91・いざ、夜会へ
ダリアの泊まっているホテルを出て、王宮に到着するまでにさほど時間はかからなかった。
馬車が会場に到着するまでの短い時間に、二人で最後の打ち合わせをするつもりだったフレッド様は、私がとても緊張している事に気付き、優しく声をかけてくれた。
「どうした? そんなに不安そうな顔をして。いや……それも当然か。今から、貴族や王族らが集まる場所へ、平民である女将が乗り込もうというのだ。平気である訳が無いな」
「……いえ、お気遣いありがとうございます。私は誰とも交流せず、無理に挨拶などもしなくていいとダリア様ご本人から言われております。逆に、下手に知り合いなんか作らないでと念を押されたくらいです。ふふ……ですから御心配無く」
フレッド様はこんな状態の私に代理が務まるのかと、心配そうに顔を覗きこんできた。
ああもう、駄目ね。元々あまり得意な方ではなかったけれど、平民としての暮らしに慣れすぎてしまって、ポーカーフェイスの作り方を忘れてしまったわ。知らぬ間に不安な気持ちが顔に現れてしまっていたみたい。
これでは駄目だわ。すぐに気持ちを切り替えなくては。
「まあ、これが本人であれば、特に心配などしないのだが……。女将、会場内では俺から離れずに、ずっと側に居ろ。他の令嬢達を寄せ付けないためにも、そうしてほしい。もしも離れなければならない事態になった時には、壁際に寄っていれば誰も声をかけてはこないだろう。あの人は気を許した相手なら気さくに話しかけてくれるが、そうでない相手にはトコトン冷たく接する人だ。女将もそうしていれば良い」
フレッド様は、包み込むような温かい笑顔で向かいの座席に座る私を励ましてくれた。
彼らの考えでは、基本的に私は何もしなくて良い事になっている。ただフレッド様に寄り添ってさえいれば、それだけで虫除け効果を発揮できると思っているようだ。
本当にそうかしら? 王太子妃になりたい令嬢や、その親達を甘く見ているのではない?
「はい、ダリア様になりきれるよう、努力致します」
私と話をするダリアはとても気さくで話しやすかったけれど、誰にでもという訳ではなかったのね。ならば、私もそのように振る舞いましょう。あまり上手に演技はできないと思うけれど、出来る限りの努力をするわ。
「では、これよりお前の名前はダリア・ケンジット侯爵令嬢だ。俺は女将をダリアと呼ぶが、女将は俺の事を殿下、もしくはウィルフレッド殿下と呼べ」
「わかりました」
馬車が会場に到着し、殿下の従者であるヴィレムがドアを開けた。この人と会うのはあの日以来だ。彼は私が一度会った事のあるエレインだとは気付かずに、深々と頭を下げた。
私は先に降りたフレッド様にエスコートされ、馬車を降りて、いよいよ夜会の会場内に入った。皮肉なことに、社交界に出るのはこれが初めての事だった。
私自身はまだ社交界デビューを果たしていない。本当ならば、今年デビューするはずだったのだ。あんな事さえ無ければ。
だから、これが初めての大人の集まりへの参加となる。
会場内の雰囲気は、昼間に同年の子達で集まるパーティーとは、まったくと言って良いほど違っていた。
開放された大扉の前に立つと、まず目に飛び込んできたものは、ダイヤモンドを思い起こさせるカットを施された、たくさんのクリスタルを使ったシャンデリアの放つシャンパンゴールドの眩い光。これは蝋燭のほのかな明かりなどではなく、いくつもの魔道具で灯された光だ。
そして会場を華やかに盛り上げる令嬢達のドレスは、夜会に合わせて大人っぽい色味の物にしたのだろう、会場全体が普段見慣れたパステルカラーではなく、シックで落ち着いた色合いで統一されていた。
ダリアに借りたドレスは、アルフォードの国旗をイメージさせる濃いブルーのドレスで、肩紐の無い少しセクシーなデザインの物だった。
ウエストは丁度良かったけれど、華奢なダリアに合わせて作られたそれは、私の胸にはちょっとキツく、試着した時にメイドが急遽手直しをしてくれたけれど、無理に詰め込んだ胸は谷間を作り、その存在感を無駄にアピールする事になってしまった。
他の令嬢達は、この国では定番のパフスリーブの可愛らしいドレスなのに対し、これはかなり挑発的に見えるに違いない。
しかしこれを恥ずかしがって着てはいけない。これも一種のコスプレだと思い、堂々と胸を張り、上品に着こなせば良いのだ。
前世の記憶がある私にしてみれば、良くあるタイプのデザインだと感じるけれど、肩を完全に露出させるタイプのドレスはまだこの国には無く、反応は様々だった。
装飾品は同色のレースで作られたチョーカーと、揺れるダイヤのイヤリング。ゴチャゴチャと豪華なネックレスや大きなイヤリングを着ける事を好むこの国の女性とは対照的に、とても洗練されたコーディネートだと思う。もしかしたら、これを機会にこの国でもこのデザインが流行るかもしれない。
「ダリア、行くぞ」
「はい」
私達が会場入りすると、ザワついていた場内は一瞬シンと静まり返り、皆一斉に頭を下げて道を空けた。そして私達は、そこを優雅に歩いて会場の奥へと進む。
まっすぐに見据えた視線の先では、ピカピカに磨きこまれた大理石の床に、天井からいくつもぶら下がる美しいシャンデリアの光が映りこんでいた。
シャンデリアの明かりはキラキラと周囲を照らし、天井や壁に施された金の装飾を際立たせている。
夢のように美しい場所なのに、ここは信じられないくらい空気が悪い。黒い霧状のものが、一人の男性を包み込んでいるのが見えた。
私はこの時初めて、人から湧き出る黒い霧というものを見た。これがきっと、タキの言う黒いモヤモヤなのだろう。
女神様の加護を頂いてから、感覚が鋭くなった気がする。こうして今まで見えなかったものが見えるようになったのは、女神の加護の影響なのではないだろうか。
両脇に並ぶ大人達からは、私を値踏みするような視線を感じた。
そして、殿下から今夜のパートナーに選ばれなかった令嬢達からも、ダリアとしてここに居る私に対し、意地の悪い視線を向けられていた。
今は王太子となられたウィルフレッド殿下の隣に立ちたいと思う令嬢は、数多く居る事だろう。今夜はその最大のチャンスだったのだ。
それを、他国の変人令嬢に持っていかれてしまったのだから、こうなる事は予測していた。
「緊張してまともに歩けないかと思えば、フフ……やはり度胸があるな」
「恐れ入ります」
フレッド様は私の緊張をほぐそうと、少し身を屈めて小声で囁きかけてきた。私の方はといえば、この状況は懐かしいというか、何度となく経験してきて慣れたものだった。
フレドリック殿下の婚約者として公の場に出れば、必ずこのような視線に晒されてきたのだから。
そんな事を考えていたら、王族のために用意された席に到着した。
王族のための席とはいっても、国王陛下はこの混雑した一階ではなく、二階席でゆったりと会場内を見渡していた。そしてその傍らには、ご側室のレイラ様と思しき女性が座っていた。しかし、そこに王妃様の姿は無い。
分かってはいたけれど、勿論第二王子であるフレドリック殿下もこの夜会に出席している。彼は自分の為に開かれたのではない夜会へ出席する事に不満なのか、側近二人を従えて、不機嫌そうにこちらを見た。
「兄上は、年上の女性がお好みだったとは知らなかった。しかも、連れてきたのはあの有名な変人令嬢……」
「殿下……! そのような口はお慎みくださいと申し上げたでしょう。まったく……申し訳ございません、ダリアさ……ま……」
フレドリック殿下と、彼を窘めて私達の方へ振り返った側近のアーロン様は、ウィルフレッド殿下の隣に寄り添う私を見て、固まってしまった。
フレドリック殿下のその目つきには覚えがあるわ、割とつい最近見たばかりだもの。あの時の私は旅のヒーラーに扮していて、殿下の中では「カイ」という名前で認識された、少年のような姿だったわね。




