かい所まで目が行き届く、悪く言えば神経質な男だ。
「わーってるよ職長。これ以上磨けないくらい床も機械も磨いているぜ」
職長の細々とした指示を普段は『あー、また言ってらー』となぁなぁで聞き流すとこだが、今日ばかりはオットーも同僚たちも素直に従っている。
「頼んだぞ!今日は総統閣下が視察に来られるんだ。絶対に粗相がないようにせねばらんぞ!」
「わかってるっての!」
視察が決まってからずっとこの調子でうんざりしてくる気持ちもあるが、オットー自身も改めて自分の担当セクションを確認する。
技術者肌で製品以外の細かいところには頓着しないオットー達工員も、国家元首が来るとなると流石に普段より神経質になるというものだ。
もう何度もチェックしたか分からないが周りの工具や部品関係に不足がないか、十分に整備出来ているかを今一度見直す。
(よし、いつでも来いってんだ)
舞い上がりそうな高揚感と共に、一抹の畏れも感じながらオットー達工員一同はその時を待つ。
オットーが勤務するのはマルデブルク郊外に位置するユンカース社の最新鋭工場だ。
流行りのライン生産方式が大々的に導入されているこの工場は、最新鋭の工作機械も大量に設置されており『世界最先端の工場』であると会社も勤務する従業員も自慢に思っていた。
オットー自身、自分の子供達に『とうちゃんは世界一のエンジンを世界一の工場で作ってるんだぜ』と自慢しているほどだ。
そんなオットーが担当するのは工場の『花形』ともいえる最終組み立て工程である。
一体鋳造されたシリンダーブロックにピストンやクランクシャフトを取り付けていく。
エンジンに各部品が取り付けられ完成形になる工程だ。
最新鋭エンジンを製造していることにオットーをはじめ同僚も自分達の仕事を誇りに思っており、その仕事ぶりを国家元首に見せるという事で皆やや浮ついていた。
今回は工場のラインをとめず、稼働中の所を視察するという事だ。
噂では工場長はラインをとめて視察を受け入れようとしたらしいが、『生の生産現場を見たい』というのがちょび髭総統のご意志であったらしく通常通りの生産体制で視察に臨むことになった。
「いよいよ、おいでなさったぞ!」
緊張して顔が青色になった職長が不意に声をあげた。
それと同時に「「「ハイルちょび髭!!!」」」という声が入口の方であがる。
(へぇ、あれが総統閣下か)
その声に釣られ入口の方を見やると、軍服やスーツを着込んだ一団が入っているのが目に入った。
先頭を歩くのは中肉中背の黒髪の男だ。
トレードマークのちょび髭をはやしている。
「頼むぞ、今だけでいい、何もおこってくれるなよ・・・」
(ほんと神経質な男だな!)
この期に及んでブツブツ言ってる職長にオットーは苦笑いしてしまう。
ラインが止まるのは良くないことだが、工場ではままあることだ。
とまってしまうと格好はつかないだろうが、まぁ言ってしまえばそれだけの話だ。
カツカツカツ
次第に革靴が床を踏みしめる足音が近づいてくる。
(くそ、流石に緊張するな)
平常心を自らに言い聞かせるが、緊張で手が震えてくる。
チラッと周りをみると、同僚たちも似たり寄ったりな様子でどことなく動きがぎこちない。
(ん?あいつ大丈夫か)
オットーの目に留まったのは新人のブルーノだった。
ブルーノの担当しているセクションは細かい調整などはないセクションだが、代わりに部品の取り付けがちょっと厄介なセクションだ。
絶妙に届きにくいところにボルト穴があり、なんともとめにくいのだ。
(あ・・・)
カラン・・・
乾いた金属音が響く。
喧騒に満ちた工場内であるはずなのに不思議と良くその音は響いた。
コロコロコロ・・・
ブルーノの手から滑り落ちたボルトは床を転がり黒いブーツにぶつかって止まった。
(最悪だ・・・)
思わずオットーは息をのむ。
手を滑らせたブルーノは半泣きで、職長の顔色は青を通り越して真っ白になっていた。
「これは君が落としたものかね?」
工場の人間は勿論、お付きの人間も固まる中で総統閣下は落ち着いた声色でそう語りかけてきた。
「も、も、申し訳ございません!」
職長が悲鳴のような声で謝る。
気の毒なブルーノはコクコクと首を縦に振るのがやっとでまとも喋れていない。
「いや、いいのだ諸君。誰にでもミスはあるものだ。」
「寛大なお言葉、あ、ありがとうございます。」
そう工場の案内人として総統閣下に随行していた工場長が言う。
(なんとか、、無事にすみそうか)
そのやり取りをみてオットーをはじめ、皆がホッと胸を撫で下ろす。
真っ白になっていた職長の顔色も、青色にまで戻ってきた。
だが、それも総統閣下の次の発言までだった。
「それで、この件はどう処理するのかね?」
「しょ、処理ですか・・・」
工場長までも真っ青になって総統閣下に問い返した。
「あぁ、そうだ。まさかこのままで済ます訳ではないだろう?」
そのちょび髭総統の言葉を聞き、工場長と職長が顔を見合わせる。
「分かりました。この工員はすぐに解雇します。いいな職長」
「承知致しました。手配いたします」
(ちくしょう!やっぱそうなるのかよ!)
オットーはおもわず手の中の工具を握りしめた。
チラッとブルーノをみやると、哀れな彼は魂が抜けた虚ろな目をしていた。
『こんな場でミスをしたのだから仕方ない』という諦めと『流石にいきすぎだ』という皆の感情が混ざり合い現場の空気が緊迫する。
「?なにか諸君は勘違いをしていないか?」
そんな中ちょび髭総統が困惑した声をあげた。
「と、もうしますと・・・?」
工場長が戸惑った顔でちょび髭総統に問いかける。
「私はそこの彼の責任を追及しているのではない。このミスの再発防止はどのようにするのかと訊いているのだ」
「再発防止・・・ですか?」
「そうだ、ミスとは全て何らかの原因がある。それは一つ一つ対策せねばならんだろう。例えば彼は体をかがめ、手を伸ばしてボルトを締めていたがもっと容易に作業する方法はないのかね?工具を改良したりエンジンの向きをかえたりとかだ。」
戸惑ったままの工場長と職長を見てちょび髭総統の顔つきが段々険しくなる。
「まさかと思うが検討すらしない訳ではないだろうな?」
「え、えっと。今回は工員の不注意によるミスといいますか・・・」
「その検証をきちっと行ったのかと私は訊いているのだ!」
なんとか弁解しようとする工場長を遮ってちょび髭総統は大声をあげた。
(す、すげぇ)
オットーはちょび髭総統の迫力に気おされた。
叱責され小さくなる工場長や職長に小気味よく思う。
(でもちょっと気の毒だな)
などと他人事で思っていたが、突然オットーにもお鉢はまわってきた。
「そこの君!このようなミスは今回だけか?それとも頻繁に起こることか?」
(ま、まじかよ)
ちょび髭総統は俺の目を見すくめながらそう問いかけてきた。
『自分以外の誰かでは・・・』と淡い期待をかけたくなるが、真っ直ぐ俺を指しておられるので逃れようがなかった。
「忖度はいらん。正直に答えたまえ。どの様な答えでも構わん」
『嘘だけはダメだぞ』と言いながらちょび髭総統は俺の目を真っ直ぐに見てきた。
「日に数回は起こっております」
(す、すまん職長)
職長の顔色すでに白さえ通り越して灰色になってしまっている。
「だとすればこのセクションでの作業方法自体に問題があるのではないかね?」
「そ、その通りかと思います。折角最新鋭の機械を設置させて頂きながら、ライン設計が行き届いておらず、も、申し訳ございません!」
工場長が頭をさげ、間髪入れず職長も頭をさげた。
「まだ諸君は勘違いしている」
やや呆れた表情をしながらちょび髭総統は口をひらいた。
「私は生産ラインの設計の悪さを責めているのではない。新規立ち上げの生産ラインに不具合が多いのはあたりまえだ。神でもない限り全ての不具合を計算にいれた工場設計など出来るわけがない」
そう言うと、ちょび髭総統は俺たち工員を見渡し両腕を広げてさらに言葉を続けた。
「だからこそ職長や工場長たる君たちはここにいる工員諸君と細かく連携をとらねばならない。どんな細かな事でも構わん。例えば椅子の高い低い、工具を置いてある方向などの小さなことでもよい。君たち管理する立場にある人間は少しでも工員諸君が楽に効率よく仕事が出来るように気を配らねばならん!」
『断じて工員諸君を監視するだけが君たちの仕事ではない!』とちょび髭総統は熱弁する。
「そして工員諸君!諸君らもどうすればもっと効率よく作業できるか、生産できるかを考えて欲しい!諸君らの提案の一つ一つが工場の生産性をあげるのだ!そしてそんな諸君が作り上げる高効率な工場がライヒの宝となっていくのだ!」
次第に身振りが大きくなるちょび髭総統にあてられ工場内のボルテージがあがってゆく。
「諸君!進歩だ!工員諸君とそれをまとめる諸君が力を合わせねばならん!カイゼンだ!カイゼンをせよ!ハイルカイゼン!」
(か、カイゼン・・・ってなんだ?)
耳慣れない言葉に工場の仲間達だけでなく、随行員達もやや戸惑っているようだ。
「ハイルカイゼン!ハイルちょび髭!」
そんな中、一人の工員が叫びだす。
先ほど解雇一歩手前まで追いやられたブルーノだ。
寸前でクビを免れた反動か、やや逝ってしまった目をして叫んでいる。
「は、ハイルちょび髭!」「ハイルカイゼン!」
つられて工場長、職長が叫ぶ。
それがさらに工員達に伝播し皆が叫びだした。
「「「ハイルちょび髭!ハイルカイゼン!!」」」
オットーも『いや、だからカイゼンってなんなんだ?』と思いながらも、一緒になって叫ぶのだった。
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『カイゼン運動』これは第2次世界大戦直前の時期にライヒにおいて始まった運動である。
中身としては生産現場の課題を拾い上げ、解決し生産性向上に役立てるという多かれ少なかれ他の国の工場でも行われていたことだ。
だが他国と異なる点として、当時のライヒは経済省の強力なリーダーシップのもと各産業界の生産現場に体系だって導入した。
ここで経済省官僚の優れていた点は、『カイゼン』という概念と『カイゼン』を前提とした組織運営のみを指導し、生産現場への具体的な介入は行わなかった点である。
一説によると、当初は現場にも介入し『ライヒ標準生産マニュアル』をつくろうとした経済省官僚をとめたのはちょび髭総統だったという。
その際総統は、『トップの意識改革のみにコミットせよ。現場は現場にまかせよ』と号令をかけ各社の経営陣、管理層へ指導するのにとどめさせたという。
この説にはちょび髭総統を美化しすぎだという批判もあり真偽は定かではないが、『カイゼン運動』が戦時中及び戦後ライヒの工業界の生産性・競争力を底上げしたのは多くの識者が認めるところである。
なお、なぜ日本語の『改善』を標語として選定したのかは今日でも謎のままである。
作られた伝説のような気もしますが、、、生産性向上といえばこれかなと思い書きました。
あと、思ったより長くなりました。




